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『葉隠』鍋島氏と佐々木氏
『葉隠聞略』六に「鍋島家の御紋のこと」という記事がある。鍋島家の紋は、元来、目結紋であるという。
慶長8年(1603)に、隠居後の鍋島直茂が、徳川家康のお召しにより、江戸に上ったときに、御召船の幕に四つ目結紋をつけた。そのため、直茂の隠居分を継承した小城藩の御召船や武具には四つ目結紋が付けられた。
その後、江戸に滞在していた鍋島勝茂が松平若狭守の酒宴に招かれたとき、若狭守から「鍋島殿の御先祖は佐々木氏であると内々承っている。それならば、御紋は四つ目結のはずである。しかし今は杏葉の紋を使わ...
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2007/12/25 19:05 |
高島高信
佐々木高信(生没年未詳)佐々木信綱の次男。母川崎為重の娘。左衛門尉。父信綱から近江国高島郡田中郷を相続して、高島七頭の祖。嘉禎元年(1235)7月勢多橋の修理のとき、日吉社神人に負役を課したところ神人が拒否。負役に応じるよう強要したことから、延暦寺衆徒との闘争。地頭代多胡兵衛尉が山王社僧を殺害したため、延暦寺衆徒が強訴。高信は豊後に配流されました。
高信の長男泰信は、佐々木四郎(信綱)の孫の四郎左衛門尉を意味する「佐々木孫四郎左衛門尉」の名で、『吾妻鏡』弘長3年(1263)正月条に登場します...
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2005/04/11 13:59 |
大原重綱
佐々木重綱(1207-1268)佐々木信綱の長男。母川崎為重の娘。近江太郎左衛門尉。承久の乱では父信綱に従い、宇治川の先陣を徒歩で駆けて戦功。そののち左衛門尉に補任され、将軍藤原頼経の近臣となり、有力御家人として幕府の諸行事にも参列。ところが遺産相続では、外祖父川崎為重(中山五郎)が比企能員の乱で滅亡していたため、所領を与えられず出家しました。しかし寛元元年(1243)重綱は幕府に弟泰綱を訴え、泰綱から坂田郡大原荘を獲得。ここから佐々木大原氏が始まりました。
重綱の長男長綱は、近江守の長男左...
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2005/04/10 23:11 |
盛綱流佐々木氏
盛綱流佐々木氏では、承久の乱で北陸道の副将となった信実の子孫加地氏が、越後国加地荘を本拠として越後守護職を世襲した北条得宗家を支援するとともに、備前守護職を世襲しました。盛綱流佐々木氏は北越地方で大きく発展し越後・出羽地方の一大勢力になるとともに、備前守護職を基盤にして備前国児島を中心に瀬戸内海でも一大勢力にもなったのです。
備前守護は信実の次男実秀(大友二郎・加地二郎左兵衛尉・左衛門尉)、孫実綱(加地太郎左衛門尉)によって継承されました。実綱の子息長綱(加地源太左衛門尉・筑前守)は、嘉元の...
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2005/04/09 01:31 |
隠岐流佐々木氏
佐々木兄弟の五男義清(五郎左衛門尉・出雲守・隠岐守)の子孫は、隠岐・出雲の守護職を世襲して有力御家人として地歩を固めました。両国守護職は義清の長男政義(太郎左衛門尉)が継承しましたが、無断出家により所職・所領を没収。替わって次男泰清(隠岐次郎・隠岐判官・信濃守)によって継承されました。泰清は奥州惣奉行葛西清親(左衛門尉・伯耆守)の娘婿となり(尊卑分脈・続群書類従・沙々貴神社本)、有力御家人と閨閥を形成して自らも六波羅評定衆に列しました。官位も検非違使に補任され、さらに従五位下に叙爵されて大夫判官...
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2005/04/07 22:26 |