テーマ:東大現代文

2010年東大前期・国語第1問「個人のプライバシーのありか」

 個人の本質はその内面にあるとみなす私たちの心への(あるいは内面への)信仰は、私生活を重要視し、個人の内面の矛盾からも内面を推し量ろうと試みてきた。もちろん、このような解釈様式そのものは近代以前からあったかもしれない。しかし近代ほど内面の人格的な質が重要な意味をもち、個人の社会的位置づけや評価に大きな影響力をもってさようしたことはなかっ…
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2010年東大前期・国語第4問「詩人に必要なもの」

 極めて常識的なことだが、もし詩人が自ら体験し、生活してきた事からだけ感動をひきだし、それを言葉に移すことに終始していたならば、ア詩人なんてものは、人間にとって、あってもなくても一向にさしつかえのないつまらないものになるだろう。詩が私たちに必要なのは、そこに詩人の想像力というものがはたらいているからであって、それが無いと、謂うところの実…
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2011年東大前期国語第1問「河川の風景をつくる」

 河川は人間の経験を豊かにする空間である。人間は、本質的に身体的存在であることによって、空間的経験を積むことができる。このような経験を積む空間を「身体的空間」と呼ぼう。河川という空間は、「流れ」を経験できる身体的空間である。  河川の体験は、流れる水と水のさまざまな様態の体験である。と同時に、ア身体的移動のなかでの風景体験である。河川…
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2012年東大前期国語第4問「ひとり遊び」

 次の文章は歌人河野裕子の随筆「ひとり遊び」で、文中に挿入されている短歌もすべて筆者の自作である。これを読んで、後の設問に答えよ。  熱中、熱中、脇目もふらない懸命さ、ということが好きである。  下の子が三歳で、ハサミを使い始めたばかりの頃のことである。晩秋の夕ぐれのことで部屋はもううす暗かった。四畳半の部屋中に新聞紙の切りくず…
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2012年東大前期国語第1問「科学的自然観」

 環境問題は、汚染による生態系の劣悪化、生物種の減少、資源のaコカツ、廃棄物の累積などの形であらわれている。その原因は、自然の回復力と維持力を超えた人間による自然資源の搾取にある。環境問題の改善には、思想的・イデオロギー的な対立と国益の衝突を超えて、国際的な政治合意を形成して問題に対処していく必要がある。  しかしながら、環境問題をよ…
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2014年東大前期・国語第4問【解答速報】

 仕事の打ち合わせでだれかとはじめて顔を合わせるとき、そんなときには、互いに見ない触角を伸ばして話題を探すことになる。もともとにがてだったそういう事柄が、いつからか嫌でなくなり、いまでは愉しいひとときにすらなってきた。どのみち避けられないから、嫌ではないはずと自己暗示を掛けているだけかもしれない。いずれにしても、初対面の人と向かい合う時…
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2014年東大前期・国語第1問【解答】

第一問  次の文章は、ある精神分析家が自身の仕事と落語とを比較して述べたものである。  いざ仕事をしているときの落語家と分析家の共通するものは、まず圧倒的な孤独である。落語家は金を払って「楽しませもらおう」とわざわざやってきた客に対して、たった一人で対峙する。多くの出演者の出る寄席の場合はまだいいが、独演会になるとそれはきわだつ…
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2013年東大前期・国語第4問「見ること」

 知覚は、知覚自身を超えて行こうとする一種の努力である。この努力は、まったく生活上のものとして為されている。実際、私は今自分が見ているこの壺が、ただ網膜に映っているだけのものだとは決して考えない。私からは見えない側にある、この壺の張りも丸みも色さえも、私は見ようとしているし、実際見ていると言ってよい。見えるものを見るとは、もともとそうし…
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2013年東大前期・国語第1問「翻訳」

 詩人―作家が言おうとすること、いやむしろ正確に言えば、その書かれた文学作品が言おう、言い表そうと志向することは、それを告げる言い方、表し方、志向する仕方と切り離してはありえない。人々はよく、ある詩人―作家の作品は「しかじかの主張をしている」、「こういうメッセージを伝えている」、「彼の意見、考え、感情、思想はこうである」、と言うことがあ…
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2009年東大前期・国語第1問「白い紙と完成度」【予告編】

 白は、完成度というものに対する人間の意識に影響を与え続けた。紙と印刷の文化に関係する美意識は、文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末への意識を生み出している。白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為は、不可逆的な定着をおのずと成立させてしまうので、未熟なもの、aギンミの足らないも…
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2009年東大前期・国語第4問「昔語りと死生観」【予告編】

