テーマ:研究実況中継

二人の経方

実はここしばらく、私の頭は平経方のことでいっぱいだった。平経方は本当に宇多源氏経方なのだろうかという不安を持ち続けていた。それが昨日(7月13日)解決した。『水左記』康平8年正月23日条の「今夜被補頭蔵人、頭ハ権中弁経信、蔵人者藤原有信・実□等、雑色経方(範国子)」という記事の解釈が決したのである。  『康平記』康平3年(1060)7…
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式部卿敦実親王(改訂版)

敦実親王(893-967)宇多天皇の第八皇子。一品式部卿。一条宮、八条宮。母贈皇太后藤原胤子(内大臣藤原高藤娘)。醍醐天皇(諱敦仁)の同母弟である。音曲を名手として有名であり、延喜7年(907)11月22日の自らの元服式でも(『日本紀略』)、拝舞したと伝えられている(『西宮記』『扶桑略記』)。このとき三品に叙され、のち一品式部卿に補任さ…
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左馬頭良経(改訂版)

源良経(1000-1058)中将源成頼の末子。母天皇御乳母(『尊卑分脈』などで後朱雀天皇御乳母)。実名良経。始め冷泉院皇子為尊親王養子(『権記』長保3年10月9日条)、のち権大納言藤原行成の実子となる(『春記』長暦2年12月14日条)。そのため同時代資料では「藤原良経」と見える。  童殿上(『権記』寛弘8年6月11日条、および沙々貴神…
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蔵人経方(改訂版)

平経方(生没年不詳)左馬頭良経の子孫か。兵庫助、従五位下(『尊卑分脈』宇多源氏流)。昇殿、兵庫助、兵部大輔(沙々貴神社所蔵佐々木系図・六角佐々木氏系図略)。式部大輔(『西讃府志』)。『作者部類』の祐子内親王家紀伊の記事では、経方を散位平経重とする。叙爵後に経重(重経)と改名したのだろう。  経方は、『帥記』康平8年(1065)7月7日…
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常盤恵冠者為俊(改訂版)

平為俊(生没年未詳)経方の長子。幼名千手丸。童より白河院北面、左兵衛少尉、検非違使、従五位下、下総介、駿河守、鳥羽院北面。「常恵冠者」(『尊卑分脈』宇多源氏流)、「常盤恵冠者」(佐々木系図)。のち源季定と改名(『尊卑分脈』宇多源氏流季定で「本追捕使為俊」)。しかし、『長秋記』長承3年(1134)5月15日条では「四位陪従家定」とある。 …
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左馬頭良経研究で用いた系譜研究方法(改訂版)

私の研究方法は、まず系譜伝承には錯誤・隠喩という形で史実が含まれているだろうという前提から出発する。そこで系図の記述をそのまま使用するのではなく、系図を分解して要素を抽出し、それをもとに作業仮説を立てて資料に照らし合わせ、無矛盾であれば仮説(学説)として採用する。後一条・後朱雀朝で乳母子として活躍した左馬頭良経(系図上の宇多源氏義経)の…
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左馬頭良経研究で用いた系譜研究方法

私の研究方法は、まず系譜伝承には錯誤・隠喩という形で史実が含まれているだろうという前提から出発する。そこで系図の記述をそのまま使用するのではなく、系図を分解して要素を抽出し、それをもとに作業仮説を立てて資料に照らし合わせ、無矛盾であれば仮説(学説)として採用する。後一条・後朱雀朝で乳母子として活躍した左馬頭良経(系図上の宇多源氏義経)の…
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良経、世後子ト為ル也

『春記』長暦2年(1038)12月14日条に「良経為世後子也」という記事がある。これは、良経が皇后禎子内親王の御給で正四位下に叙されることが決まったときの記事である。これまで、この記事の意味が分からずにいた。しかし「世尊寺(藤原行成)の後子と為る也」と読むことができることに気づいた。このことで、今まで疑問に思っていたことが一気に解決した…
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後三条着袴と左馬頭良経

『春記』長暦2年(1038)11月25日条に後朱雀天皇の第二親王(のち後三条天皇)着袴の儀の様子が記されている。寅刻に諸卿が皇后宮(三条皇女禎子内親王)に参り、寅三刻には関白藤原頼通の牛車で二宮を奉り参内した。このとき藤原頼通と皇后禎子内親王の関係が良好であったことが分かる。乳母は牛車に同乗し、牛車が朔平門に留められると、皇后宮亮を兼任…
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後一条天皇近臣左馬頭良経

長元5年(1032)2月19日『左経記』の記主参議源経頼が参内したところ、仰せがあり、前日18日左馬頭良経朝臣の従者が、右大将藤原実資の随身を打ったため、今日19日下手人を奉るよう宣旨があり、検非違使が良経邸に派遣されたという。さらに一日上達部が言うには、看監長・放免らが邸内に入り乱行したという。このことについて何か聞いているか尋ねられ…
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宇多源氏義経の実名

宇多源氏四位中将源成頼の子義経の実名がわかった。『左経記』長元5年(1032)2月19日条および同9年(1036)4月26日条に「左馬頭良経朝臣」)の記述があり、『扶桑略記』の「良経」が正しいことが分かった。陸奥守以前の官職が左馬頭であることも分かった。軍事貴族に相応しい官歴である。  義経(良経)は、前九年合戦で源頼義が陸奥守を更迭…
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