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2008年東大世界史第3問「交通の歴史」
【問題】 世界史ではヒトやモノの移動、文化の伝播、文明の融合などの点で、道路や鉄道を軸にした交通のあり方が大きな役割を果たしてきた。これに関連して、以下の設問(1)〜(10)に答えなさい。解答は、解答欄(ハ)を用い、設問ごとに行を改め、冒頭に(1)〜(10)の番号を付して記しなさい。 ...続きを見る |
2008/07/11 12:59 |
勉強会再開のお知らせ
現在、『系譜伝承論─佐々木六角氏系図の研究』(思文閣出版、2007年10月刊行予定)の再校を進めると同時に、『絵画資料論─一遍聖絵の図像学』の執筆を進めている最中ですが、勉強会を再開したいと思います。『絵画資料論』が筆了間近ですので、一般書『反信長』執筆の準備をするにあたり、みなさんとお話しするなかで、多くのヒントを得られると思ってのことです。また東大現代文の解釈も、直接お話した方が、みなさんにより多くのものが伝わるのではないかと考えています。 ...続きを見る |
2007/09/02 00:17 |
7月京都勉強会
7月京都勉強会は、下記のとおり実施いたします。 【日時】 2007年7月1日(日) 東大現代文を読む : 13時〜14時半 >>2007年東大前期第4問「解釈学と結婚のカタチ」 系図の読み方講座 : 15時〜16時半 >>『尊卑分脈』と佐々木系図:鎌倉期の仮称・官位 【会費】 3、000円 【会場】 京都市生涯学習総合センター山科 アスニー山科の研修室2 http://web.kyoto-inet.or.jp/org/a... ...続きを見る |
2007/06/08 00:17 |
6月東京勉強会(改訂2)
6月東京勉強会は、下記の日程で実施いたします。 現在、少人数での勉強会ですので、参加者の皆さんの興味に合わせた勉強会にしております。出席希望者にはあらかじめ目印をお知らせしたいので、記事コメントあるいはメールでご連絡願います。 【日時】 6月3日(日)・24日(日) ◆東大入試で教養講座(13:00〜14:50) @現代文講座「2007年東大現代文を読む」 A世界史講座「古代オリエント文明」「ローマ季節風貿易と仏教隆盛」 ※希望者がいらっしゃれば、日本史講座も始めます。 ◆歴史勉... ...続きを見る |
2007/05/20 23:40 |
個人指導始めます。
ブログで東大現代文・日本史・世界史の模範解答を連載し、教養書&参考書である『東大入試で遊ぶ教養』シリーズ(長崎出版)を公刊してきました。そして、わたしの専門科目である現代文・日本史・世界史・小論文(医薬看護系を含む)について、いよいよ受験指導を正式に始めたいと思います。 そこで、予備校講師など専門家レベルが家庭教師や添削指導した場合、どのぐらいの料金なのか調べてみました。 ...続きを見る |
2007/02/27 17:55 |
大学基準と予備校基準・東大現代文編
東大現代文を受験テクニックで解くことができないことは、予備校・青本・赤本の模範解答に誤りが多いことでも分かる。それを正しいと信じている受験生があまりにかわいそうだ。 東大現代文で高得点を挙げたいのであれば、受験テクニックを磨くより、むしろ教養を身に付けた方が早い。教養はすぐに身につかないと思われがちだが、そうでもない。実は大学入試問題で使用されている評論文の多くは、大学教科書や副教材である。大学入学後に、大学教科書や副教材を正確に読むことのできる学生がほしいからだ。だから、大学入試問題で使用... ...続きを見る |
2007/02/14 01:28 |
大学基準と予備校基準・東大世界史編
歴史学は、実は暗記の学問ではなく思考の学問だ。だから、教科書程度の知識があれば、あとは思考力と論理力で解けるという問題が、いい問題だ。ここが、大学基準と予備校基準の大きな違いになってくる。 とくに世界史の第1問の論述問題は、同じ出来事でも、見方を変えるだけで歴史像が大きく変わることを意図している問題だ。そのために、世界史では馴染みのキーワードが用意されている。いずれも馴染みのキーワードだが、そのなかのいくつかを入れ替えるだけでも、出来上がった歴史像はまったく異なる。受験生は気にしていないだろ... ...続きを見る |
