テーマ:佐々木諸流

近江尼子氏の系譜

 足利尊氏から佐々木導誉(京極高氏)へ康永四年(一三四五)に給付された近江国甲良庄尼子郷について、「ミま」に譲与する内容の佐々木導誉置文がある。「ミま」は、まだ若いのだから百二十年後まで生き残るであろうと述べられているので、若い人物であろう。これは、国立国会図書館所蔵「伊予佐々木文書」所収の応安六年(一三七三)二月二十七日付治部少輔宛導…
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宇喜多秀家の系譜

 宇喜多氏の出自に関しては、『宇喜多能家寿像画賛』の百済王出自説がもっとも有名である。能家は宇喜多秀家の祖父である。能家―直家―秀家と続く。京都南禅寺の僧九峰宗成による『宇喜多能家寿像画賛』は岡山県立博物館に収蔵され、国指定の重要文化財になっている。奥書によれば成立は大永四年(一五二四)八月であり、同時代資料といえる。  九峰宗成につ…
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細川幽斎の系譜-佐々木大原流細川氏

熊本藩主細川氏の藩祖細川藤孝(幽斎)の養父が、実は佐々木大原氏出身の細川政誠(伊豆守・治部少輔)の孫刑部少輔晴広(又次郎)との有力な学説がある。これは山田康弘「細川幽斎の養父について」(『日本歴史』2009年3月号、96-104頁)で発表したものである。 『寛永諸家系図伝』編集のとき子細川忠興の証言によれば、幽斎は三淵氏の出身で、…
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長山遠江守と佐々木馬淵氏【改訂版】

 和歌山県有田郡広川町広八幡宮所蔵佐々木系図によれば、紀伊竹中氏は佐々木氏の出自で、美濃竹中氏の子孫と伝えられている。美濃竹中氏といえば、羽柴秀吉の軍師竹中半兵衛重治が有名であり、遠江守重元―半兵衛重治―丹後守重門と続く。竹中遠江守が六角義治から援軍要請を受けて近江坂田郡に出兵するなど、近江・美濃国境を支配していた竹中氏は六角氏との関係…
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佐々木大原氏系譜(2訂)

佐々木大原氏の歴史は、近江守護佐々木信綱(近江守)の庶長子重綱に始まる。重綱は承久の乱では父信綱に従い、宇治川の先陣を徒歩で駆けて戦功を上げた。そののち左衛門尉に補任されて将軍藤原頼経の近臣となり、有力御家人として幕府の諸行事にも参列した。近江守信綱の長男である左衛門尉という意味で、近江太郎左衛門尉と名乗っている。ところが遺産相続では、…
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久留里藩主黒田家の系譜

 一般に宇多源氏佐々木氏庶流黒田氏というと外様大名の筑前福岡藩主黒田家が有名だが、実は譜代大名である久留里藩主黒田家も先祖が近江出身であり、宇多源氏佐々木氏庶流黒田氏の子孫の可能性がある。  『寛政重修諸家譜』によれば久留里藩主黒田家の家系は、戦国末期の大橘定綱(信濃守)に始まり、定綱の子広綱のとき黒田氏に改めたという。寛政譜では黒田…
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田中・山崎・永田氏の系譜―高島七頭(4)

田中氏の系譜  高島郡田中郷の所職は、もともと「田中入道」と呼ばれた山崎憲家(沙沙貴神社所蔵佐々木系図)の子孫が有していたと考えられる。田中入道憲家は「源行真申詞記」に登場する愛智家次(愛智秦氏か)の弟で、その子孫が山崎氏を名乗った。本佐々木氏では紀道政の一族である真野時家が船木に移住して船木氏を名乗り、さらに若狭に転出するなど、平安…
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木地師小椋氏の系譜(4版)―清和源氏満季流と本佐々木氏

