テーマ:東大現代文

1999年東大前期・国語第二問「青春論」

安部公房『砂漠の思想』より出典。 【内容】 これまで日本では青春は不当に買いかぶられるか、不当に抑圧を強いられてきたと思う。しかし、よく考えてみれば、どちらも青春は清純なものだという固定観念のうえに成り立っていたのだ。どちらも、青年をひとつの青春概念の中に閉じ込めているのである。  だが、本当の青春は、自分が青春であることに決して…
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1999年東大前期・国語第一問「身体論」

鷲田清一『普通をだれも教えてくれない』より出典。 【内容】 身体はひとつの物質体であることは間違いないが、他の物質体とは異質な現われ方をする。  たとえば、身体が正常に機能しているとき、ほとんど意識のなかに現われない。歩くとき、脚の存在はほとんど意識されない。意識することで、かえって脚がもつれてしまう。つまり、わたしたちにとって身…
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東大現代文・受験現代文での出題者の意図

東大国語の現代文を読むときに注意してほしいことは、どんなに反発したい内容であっても反発しないで、賛成しながら読むということである。これは東大現代文に限らず、どの大学の現代文にもいえることだが、受験生でも反論できるほどヤワな評論文が、受験現代文で使用されることはない。反発を感じたとしたら、むしろ読み方が浅いということだ。出題者は、その評論…
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2000年東大前期・国語第四問「言葉」

三木卓『海辺の博物館』より出典。 【内容要約】  窓の向こうには丘がある。この数年、この丘をながめながら仕事をしていたから、この丘の変化は分かったつもりでいた。それでも見落としているものを発見したり、知っているものでもあらためて感銘したりする。  去年、わたしは自分にしては長い時間を書けた小説を発表した。今わたしは次の、時間のかか…
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2000年東大前期・国語第一問「環境問題」

加茂直樹『社会哲学の現代的展開』の中の「環境保護は何を意味するか」より出典。  【内容要約】 環境問題を取り上げるとき、環境保護は当然のことと考えられている。しかし「環境の保護」という言葉を、みんなが同じ意味でつかっているわけではない。そしてその微妙な差異が、実践の上では重大な差異になりうる。  そのうえ環境保護の対象として「環境…
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2001年東大前期・国語第四問「携帯電話」

岡部隆志『言葉の重力』より出典。 【内容要約】 携帯電話を通した会話は、独り言の掛け合いではないだろうか。会話の中に特に伝えたいことを強調するポイントがなく、ただ自分のことをとりとめもなくしゃべっている。そこにあるのは、自分の独り言を一方的に話すという関係である。  インターネットで飛び交う声も、独り言に近い。だから私はそこに私的…
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2001年東大前期・国語第一問「母国語」

リービ英雄「ぼくの日本語遍歴」(『新潮』2000年5月号)より出典。 【内容要約】 ぼくが「星条旗の聞こえない部屋」を発表してから、なぜ母国語の英語ではなく日本語で書いたのか聞かれた。その質問の中には、英語で書いた方が楽だろうし、近代でもポスト近代でも英語が支配的な言語であるのにという意味合いが含まれていた。  ぼくが日本語で書き…
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2002年東大前期・国語第四問「解釈学・系譜学・考古学」

永井均『転校生とブラック・ジャック』の中の「解釈学・系譜学・考古学」より出典。 【問題文】 幸福の青い鳥を探す長い旅から帰ったとき、チルチルとミチルは、もともと家にいた青い鳥が青いことに気づく。チルチルとミチルの以後の人生は、その鳥がもともと青かったという前提のもとで展開していくことだろう。それは彼らにとって間違いなく幸福なこと…
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2002年東大前期・国語第一問「生と死」

村上陽一郎『生と死への眼差し』の中の「死すべきものとしての人間」より出典。 【内容要約】 一人称の死は、生きているかぎり決して体験されることのない、未知のものである。それは論理的には知りえないものである。では、知りえないものに対しての恐怖はどのような形をとるのだろうか。おそらく死への恐怖は、人が人間であることの証明であるといえるだろ…
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東大国語・現代文対策

 東大現代文を受験テクニックで解くことができないことは、予備校・青本・赤本の模範解答に誤りが多いことでも分かる。それを正しいと信じている受験生があまりりにかわいそうだと思い、佐々木哲学校ブログ版で東大前期・国語第一問・第四問の解答例を連載している。  東大現代文で高得点を挙げたいのであれば、受験テクニックを磨くより、むしろ教養を身に付…
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2003年東大前期・国語第四問「詩作と引用」

篠原資明『言の葉の交通論』の中の「Ⅰ詩的言語への交通論 詩と痕跡過剰性」より出典。 【内容要約】  作品の背後には過去の無数の作品がある。それだけでも十分に痕跡の過剰について語ることができる。しかし、痕跡の過剰とはそれだけを意味するのではない。実は、過去の作品には別様でありえたかもしれないという可能性がある。そのような可能性があふれ…
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2003年東大前期・国語第一問「民俗宗教・靖国問題」