2007/02/12 01:07 |
大学基準と予備校基準・東大日本史編
東大日本史で必要なのは、発想力だ。知識については、教科書レベルの基礎力で十分だ。この発想力が重要だということが、大学基準と予備校基準の違いだ。 まず知っておいてほしいのは、歴史という学問が目指しているものは、これまで正しいと思われていた歴史常識を疑うということだ。今でも歴史という学問があるのは、歴史が暗記の学問ではなく、つねに歴史学のなかで歴史学の常識が疑われてきたということを示している。 たしかに高校までの勉強では、教科書は正しいものだった。しかし大学では、教科書で学びながら教科書を批... ...続きを見る |
2007/02/10 19:17 |
大学基準と予備校基準
ことし東大受験生を指導していて、いちばん驚いたのは、予備校の東大模試の模範解答がとてもではないが模範解答といえるものではなかったことだ。むしろ誤っている。自分たちでつくっている問題だから、とても素晴らしい模範解答ができていいはずなのに、そうではない。これは、どうしてなんだろう。 ...続きを見る |
2007/02/04 13:12 |
2006年東大前期・国語第1問「来世観」
なにゆえに死者の完全消滅を説く宗教伝統は人類の宗教史の中で例外的で、ほとんどの宗教が何らかの来世観を有しているのであろうか。なにゆえに死者の存続がほとんどの社会で説かれているのか。答えは単純である。(ア)死者は決して消滅などしないからである。親・子・孫は相互に似ており、そこには消滅せずに受け継がれていく何かがあるのを実感させる。失せることのない名、記億、伝承の中にも、死者は生きている。もっと視野を広げれば、現在の社会は、すべて過去の遺産であり、過去が(a)チンデンしており、過去によって規定され... ...続きを見る |
2006/11/12 15:46 |
2006年東大前期・国語第4問「教育問題」
産業革命以前の大部分の子どもは、学校においてではなく、それぞれの仕事が行なわれている現場において、親か親代りの大人の仕事の後継者として、その仕事を見習いながら、一人前の大人となった。そこには、同じ仕事を共有する先達と後輩の関係が成り立つ基盤がある。(ア)それが大人の権威を支える現実的根拠であった。そういった関係をあてにできないところに、近代学校の教師の役割の難しさがあるのではないか。つまり学習の強力な動機づけになるはずの職業共有の意識を子どもに期待できず、また人間にとっていちばんなじみやすい見... ...続きを見る |
2006/11/07 12:51 |
『東大入試で遊ぶ教養 世界史編』はじめに
歴史学は、実は暗記の学問ではなく思考の学問だ。だから、教科書程度の知識があれば、あとは思考力と論理力で解けるという問題が、いい問題だ。それが、まさに東大入試だ。 しかし同じ歴史科目でも、日本史と世界史では勉強の仕方がちがう。日本史では歴史を深めることが求められるが、世界史では出来事をタテ・ヨコにつなげていくことが求められる。視点を変えるだけでも、大きく歴史観が変わるからだ。 東大世界史の論述問題では、いくつかのキーワードが用意されている。キーワードは教科書で学ぶ範囲のもので、お馴染みの... ...続きを見る |
2006/10/22 02:16 |
東大日本史・受験生の勘違い
大学で、面白いことが話のネタになったことがある。 それは数年前の早稲田大学でのことだが、日本経済史の授業で、江戸時代の農民の生活について説明したところ、学生から「先生は歴史がわかっていない」と言われたというのだ。どうも学生は小学校から受験時代まで、江戸時代の農民の生活は困窮を極めたと教わってきたらしい。しかし、近年の江戸時代の歴史像は大きく変わっている。江戸時代の経済が成熟していたことがわかってきているのだ。お触れで、お茶を飲んではいけません、贅沢をしてはいけません、旅行(物見遊山)をして... ...続きを見る |