 木地師は、戦国期に近江守護佐々木六角氏の支配下にあって甲賀銀山の開発を担っていた。その木地師の統括者であった小椋氏が、鎌倉幕府草創期には近江守護佐々木氏の郎党であったことが、九条兼実の日記『玉葉』や鎌倉幕府の記録『吾妻鏡』で分かる。  建久二年(1191)四月近江守護佐々木定綱と山門が抗争した。前年近江に大水害があり、多くの荘園が年…
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武田二十四将横田高松の系譜(改訂)

 武田氏二十四将のひとり横田高松の孫伊松は徳川家康に五千石で召しだされて幕府旗本となり、さらに田沼意次の側近横田準松(筑後守)のときには御側御用取次として権勢を振るい、加増されて家禄九千五百石となり、旗本筆頭となった。横田氏は家伝によれば、佐々木三郎秀義の末孫次郎兵衛尉義綱が、浅井伊予守吉高に属して戦功があり、横田川和泉村のほとりに采地…
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南北朝期の越後佐々木加地氏の系譜

 わたしが最近興味をもっているのが、越後佐々木加地氏と隠岐佐々木氏だ。佐々木加地氏に興味をもったのは、鮭延秀綱(愛綱)の子孫大沼氏の系図をみてからである。大沼系図は、ネットで見られる佐々木六角満綱流鯰江氏出身とする鮭延系図とは異なり、佐々木氏の中祖秀義の子真綱から始まり、吉田氏や加地氏、六角氏の人物が登場しながら愛綱に至るというものであ…
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『葉隠』鍋島氏と佐々木氏

『葉隠聞略』六に「鍋島家の御紋のこと」という記事がある。鍋島家の紋は、元来、目結紋であるという。  慶長8年(1603)に、隠居後の鍋島直茂が、徳川家康のお召しにより、江戸に上ったときに、御召船の幕に四つ目結紋をつけた。そのため、直茂の隠居分を継承した小城藩の御召船や武具には四つ目結紋が付けられた。  その後、江戸に滞在していた鍋島…
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高島高信

佐々木高信(生没年未詳)佐々木信綱の次男。母川崎為重の娘。左衛門尉。父信綱から近江国高島郡田中郷を相続して、高島七頭の祖。嘉禎元年(1235)7月勢多橋の修理のとき、日吉社神人に負役を課したところ神人が拒否。負役に応じるよう強要したことから、延暦寺衆徒との闘争。地頭代多胡兵衛尉が山王社僧を殺害したため、延暦寺衆徒が強訴。高信は豊後に配流…
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大原重綱

佐々木重綱(1207-1268)佐々木信綱の長男。母川崎為重の娘。近江太郎左衛門尉。承久の乱では父信綱に従い、宇治川の先陣を徒歩で駆けて戦功。そののち左衛門尉に補任され、将軍藤原頼経の近臣となり、有力御家人として幕府の諸行事にも参列。ところが遺産相続では、外祖父川崎為重(中山五郎)が比企能員の乱で滅亡していたため、所領を与えられず出家し…
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盛綱流佐々木氏

盛綱流佐々木氏では、承久の乱で北陸道の副将となった信実の子孫加地氏が、越後国加地荘を本拠として越後守護職を世襲した北条得宗家を支援するとともに、備前守護職を世襲しました。盛綱流佐々木氏は北越地方で大きく発展し越後・出羽地方の一大勢力になるとともに、備前守護職を基盤にして備前国児島を中心に瀬戸内海でも一大勢力にもなったのです。  備前守…
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隠岐流佐々木氏

佐々木兄弟の五男義清(五郎左衛門尉・出雲守・隠岐守)の子孫は、隠岐・出雲の守護職を世襲して有力御家人として地歩を固めました。両国守護職は義清の長男政義(太郎左衛門尉)が継承しましたが、無断出家により所職・所領を没収。替わって次男泰清(隠岐次郎・隠岐判官・信濃守)によって継承されました。泰清は奥州惣奉行葛西清親(左衛門尉・伯耆守)の娘婿と…
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