小松和彦「ノロイ・タタリ・イワイ」(山折哲雄・川村邦光編『民俗宗教を学ぶ人たちのために』)より出典。 【内容要約】  民俗宗教において、祟りの信仰は大きな比重を占めている。それは広い意味での「世間の目」「霊の目」に対する恐怖・配慮の象徴的表現であるかもしれない。しかし日本人は、死者が家族や親族、それに共同体のために犠牲になった者であ…
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東大現代文・解答例の連載について

予備校・赤本・青本の模範解答が不十分であるため、今後も『東大入試で哲学』の連載を続けていきます。今年度の受験生がアクセスしているのであれば、急がれるでしょうから、間をあけずに連載していくことにします。  また携帯電話からのアクセスが多いようですので、今後は内容要約・解説を短くまとめて、解答例を中心に記述していきます。そうすれば携帯電話…
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絶望と希望

2004年東大入試前期国語第四問は、多木浩二の『写真論集成』より出典。「世界は存在し、かつ人間も存在している」と述べているように、世界と人間の実在を認めたうえで、世界と人間のズレに注目している。評論文ではよく「差異」と記されているものだ。しかも世界のことを「超人間的」と述べている。この多木浩二の主張を発展させて、その超人間的な世界が客観…
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2004年東大前期・国語第四問「写真」

多木浩二『写真論集成』より出典。 【内容要約】 「写真になにが可能か」と自問すると、質疑応答に見られるような答えというよりも、ほとんど肉体的反応ともいえる二通りの答えが生じてくる。  ひとつは、現実に対して「写真にはなにもできない」という一種の無力感である。しかし、その無力感を乗り越えたところから、「写真に可能ななにものかがある」…
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個性

2004年東大入試・国語第一問の問題文の内容は、「個の没落」という言葉でも分かるように、悲観的な相対主義である。しかし、確固たる個がないということを積極的に評価することもできる。  個性とはいっても、実は自分の内側から生じたものではない。他者との関係の中で自分はつくられている。本当の自分はどこか遠くにあるものではなく、自分が日々の生活…
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2004年東大前期・国語第一問「個の没落」

伊藤徹の『柳宗悦 手としての人間』より出典。 【内容要約】 判断の基盤としての個人の没落は、環境問題を例に挙げると分かりやすい。未来の世代の権利を侵害していると考えて、現在の個人の欲望を制限することは、今日において当然のことと受け止められている。人間以外の生物はもちろん、山や川さえ尊重さしようと考えることは、もはや珍しいことではない…
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見ているものと見ていないもの

これは、2005年東大入試前期の問題で引用された小池昌代「背・背なか・背後」を、わたしの経験・研究と照らし合わせて解釈+拡張したものだ。  だれも自分の背中を見ることはできない。だから自分の後ろで他人が笑っていると気になる。もしかしたら、汚れているのかもしれない。あるいは、だれかイタズラで張り紙を貼ったかもしれない。しかも自分だけが見…
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2005年東大前期・国語第四問「背・背なか・背後」

小池昌代「背・背なか・背後」(岩波書店『図書』二〇〇四年七月号)より出典。 【内容要約】 待ち合わせ場所で待っている相手に近づくとき、そのひとが後ろ向きだったら、どんなふうに声をかけようか迷う。ひとの無防備な背中を前にすると、なぜか言葉を失ってしまう。これまで付き合ってきたのは、いつも相手の正面ばかりだからだ。そもそも背中は、ひとの…
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「偽善」という言葉は嫌いだ。

これは、2005年東大入試前期の問題で引用された三木清の文を読んで思ったことだ。もちろん三木清は、引用文の中で偽善のことについて述べているわけではない。しかし、他人のことを「偽善者」と言っている人たちに対して私が持っていた違和感と、三木の道徳観と結びついた。  道徳という言葉があると、道徳が行動とは離れて単独にあるように錯覚してしまう…
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2005年東大前期・国語第一問「道徳と技術」

三木清『哲学入門』より出典。 【内容要約】 すべての道徳は、ひとが徳ある人間になることを要求している。それは、徳のある行為をする者になれということである。たとえの徳のある人であっても、行動をしていないうちは、潜在的に徳のある人であるにすぎない。徳のある行動することで初めて、徳のある人といえる。  ところで人間は常に環境の中で生活し…
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『東大入試で哲学』連載のお知らせ

今は大学前期試験の採点中のため、8月から『東大入試で哲学』を連載開始します。この連載は、①大学レベルの教養を身につけたい大人のための教養講座であり、②東大2次試験合格の実力を身につけたい受験生のための大学受験講座でもあります。  大学入試問題で現代文があるのは、大学の教科書を読む力があるかどうかを確認したいためです。ですから現代文の問…
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