2006/10/11 22:58 |
2006年東大前期・世界史第1問「近代が生んだナショナリズム」
近代以降のヨーロッパでは主権国家が誕生し、民主主義が成長した反面、各地で戦争が多発するという一見矛盾した傾向が見られた。それは、国内社会の民主化が国民意識の高揚をもたらし、対外戦争を支える国内的基盤を強化したためであった。他方、国際法を制定したり、国際機関を股立することによって戦争の勃発を防ぐ努力もなされた。 このように戦争を助長したり、あるいは戦争を抑制したりする傾向が、三十年戦争、フランス革命戦争、第一次世界大戦という三つの時期にどのように現れたのかについて、解答欄(イ)に一七行以内で脱... ...続きを見る |
2006/09/12 02:16 |
2005年東大前期・世界史第1問「負の遺産と現代世界」
人類の歴史において、戦争は多くの苦悩と惨禍をもたらすと同時に、それを乗り越えて平和と解放を希求するさまざまな努力を生みだす契機となった。 第二次世界大戦は一九四五年に終結したが、それ以前から連合国側ではさまざまな戦後構想が練られており、これらは国際連合など新しい国際秩序の枠組みに帰結した。しかし、国際連合の成立がただちに世界平和をもたらしたわけではなく、米ソの対立と各地の民族運動などが結びついて新たな紛争が起こっていった。例えば、中国では抗日戦争を戦っているなかでも国民党と共産党の勢カ争いが... ...続きを見る |
2006/09/09 02:27 |
2004年東大前期・世界史第1問「銀が歴史を変えた」
一九八五年のプラザ合意後、金融の国際化が著しく進んでいる。一九九七年のアジア金融危機が示しているように、現在では一国の経済は世界経済の変動と直結している。世界経済の一体化は一六、一七世紀に大量の銀が世界市場に供給されたことに始まる。一九世紀には植民地のネットワークを通じて、銀行制度が世界化し、近代国際金融制度が始まった。一九世紀に西欧諸国が金本位制に移行する中で、東アジアでは依然として銀貨が国際交易の基軸貨幣であった。この東アジア国際交易体制は、一九三〇年代に、中国が最終的に銀貨の流通を禁止する... ...続きを見る |
2006/09/08 03:24 |
2003年東大前期・世界史第1問「技術と歴史の深い関係」
私たちは、情報革命の時代に生きており、世界の一体化は、ますます急速に進行している。人や物がひんぱんに行き交うだけでなく、情報はほとんど瞬時に全世界へ伝えられる。この背後には、運輸・通信技術の飛躍的な進歩があると言えよう。 歴史を振り返ると、運輸・通信手段の新展開が、大きな役割を果たした例は少なくない。特に、一九世紀半ばから二〇世紀初頭にかけて、有線・無線の電信、電話、写真機、映画などの実用化がもたらされ、視聴覚メディアの革命も起こった。またこれらの技術革新は、欧米諸国がアジア・アフリカに侵略... ...続きを見る |
2006/09/07 01:01 |
2002年東大前期・世界史第1問「華僑の歴史」
世界の都市を旅すると、東南アジアに限らず、オセアニアや南北アメリカ、ヨーロッパなど、至る所にチャイナ・タウンがあることに驚かされる。その起源を探ると、東南アジアの場合には、すでに宋から明の時代に、各地に中国出身者の集住する港が形成され始めていた。しかし、中国から海外への移住者が急増したのは、一九世紀になってからであった。その際、各地に移住した中国人は低賃金の労働者として酷使されたり、ヨーロッパ系の移住者と競合して激しい排斥運動に直面したりした。例えば、米国の場合、一八八二年には新たな中国人移民の... ...続きを見る |
2006/09/05 11:56 |
2001年東大前期・世界史第1問「エジプトの歴史」
