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  <title>佐々木哲学校「東大日本史」</title>
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  <description>佐々木哲学校＠ウェブリブログ</description>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200805/article_2.html">
  <title>『東大入試で遊ぶ教養　日本史』改訂版</title>
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  <description>現在、『東大入試で遊ぶ教養　日本史編』改訂版を執筆中です。2007年・2008年の解答例と解説も付録としてつけます。改訂内容としては、単純ミスのほか、誤解を招きやすい表現も書きなします。改訂内容は以下のとおりです。 </description>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2008-05-29T00:49:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200702/article_2.html">
  <title>大学基準と予備校基準・東大日本史編</title>
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  <description>東大日本史で必要なのは、発想力だ。知識については、教科書レベルの基礎力で十分だ。この発想力が重要だということが、大学基準と予備校基準の違いだ。　まず知っておいてほしいのは、歴史という学問が目指しているものは、これまで正しいと思われていた歴史常識を疑うということだ。今でも歴史という学問があるのは、歴史が暗記の学問ではなく、つねに歴史学のなかで歴史学の常識が疑われてきたということを示している。　たしかに高校までの勉強では、教科書は正しいものだった。しかし大学では、教科書で学びながら教科...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2007-02-10T19:17:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200610/article_2.html">
  <title>東大日本史・受験生の勘違い</title>
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  <description>　大学で、面白いことが話のネタになったことがある。　それは数年前の早稲田大学でのことだが、日本経済史の授業で、江戸時代の農民の生活について説明したところ、学生から「先生は歴史がわかっていない」と言われたというのだ。どうも学生は小学校から受験時代まで、江戸時代の農民の生活は困窮を極めたと教わってきたらしい。しかし、近年の江戸時代の歴史像は大きく変わっている。江戸時代の経済が成熟していたことがわかってきているのだ。お触れで、お茶を飲んではいけません、贅沢をしてはいけません、旅行（物見遊山）...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2006-10-11T22:58:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200607/article_8.html">
  <title>『東大入試で遊ぶ教養 日本史編』はじめに</title>
  <link>http://blog.sasakitoru.com/200607/article_8.html</link>
  <description>　意外に思われるだろうが、東大入試では受験知識はいらない。考える問題になっているから、教養程度の知識があれば十分だ。だから、『東大入試で遊ぶ教養』シリーズは、受験知識を身につけるための本ではなく、①教養力を身につけたい大人や、②論述力を身につけたい受験生のための本になっている。　まず知っておいてほしいのは、学問が目指しているのは、これまで正しいと思われていた常識を疑うことだ。たしかに高校までの勉強では、教科書は正しいものだった。しかし大学では、教科書で学びながら教科書を批判する。常識を...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2006-07-25T09:25:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200607/article_7.html">
  <title>2003年東大前期・日本史第4問「米が本当に日本人の主食になったのは昭和時代！」</title>
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  <description>次の文章は民俗学者柳田国男が一九五四年に著したものである。これを読んで下記の設問Ａ～Ｃに答えなさい。 　一八七八年（明治一一年）の報告書を見ると、全国農山村の米の消費量は全食糧の三分の一にもおよんでいない。以後兵士その他町の慣習を持ち帰る者が多くなると、米の使用量は漸次増加している。とはいえ明治時代には農民はハレの日以外にはまだ米を食っていなかったといってよろしい。（中略）こんどの戦争中、山村の人々は（１）米の配給に驚いた。当局とすれば、日常米を食わぬ村だと知っていても、制度ともなれば...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2006-07-22T03:18:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200607/article_6.html">
  <title>2005年東大前期・日本史第4問「先進的だった明治憲法」</title>
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  <description>次の文章は、吉野作造が一九一六年に発表した「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」の一部である。これを読んで、下記の設問に答えなさい。 憲法はその内容の主なるものとして、（ａ）人民権利の保障、（ｂ）三権分立主義、（ｃ）民選議院制度の三種の規定を含むものでなければならぬ。たとい憲法の名の下に、普通の法律よりも強い効力を付与せらるる国家統治の根本規則を集めても、以上の三事項の規定を欠くときは、今日これを憲法といわぬようになって居る。（中略）つまり、これらの手段によって我々の権利・...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2006-07-20T00:23:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200607/article_5.html">