 いなかに百一歳の叔母がいる。いなかは奥会津である。若い日には山羊を飼って乳などを搾っていたので山羊小母と呼ばれている。山羊小母の家に行ったことは二、三度しかないが説明するとなると結構たいへんである。 一見、藁葺屋根の普通の農家だが、入口を入ると土間があって、その土間を只見川の支流から引き入れた水が溝川をなして流れている。台所の流しか…
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2008年東大前期・国語第1問「歴史拘束性と自由」【予告編】

 いまここであらためて、歴史とは何か、という問いを立てることにする。大きすぎる問いなので、問いを限定しなくてはならない。中島敦が「文字禍」で登場人物に問わせたように、歴史とはあったことをいうのか、それとも書かれたことをいうのか、ともう一度問うてみよう。この問いに博士は、「書かれなかった事は、無かった事じゃ」と断定的に答える。すると博士の…
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2008年東大前期・国語第4問「演技するということ」【予告編】

 二流の役者のセリフに取り組むと、ほとんど必ず、まずそのセリフを吐かせている感情の状態を推測し、その感情を自分の中にかき立て、それに浸ろうと努力する。たとえば、チェーホフの『三人姉妹』の末娘イリーナの第一幕の長いセリフの中に「なんだってあたし、今日こんなに嬉しいんでしょう?」(神西清訳)という言葉がある。女優たちは、「どうもうまく『嬉し…
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2007年東大前期・国語第1問「芸術ジャンル――分類の可能性」【予告編】

創作がきわだって個性的な作者、天才のいとなみであること、したがってそのいとなみの結実である作品も、かけがえのない存在、唯一・無二の存在であること、このことは近代において確立し、現代にまでうけつがれているaツウネンといっていい。一方、このいとなみと作品のすべてが、芸術という独自の、自立的な文化領域に包摂されていることも、同じように近代から…
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2007年東大前期・国語第4問「結婚という形」【予告編】

 詩におけるさりげないひとつの言葉、あるいは絵画におけるさりげない一つのタッチ、そうしたものに作者の千万無量思いが密かにこめられたとしても、そのように埋蔵されたものの重みは、容易なことでは鑑賞者の心に伝わるものではあるまい。作品と鑑賞者がなんらかの偶然によってよほどうまく邂逅しないかぎり、アその秘密の直観的な理解はふつうは望めない。 …
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大学基準と予備校基準・東大現代文編

東大現代文を受験テクニックで解くことができないことは、予備校・青本・赤本の模範解答に誤りが多いことでも分かる。それを正しいと信じている受験生があまりにかわいそうだ。  東大現代文で高得点を挙げたいのであれば、受験テクニックを磨くより、むしろ教養を身に付けた方が早い。教養はすぐに身につかないと思われがちだが、そうでもない。実は大学入試問…
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大学基準と予備校基準

ことし東大受験生を指導していて、いちばん驚いたのは、予備校の東大模試の模範解答がとてもではないが模範解答といえるものではなかったことだ。むしろ誤っている。自分たちでつくっている問題だから、とても素晴らしい模範解答ができていいはずなのに、そうではない。これは、どうしてなんだろう。 答えは簡単だ。予備校の模範解答は、予備校基準で作成さ…
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2006年東大前期・国語第1問「来世観」

 なにゆえに死者の完全消滅を説く宗教伝統は人類の宗教史の中で例外的で、ほとんどの宗教が何らかの来世観を有しているのであろうか。なにゆえに死者の存続がほとんどの社会で説かれているのか。答えは単純である。(ア)死者は決して消滅などしないからである。親・子・孫は相互に似ており、そこには消滅せずに受け継がれていく何かがあるのを実感させる。失せる…
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2006年東大前期・国語第4問「教育問題」

 産業革命以前の大部分の子どもは、学校においてではなく、それぞれの仕事が行なわれている現場において、親か親代りの大人の仕事の後継者として、その仕事を見習いながら、一人前の大人となった。そこには、同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成り立つ基盤がある。(ア)それが大人の権威を支える現実的根拠であった。そういった関係をあてにできないところに…
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1995年東大前期・国語第一問「他者への眼差し」

市村弘正『小さなものの諸形態』より出典。 【問題文】  物との結びつきを根本的に変質させ、社会との結びつきを根底的に変化させつつある私たちにとって、そこでの出来事の生成と着床のあり方は、経験におけるそれとは正反対である。正反対であるような変質であり、変化なのである。その「結びつき」が含んでいた物事のあらゆる局面は、時間とともに結晶す…
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1996年東大前期・国語第五問「身体論・人間の記憶」