輝かしい古代文明を建設したエジプトは、その後も、連綿として五〇〇〇年の歴史を営んできた。その歴史は、豊かな国土を舞台とするものであるが、とりわけ近隣や遠方から到来して深い刻印を残した政治勢力と、これに対するエジプト側の主体的な対応との関わりを抜きにしては、語ることができない。 こうした事情に注意を向け、 (1)エジブトに到来した側の関心や、進出に至った背景 (2)進出をうけたエジブト側がとった政策や行動 の両方の側面を考えながら、エジプトが文明の発祥以来、いかなる歴史的展開をとげて... ...続きを見る |
2006/09/03 00:47 |
2000年東大前期・世界史第1問「中国思想が啓蒙思想に影響を与えた」
大航海時代以降、アジアに関する詳しい情報がヨーロッパにもたらされると、特に一八世紀フランスの知識人たちの間では、東方の大国である中国に対する関心が高まった。以下に示すように、中国の思想や社会制度に対する彼らの評価は、称賛もあり批判もあり、様々だった。彼らは中国を鏡として自国の問題点を認識したのであり、中国評価は彼らの社会思想と深く結びついている。 ...続きを見る |
2006/09/01 23:45 |
1999年東大前期・世界史第1問「地域を通して世界を見る・スペインの歴史」
ある地域の歴史をたどると、そこに世界史の大きな流れが影を落としていることがある。イベリア半島の場合もその例外ではない。この地域には古来さまざまな民族が訪れ、多様な文化の足跡を残した。とりわけヨーロッパやアフリカの諸勢力はこの地域にきわめて大きな影響を及ぼしている。このような広い視野のもとでながめるとき、紀元前三世紀から紀元一五世紀末にいたるイベリア半島の歴史はどのように展開したのだろうか。その経過について解答欄(イ)に一五行以内で述べよ。なお、下に示した語句を一度は用い、使用した語句に必ず下線を... ...続きを見る |
2006/08/31 23:42 |
1998年東大前期・世界史第1問「南北アメリカ・歴史の分岐点」
アメリカ合衆国とラテンアメリカ諸国は、ともにヨーロッパ諸国の植民地として出発した。しかし、独立後は、イギリスの産業革命などの影響の下で対照的な道を歩むことになった。たとえば、アメリカ合衆国の場合には、急速な工業化を実現していったのに対して、ラテンアメリカ諸国の場合には、長く原材料の輸出国の地位にとどまってきた。そしてラテンアメリカ諸国は、政治的にも経済的にもアメリカ合衆国の強い影響下におかれることになったが、その特徴は、現在のラテンアメリカ諸国のあり方にも大きな影響を及ぼしている。 そこで、... ...続きを見る |
2006/08/31 01:00 |
1997年東大前期・世界史第1問「少数民族問題」
二〇世紀の民族運動の展開を考えるさい、第一次世界大戦の前後の時期は大きな意味をもっている。この時期にはユーラシアの東西で旧来の帝国が崩壊し、その結果一部の地域では独立国家も生まれたが、未解決の問題も多く残った。それは、現代世界の民族と国家をめぐる紛争の原点ともなった。こうした旧来の帝国の解体の経過とその後の状況について、とくにそれぞれの帝国の解体過程の相違に留意しながら、解答欄(イ)に一五行以内で述べよ。なお、下に示した語句を一度は用い、使用した箇所には必ず下線を付せ。 ...続きを見る |
2006/08/30 00:21 |
1996年東大前期・世界史第1問「大英帝国の栄光と没落」
一八世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、世界全体に工業社会の到来をもたらし、現代世界の形成に大きな役割を果たした。そのさい、人々はイギリスの覇権を「パクス・ローマーナ」(ローマの平和)になぞらえて「パクス・ブリタニカ」と呼んだ。しかし、「パクス・ブリタニカ」の展開には、さまざまな地域において、これに対抗する多様な動きが伴った。現代世界はこのような対抗関係を重ねるなかで形作られたとも言えよう。そこで、一九世紀中ごろから二〇世紀五〇年代までの「パクス・ブリタニカ」の展開と衰退の歴史について、下に... ...続きを見る |
2006/08/28 23:52 |
『東大入試で遊ぶ教養−日本史編』刊行!!