  <title>2004年東大前期・日本史第4問「地租改正と農地改革」</title>
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  <description>地租改正と農地改革は、近代日本における土地制度の二大改革であった。これらによって、土地制度はそれぞれどのように改革されたのか、あわせて六行以内で説明しなさい。【解き方】　「地租改正」や「農地改革」を知らない受験生はいない。では説明できるかというと、これがなかなか難しい。　地租改正というと、近代化を目指した明治政府が、国家財政の基礎を固めて安定させるために実施したものというのは知られているが、地租改正そのものが土地制度の改革というのは、どういう意味だろう。　地租改正は、一八八...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2006-07-18T01:05:00+09:00</dc:date>
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  <title>1999年東大前期・日本史第3問「江戸期の家督相続」</title>
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  <description>次の（1）～（5）の文章は、江戸時代の有力な商人たちが書いた、いくつかの「家訓」（子孫への教訓書）から抜粋し、現代語に訳したものである。これらを読んで、下記の設問に答えよ。（1）家の財産は、ご先祖よりの預かりものと心得て、万端わがままにせず、子孫へ首尾よく相続するように、朝暮心掛けること。（2）天子や大名において、次男以下の弟たちはみな、家を継ぐ長男の家来となる。下々の我々においても、次男以下の者は、長男の家来同様の立場にあるべきものだ。（3）長男については、幼少のころから学問...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200607/article_3.html">
  <title>2004年東大前期・日本史第3問「海に開かれた蝦夷地」</title>
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  <description>次の（1）～（3）の文章は、江戸時代における蝦夷地の動向について記したものである。これらを読んで、下記の設問に答えなさい。 （1）アイヌは、豊かな大自然の中、河川流域や海岸沿いにコタン（集落）を作り、漁業や狩猟で得たものを、和人などと交易して生活を支えた。松前藩は蝦夷地を支配するにあたって、有力なアイヌを乙名などに任じ、アイヌ社会を掌握しようとした。また藩やその家臣たちは、アイヌとの交易から得る利益を主な収入とした。（2）一八世紀に入ると、松前藩は交易を広く商人にゆだねるようになり...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
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  <title>2006年東大前期・日本史第3問「琉球王国の繁栄」</title>
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  <description>次の文章（１）・（２）は、一八四六年にフランス海軍提督が琉球王府に通商条約締結を求めたときの往復文書の要約である。これらを読み、下記の設問Ａ・Ｂに答えなさい。 （１）［海軍提督の申し入れ］　北山と南山の王国を中山に併合した尚巴志と、貿易の発展に寄与した尚真との、両王の栄光の時代を思い出されたい。貴国の船はコーチシナ（現在のベトナム）や朝鮮、マラッカでもその姿が見かけられた。あのすばらしい時代はどうなったのか。（２）［琉球王府の返事］　当国は小さく、穀物や産物も少ないのです。先の明王...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200607/article_1.html">
  <title>1984年東大前期第3問「江戸経済の成熟と近代化」</title>
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  <description>以下の二つの設問Ａ、Ｂに答えよ。Ａ．下記の文は、近世の絹織物業の代表的な生産地である、西陣と桐生の歴史を記したものである。この文の下線部（１）、（２）の史実は何故おこったのか、その原因について、それぞれ二行以内で記せ。　京都には、古くから伝統的技術にもとづいた絹織物業があったが、一六世紀末、中国から導入された織物の技術によって、西陣の地に新たな機業がおこった。これ以後、西陣は一七世紀を通じて、絹織物の生産地としての独占的地位を保持しつづけた。幕府が糸割符制度を定めたのも、西陣の存在...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200606/article_6.html">
  <title>2003年東大前期・日本史第3問「江戸幕府の歴史認識と華夷変態」</title>
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  <description>次の文章を読んで、下記の設問Ａ・Ｂに答えなさい。 　一七世紀後半になると、歴史書の編纂がさかんになった。幕府に仕えた儒学者の林羅山・林鵞峰父子は、神代から一七世紀初めまでの編年史である『本朝通鑑』を完成させ、水戸藩では徳川光圀の命により『大日本史』の編纂がはじまった。また、儒学者の山鹿素行は、戦国時代から徳川家康までの武家の歴史を記述した『武家事紀』を著した。　山鹿素行はその一方、一六六九年の序文がある『中朝事実』を書き、国と国の優劣を比較して、それまで日本は異民族に征服されその支...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200606/article_3.html">
  <title>2002年東大前期・日本史第二問「武士と農民は同一階層」</title>
  <link>http://blog.sasakitoru.com/200606/article_3.html</link>
  <description>次のア～エの文章を読んで、下記のＡ～Ｄに答えなさい。 ア　室町時代、国人たちは在地に居館を設け、地侍たちと主従関係を結んでいた。従者となった地侍たちは惣村の指導者層でもあったが、平時から武装しており、主君である国人が戦争に参加するときには、これに従って出陣した。イ　戦国大名は、自分に従う国人たちの所領の検地を行い、そこに住む人々を、年貢を負担する者と、軍役を負担する者とに区別していった。そして国人や軍役を負担する人々を城下町に集住させようとした。ウ　近世大名は、家臣たちを城下町...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200606/article_2.html">
  <title>1983年東大前期・日本史第二問「鎌倉新仏教の誕生」</title>