三善晃「指の骨に宿る人間の記憶」より出典 【問題文】  谷川俊太郎さんの詩《ポール・クレーの絵による「絵本」のために》のなかの一編〈死と炎〉は、「かわりにしんでくれるひとがいないので わたしはじぶんねしなねばならない」で始まる。それで、「わたしはわたしのほねになる」。そのとき私の骨は、この世のなにものも携えてゆくことができない。「せ…
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1996年東大前期・国語第二問「教育論」

中原俊『子どもの謎-神様が降りてくるまで』より出典。 【問題】  次の文章は、ある映画監督が書いた文章である。これを読み、傍線部ア・イ・ウのいずれかを選び、それを手掛かりとして、感じたこと、考えたことを、160字以上200字以内で記せ(句読点も一字として数える)。なお、解答用紙の指定欄に、手掛かりとして選んだ傍線部の記号を記入せよ。…
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1996年東大前期・国語第一問「科学思想」

坂本賢三『科学思想史』より出典。 【問題文】  科学研究にあたっては、科学者は常にある一定の前提のもとに対象に立ち向かっている。それは必ずしも研究者自身に意識されているとは言えないが、それでも事情は変らない。たとえば、現在の大部分の科学者は、対象の中に法則性があることを疑っては居らず、対象に内在するはずの「法則」を発見しようとしてい…
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1997年東大前期・国語第五問「時の流れ」

長田弘『自分の時間へ』より出典。 【問題文】  川の流れを見るのが好きだ。たとえどんな小さな流れであろうと、川のうえにあるのは、いつだって空だ。川の流れをじっと見つめていると、わたしは川の流れがつくる川面を見つめているのだが、わたしが見つめているのは、同時に川面がうつしている空であるということに気づく。ふしぎだ。川は川であって、じつ…
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1997年東大前期・国語第二問「見る」

多田智満子『鏡のテオーリア』より出典。 【問題文】  見るためには対象と自分との間に距離をおかなければならない。これは明白な事実である。  しかし、見るという行為が、対象との間の物理的距離を心理的にゼロにする場合がある。他者のまなざしが私に向けられ、そのまなざしが私をとらえたときがそれだ。  私が或る人の眼を美しいと思ったり、眼…
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1997年東大前期・国語第一問「歴史と物語」

坂本多加雄『象徴天皇制度と日本の来歴』より出典。 【内容】  ある人物についての物語が、なによりも当の本人を満足させなければならない場合とは、どのような場合であろうか。それは、自分が不確かな未来や危機的状況を前にして、何らかの選択あるいは決断をしなければならない場合である。このような場合、ひとはその選択や決断が自分にいい結果をもたら…
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1998年東大前期・国語第五問「時間」

檜山哲彦『時の巨人』より出典。 【内容】  さして用があるわけでもないのに、なにやら腰の落ち着かない年の瀬になると、毎年きまって思い出す句がある。   年を以て巨人としたり歩み去る  作者は高浜虚子だ。心そぞろなわが身に比べ、大股で歩む巨人の姿が大きく感じられ、その悠然としたさまに心を傾けたくなるせいだろうか。  「年歩む・去…
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1998年東大前期・国語第二問「社会人」

赤瀬川原平『社会人原論』より出典。 【内容】  社会人は領収書をもらう。社会人がなぜ領収書をもらうのかというと、税金を払っているからである。領収書がないと仕事上の必要経費として認めてもらえず、自分の出費になる。  ところが食事などの場合、仕事なのかプライベートなのか、ちょっと曖昧なことがある。またプライベートの場合でもとりあえず領…
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1998年東大前期・国語第一問「脳死」

西谷修「問われる『身体』の生命」(『朝日新聞』1992年1月28日夕刊〈変わるか死生観「脳死臨調」答申に思う〉)より出典。 【内容】  ふつう死は、心臓が停止して血流がとだえ、それに続く全身の生命活動の停止として起こる。ところが脳が先に機能停止に陥ることがある。この場合、中枢神経をまとめる脳の死によって全身もやがて死ぬことになるが、…
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1999年東大前期・国語第五問「短型詩」

柳沢桂子『生と死が創るもの』より出典。 【内容】  俳句や短歌は不思議な詩型である。短い言葉のなかに、長い言葉よりも広い世界を表現することができる。長い詩型が言葉によってすべてを限定するのに対して、短い詩型は読者のイマジネーションに頼るために、表出される世界が広がるからだ。  そういえば、短歌では小さいものを詠うのはやさしいが、大…
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