歴史好きの大人と東大受験生のための佐々木哲著『東大入試で遊ぶ教養−日本史編』(長崎出版)が、ついに刊行です。また、マイナーだけど実はすごい佐々木氏・六角氏をその実力どおり具体例にしましたので、佐々木氏・六角氏マニアの方が読んでも楽しめます。紀伊國屋屋書店・三省堂書店・ジュンク堂・丸善・オリオン書房など、有名書店では店頭にあります。分類は人文・歴史ですが、書店によっては受験コーナーにあります。インターネットではアマゾン・BK1などで購入できます。最寄りの書店・セブン-イレブンでも、ご注文できます。... ...続きを見る |
2006/08/08 00:54 |
『東大入試で遊ぶ教養 日本史編』はじめに
意外に思われるだろうが、東大入試では受験知識はいらない。考える問題になっているから、教養程度の知識があれば十分だ。だから、『東大入試で遊ぶ教養』シリーズは、受験知識を身につけるための本ではなく、@教養力を身につけたい大人や、A論述力を身につけたい受験生のための本になっている。 まず知っておいてほしいのは、学問が目指しているのは、これまで正しいと思われていた常識を疑うことだ。たしかに高校までの勉強では、教科書は正しいものだった。しかし大学では、教科書で学びながら教科書を批判する。常識を身につ... ...続きを見る |
2006/07/25 09:25 |
2003年東大前期・日本史第4問「米が本当に日本人の主食になったのは昭和時代!」
次の文章は民俗学者柳田国男が一九五四年に著したものである。これを読んで下記の設問A〜Cに答えなさい。 一八七八年(明治一一年)の報告書を見ると、全国農山村の米の消費量は全食糧の三分の一にもおよんでいない。以後兵士その他町の慣習を持ち帰る者が多くなると、米の使用量は漸次増加している。とはいえ明治時代には農民はハレの日以外にはまだ米を食っていなかったといってよろしい。(中略)こんどの戦争中、山村の人々は(1)米の配給に驚いた。当局とすれば、日常米を食わぬ村だと知っていても、制度ともなれば配給か... ...続きを見る |
2006/07/22 03:18 |
2005年東大前期・日本史第4問「先進的だった明治憲法」
次の文章は、吉野作造が一九一六年に発表した「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」の一部である。これを読んで、下記の設問に答えなさい。 憲法はその内容の主なるものとして、(a)人民権利の保障、(b)三権分立主義、(c)民選議院制度の三種の規定を含むものでなければならぬ。たとい憲法の名の下に、普通の法律よりも強い効力を付与せらるる国家統治の根本規則を集めても、以上の三事項の規定を欠くときは、今日これを憲法といわぬようになって居る。(中略)つまり、これらの手段によって我々の権利・自由が... ...続きを見る |
2006/07/20 00:23 |
2004年東大前期・日本史第4問「地租改正と農地改革」
地租改正と農地改革は、近代日本における土地制度の二大改革であった。これらによって、土地制度はそれぞれどのように改革されたのか、あわせて六行以内で説明しなさい。 【解き方】 「地租改正」や「農地改革」を知らない受験生はいない。では説明できるかというと、これがなかなか難しい。 地租改正というと、近代化を目指した明治政府が、国家財政の基礎を固めて安定させるために実施したものというのは知られているが、地租改正そのものが土地制度の改革というのは、どういう意味だろう。 地租改正は、一八八〇年ご... ...続きを見る |
2006/07/18 01:05 |
1999年東大前期・日本史第3問「江戸期の家督相続」
次の(1)〜(5)の文章は、江戸時代の有力な商人たちが書いた、いくつかの「家訓」(子孫への教訓書)から抜粋し、現代語に訳したものである。これらを読んで、下記の設問に答えよ。 (1)家の財産は、ご先祖よりの預かりものと心得て、万端わがままにせず、子孫へ首尾よく相続するように、朝暮心掛けること。 (2)天子や大名において、次男以下の弟たちはみな、家を継ぐ長男の家来となる。下々の我々においても、次男以下の者は、長男の家来同様の立場にあるべきものだ。 (3)長男については、幼少のころから学問をさせ... ...続きを見る |
2006/07/14 21:14 |
2004年東大前期・日本史第3問「海に開かれた蝦夷地」
次の(1)〜(3)の文章は、江戸時代における蝦夷地の動向について記したものである。これらを読んで、下記の設問に答えなさい。 (1)アイヌは、豊かな大自然の中、河川流域や海岸沿いにコタン(集落)を作り、漁業や狩猟で得たものを、和人などと交易して生活を支えた。松前藩は蝦夷地を支配するにあたって、有力なアイヌを乙名などに任じ、アイヌ社会を掌握しようとした。また藩やその家臣たちは、アイヌとの交易から得る利益を主な収入とした。 (2)一八世紀に入ると、松前藩は交易を広く商人にゆだねるようになり、一八... ...続きを見る |
