南北朝期の越後佐々木加地氏の系譜 わたしが最近興味をもっているのが、越後佐々木加地氏と隠岐佐々木氏だ。佐々木加地氏に興味をもったのは、鮭延秀綱(愛綱)の子孫大沼氏の系図をみてからである。大沼系図は、ネットで見られる佐々木六角満綱流鯰江氏出身とする鮭延系図とは異なり、佐々木氏の中祖秀義の子真綱から始まり、吉田氏や加地氏、六角氏の人物が登場しながら愛綱に至るというものであ… トラックバック:0 コメント:6 2010年03月08日 続きを読むread more
盛綱流佐々木氏 盛綱流佐々木氏では、承久の乱で北陸道の副将となった信実の子孫加地氏が、越後国加地荘を本拠として越後守護職を世襲した北条得宗家を支援するとともに、備前守護職を世襲しました。盛綱流佐々木氏は北越地方で大きく発展し越後・出羽地方の一大勢力になるとともに、備前守護職を基盤にして備前国児島を中心に瀬戸内海でも一大勢力にもなったのです。 備前守… トラックバック:0 コメント:7 2005年04月09日 続きを読むread more
三郎兵衛尉盛綱 佐々木盛綱(?-1216)秀義の三男。母源為義の娘。本名秀綱。佐々木三郎。左兵衛尉。父秀義とともに東下。はじめ相模波多野義常の許に寄寓しましたが、父秀義の命で長兄定綱とともに源頼朝に近侍。頼朝の乳母子安達盛長を烏帽子親に元服。盛綱と名乗りました。 治承4年(1180)源頼朝の挙兵では、はじめ加藤次景廉・堀藤次親家らとともに頼朝の側近… トラックバック:0 コメント:29 2005年04月04日 続きを読むread more