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  <description>　歴史学を一生の仕事とする決意を固めるのと、ほとんど同じころ、私は高等学校の教壇に立った。私にとって、これが初めての教師経験であり、生徒諸君の質問に窮して教壇上で絶句、立往生することもしばしばであったが、その中でつぎの二つの質問だけは、鮮明に記憶している。「あなたは、天皇の力が弱くなり、滅びそうになったと説明するが、なぜ、それでも天皇は滅びなかったのか。形だけの存在なら、とり除かれてもよかったはずなのに、なぜ、だれもそれができなかったのか」。これは、ほとんど毎年のごとく、私が平安末・鎌...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2006-06-03T07:04:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200606/article_1.html">
  <title>2005年東大前期・日本史第二問「北条泰時消息文」</title>
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  <description>次の文章は、鎌倉幕府執権北条泰時が、弟の六波羅探題重時に宛てて書き送った書状の一節（現代語訳）である。これを読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。 </description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
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  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200605/article_12.html">
  <title>1996年東大前期・日本史第2問「守護・守護大名・戦国大名」</title>
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  <description>次の（１）～（６）の文を読んで下記の設問に答えよ。（１）一三四六年、室町幕府は山賊や海賊、所領争いにおける実力行使などの暴力行為を守護に取り締らせる一方、守護請や兵粮米と号して、守護が荘園や公領を侵略することを禁じた。（２）一四〇〇年、信濃の国人たちは、入国した守護に対して激しく低抗してついに合戦となり、翌年、幕府は京都に逃げ帰っていた守護をやめさせた。（３）一四一四年、九州の一地方の武士たちが作成した契約状によれば、喧嘩を起した場合、双方が処罰されることとなっている。（４...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2006-05-31T11:37:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200605/article_11.html">
  <title>2006年東大前期・日本史第2問「海国日本と平氏」</title>
  <link>http://blog.sasakitoru.com/200605/article_11.html</link>
  <description>院政期における武士の進出について述べた次の(1)～(5)の文章を読んで、下記の設問Ａ・Ｂに答えなさい。 （１）院政期には、荘園と公領が確定される動きが進み、大寺社は多くの荘園の所有を認められることになった。（２）白河上皇は、「私の思い通りにならないものは、賀茂川の水と双六のさいころと比叡山の僧兵だけだ」と言ったと伝えられる。（３）慈円は、『愚管抄』のなかで、「一一五六（保元元）年に鳥羽上皇が亡くなった後、日本国における乱逆ということがおこり、武者の世となった」と述べた。（４...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
  <dc:creator>佐々木哲学校</dc:creator>
  <dc:date>2006-05-29T11:54:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200605/article_8.html">
  <title>2006年東大前期・日本史第1問「藤原的なものと大伴的なもの」</title>
  <link>http://blog.sasakitoru.com/200605/article_8.html</link>
  <description>次の(1)～(4)の文章を読んで、下記の設問に答えなさい。 (1)　律令制では、官人は能力に応じて位階が進む仕組みだったが、五位以上は貴族とされて、様々な特権をもち、地方の豪族が五位に昇って中央で活躍することは多くはなかった。(2)　藤原不比等の長男武智麻呂は、七〇一年に初めての任官で内舎人（天皇に仕える官僚の見習い）となったが、周囲には良家の嫡男として地位が低すぎるという声もあった。彼は学問にも力を注ぎ、右大臣にまで昇った。(3)　太政官で政治を議する公卿には、同一氏族から一...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
  <dc:subject>東大日本史</dc:subject>
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  <dc:date>2006-05-21T15:41:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://blog.sasakitoru.com/200605/article_7.html">
  <title>2003年東大前期・日本史第1問「唐が蕃国 !?」</title>
  <link>http://blog.sasakitoru.com/200605/article_7.html</link>
  <description>次の(1)～(4)の八世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。 (1)　律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。(2)　遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝の元日朝賀（臣下から祝賀をうける儀式）に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。八世紀には、日本は唐に二〇年に一度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。(3)　七四三年、新羅使は、それまでの「調」と...</description>
  <dc:subject>受験</dc:subject>
  <dc:subject>歴史</dc:subject>
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