2006/07/14 02:25 |
2006年東大前期・日本史第3問「琉球王国の繁栄」
次の文章(1)・(2)は、一八四六年にフランス海軍提督が琉球王府に通商条約締結を求めたときの往復文書の要約である。これらを読み、下記の設問A・Bに答えなさい。 (1)[海軍提督の申し入れ] 北山と南山の王国を中山に併合した尚巴志と、貿易の発展に寄与した尚真との、両王の栄光の時代を思い出されたい。貴国の船はコーチシナ(現在のベトナム)や朝鮮、マラッカでもその姿が見かけられた。あのすばらしい時代はどうなったのか。 (2)[琉球王府の返事] 当国は小さく、穀物や産物も少ないのです。先の明王朝から... ...続きを見る |
2006/07/13 10:36 |
1984年東大前期第3問「江戸経済の成熟と近代化」
以下の二つの設問A、Bに答えよ。 A.下記の文は、近世の絹織物業の代表的な生産地である、西陣と桐生の歴史を記したものである。この文の下線部(1)、(2)の史実は何故おこったのか、その原因について、それぞれ二行以内で記せ。 京都には、古くから伝統的技術にもとづいた絹織物業があったが、一六世紀末、中国から導入された織物の技術によって、西陣の地に新たな機業がおこった。これ以後、西陣は一七世紀を通じて、絹織物の生産地としての独占的地位を保持しつづけた。幕府が糸割符制度を定めたのも、西陣の存在と無関... ...続きを見る |
2006/07/07 22:24 |
2003年東大前期・日本史第3問「江戸幕府の歴史認識と華夷変態」
次の文章を読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。 一七世紀後半になると、歴史書の編纂がさかんになった。幕府に仕えた儒学者の林羅山・林鵞峰父子は、神代から一七世紀初めまでの編年史である『本朝通鑑』を完成させ、水戸藩では徳川光圀の命により『大日本史』の編纂がはじまった。また、儒学者の山鹿素行は、戦国時代から徳川家康までの武家の歴史を記述した『武家事紀』を著した。 山鹿素行はその一方、一六六九年の序文がある『中朝事実』を書き、国と国の優劣を比較して、それまで日本は異民族に征服されその支配をう... ...続きを見る |
2006/06/22 02:14 |
2002年東大前期・日本史第二問「武士と農民は同一階層」
次のア〜エの文章を読んで、下記のA〜Dに答えなさい。 ア 室町時代、国人たちは在地に居館を設け、地侍たちと主従関係を結んでいた。従者となった地侍たちは惣村の指導者層でもあったが、平時から武装しており、主君である国人が戦争に参加するときには、これに従って出陣した。 イ 戦国大名は、自分に従う国人たちの所領の検地を行い、そこに住む人々を、年貢を負担する者と、軍役を負担する者とに区別していった。そして国人や軍役を負担する人々を城下町に集住させようとした。 ウ 近世大名は、家臣たちを城下町に強制... ...続きを見る |
2006/06/06 12:05 |
1983年東大前期・日本史第二問「鎌倉新仏教の誕生」
歴史学を一生の仕事とする決意を固めるのと、ほとんど同じころ、私は高等学校の教壇に立った。私にとって、これが初めての教師経験であり、生徒諸君の質問に窮して教壇上で絶句、立往生することもしばしばであったが、その中でつぎの二つの質問だけは、鮮明に記憶している。 「あなたは、天皇の力が弱くなり、滅びそうになったと説明するが、なぜ、それでも天皇は滅びなかったのか。形だけの存在なら、とり除かれてもよかったはずなのに、なぜ、だれもそれができなかったのか」。これは、ほとんど毎年のごとく、私が平安末・鎌倉初期... ...続きを見る |
2006/06/03 07:04 |
2005年東大前期・日本史第二問「北条泰時消息文」
次の文章は、鎌倉幕府執権北条泰時が、弟の六波羅探題重時に宛てて書き送った書状の一節(現代語訳)である。これを読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。 ...続きを見る |
2006/06/01 21:22 |
1996年東大前期・日本史第2問「守護・守護大名・戦国大名」
次の(1)〜(6)の文を読んで下記の設問に答えよ。 (1)一三四六年、室町幕府は山賊や海賊、所領争いにおける実力行使などの暴力行為を守護に取り締らせる一方、守護請や兵粮米と号して、守護が荘園や公領を侵略することを禁じた。 (2)一四〇〇年、信濃の国人たちは、入国した守護に対して激しく低抗してついに合戦となり、翌年、幕府は京都に逃げ帰っていた守護をやめさせた。 (3)一四一四年、九州の一地方の武士たちが作成した契約状によれば、喧嘩を起した場合、双方が処罰されることとなっている。 (4)一五... ...続きを見る |
2006/05/31 11:37 |
2006年東大前期・日本史第2問「海国日本と平氏」
院政期における武士の進出について述べた次の(1)〜(5)の文章を読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。 (1)院政期には、荘園と公領が確定される動きが進み、大寺社は多くの荘園の所有を認められることになった。 (2)白河上皇は、「私の思い通りにならないものは、賀茂川の水と双六のさいころと比叡山の僧兵だけだ」と言ったと伝えられる。 (3)慈円は、『愚管抄』のなかで、「一一五六(保元元)年に鳥羽上皇が亡くなった後、日本国における乱逆ということがおこり、武者の世となった」と述べた。 (4)平氏... ...続きを見る |
2006/05/29 11:54 |
2006年東大前期・日本史第1問「藤原的なものと大伴的なもの」
次の(1)〜(4)の文章を読んで、下記の設問に答えなさい。 (1) 律令制では、官人は能力に応じて位階が進む仕組みだったが、五位以上は貴族とされて、様々な特権をもち、地方の豪族が五位に昇って中央で活躍することは多くはなかった。 (2) 藤原不比等の長男武智麻呂は、七〇一年に初めての任官で内舎人(天皇に仕える官僚の見習い)となったが、周囲には良家の嫡男として地位が低すぎるという声もあった。彼は学問にも力を注ぎ、右大臣にまで昇った。 (3) 太政官で政治を議する公卿には、同一氏族から一人が出... ...続きを見る |
2006/05/21 15:41 |
2003年東大前期・日本史第1問「唐が蕃国 !?」
次の(1)〜(4)の八世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。 (1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。 (2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝の元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。八世紀には、日本は唐に二〇年に一度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。 (3) 七四三年、新羅使は、それまでの「調」という貢... ...続きを見る |
2006/05/20 01:28 |
大学受験と少子化−大学二極化の時代
わたしが大学受験指導をしている地元立川の塾は、中学・高校受験が中心であるため、わたしが教えている現役専門大学受験は50名ほどだった。わたしはそのなかの国公立早慶上智文系クラス担当(10名程度)だが、今回の受験結果を延べ人数で表すと、一橋大1名、東京外語大2名、東京学芸大1名、早稲田大11名、慶應義塾大1名、上智3名、以下略という結果だった。河合塾の隣にあって少人数にならざるをえない塾では、毎年東大文系受験者がいるわけではない。それでもほとんどの受験生が第一志望に合格したので、これだけの結果が出た... ...続きを見る |
2006/03/26 23:02 |
1995年東大前期・国語第一問「他者への眼差し」
市村弘正『小さなものの諸形態』より出典。 【問題文】 物との結びつきを根本的に変質させ、社会との結びつきを根底的に変化させつつある私たちにとって、そこでの出来事の生成と着床のあり方は、経験におけるそれとは正反対である。正反対であるような変質であり、変化なのである。その「結びつき」が含んでいた物事のあらゆる局面は、時間とともに結晶するのではなく、反対に一つ一つその aリンカクと形状と特性とを曖昧にし消失していく。それはくっきりと刻まれ印づけられるということがない。この限りで現代の私たちを貫く... ...続きを見る |
2006/02/11 22:29 |
1996年東大前期・国語第五問「身体論・人間の記憶」
三善晃「指の骨に宿る人間の記憶」より出典 【問題文】 谷川俊太郎さんの詩《ポール・クレーの絵による「絵本」のために》のなかの一編〈死と炎〉は、「かわりにしんでくれるひとがいないので わたしはじぶんねしなねばならない」で始まる。それで、「わたしはわたしのほねになる」。そのとき私の骨は、この世のなにものも携えてゆくことができない。「せめてすきなうただけは きこえていてはくれないだろうか わたしのほねのみみに」 この十年ほど、時々右腕が使えなくなる。細かい五線紙に音譜を書き揃える仕事のためか... ...続きを見る |
2006/01/03 00:32 |
1996年東大前期・国語第二問「教育論」
中原俊『子どもの謎−神様が降りてくるまで』より出典。 【問題】 次の文章は、ある映画監督が書いた文章である。これを読み、傍線部ア・イ・ウのいずれかを選び、それを手掛かりとして、感じたこと、考えたことを、160字以上200字以内で記せ(句読点も一字として数える)。なお、解答用紙の指定欄に、手掛かりとして選んだ傍線部の記号を記入せよ。 注意 採点に際しては、表記についても考慮する。 【問題文】 どうして子どもの頃の映画のなんか作りたいと思ったのだろうか? やっぱり年のせいかな、40越... ...続きを見る |
2005/12/31 15:02 |
1996年東大前期・国語第一問「科学思想」
坂本賢三『科学思想史』より出典。 【問題文】 科学研究にあたっては、科学者は常にある一定の前提のもとに対象に立ち向かっている。それは必ずしも研究者自身に意識されているとは言えないが、それでも事情は変らない。たとえば、現在の大部分の科学者は、対象の中に法則性があることを疑っては居らず、対象に内在するはずの「法則」を発見しようとしている。この場合、「法則」が存在するかどうかは科学の問題ではない。それは現代の科学者にとっては自明の前提なのであって、つまり前提なのである。 しかし、対象の中に法... ...続きを見る |
2005/12/26 01:35 |
1997年東大前期・国語第五問「時の流れ」
長田弘『自分の時間へ』より出典。 【問題文】 川の流れを見るのが好きだ。たとえどんな小さな流れであろうと、川のうえにあるのは、いつだって空だ。川の流れをじっと見つめていると、わたしは川の流れがつくる川面を見つめているのだが、わたしが見つめているのは、同時に川面がうつしている空であるということに気づく。ふしぎだ。川は川であって、じつは川面にうつる空でもあるということ。すなわち川は、みずからのうちに、自らの空をもっているということ。 川の流れをずっと見ていて、いつも覚えるのはそのふしぎな感... ...続きを見る |
2005/12/06 20:09 |
1997年東大前期・国語第二問「見る」
多田智満子『鏡のテオーリア』より出典。 【問題文】 見るためには対象と自分との間に距離をおかなければならない。これは明白な事実である。 しかし、見るという行為が、対象との間の物理的距離を心理的にゼロにする場合がある。他者のまなざしが私に向けられ、そのまなざしが私をとらえたときがそれだ。 私が或る人の眼を美しいと思ったり、眼の表情に注意したりすることができるのは、その人が私にまなざしを向けているまさにそのときではない。私が彼にまなざしを向け、彼が私にまなざしを向けていないとき、私は距... ...続きを見る |
2005/12/06 15:55 |
1997年東大前期・国語第一問「歴史と物語」
坂本多加雄『象徴天皇制度と日本の来歴』より出典。 【内容】 ある人物についての物語が、なによりも当の本人を満足させなければならない場合とは、どのような場合であろうか。それは、自分が不確かな未来や危機的状況を前にして、何らかの選択あるいは決断をしなければならない場合である。このような場合、ひとはその選択や決断が自分にいい結果をもたらすかどうか判断するために、過去の事例を探り、自分の能力や資質を確認しようとするだろう。そして、その決断が自分にふさわしいものか確認しようとするのではないだろうか。... ...続きを見る |
2005/12/05 14:16 |
1998年東大前期・国語第五問「時間」
檜山哲彦『時の巨人』より出典。 【内容】 さして用があるわけでもないのに、なにやら腰の落ち着かない年の瀬になると、毎年きまって思い出す句がある。 年を以て巨人としたり歩み去る 作者は高浜虚子だ。心そぞろなわが身に比べ、大股で歩む巨人の姿が大きく感じられ、その悠然としたさまに心を傾けたくなるせいだろうか。 「年歩む・去ぬる年」は冬・歳末の季語だが、年末年始の虚子の句なら、 去年今年貫く棒の如きもの の方がむしろ人口に膾炙しているかもしれない。 じっさい「時」の姿をこ... ...続きを見る |
2005/11/30 00:40 |
1998年東大前期・国語第二問「社会人」
赤瀬川原平『社会人原論』より出典。 【内容】 社会人は領収書をもらう。社会人がなぜ領収書をもらうのかというと、税金を払っているからである。領収書がないと仕事上の必要経費として認めてもらえず、自分の出費になる。 ところが食事などの場合、仕事なのかプライベートなのか、ちょっと曖昧なことがある。またプライベートの場合でもとりあえず領収書をもらっておけば、いざというとき仕事上の経費として落とせるかもしれないと考えたりもする。その複雑な谷間を歩いていくのが社会人だ。 社会人どうしが食事をして... ...続きを見る |
2005/11/29 21:04 |
1998年東大前期・国語第一問「脳死」
西谷修「問われる『身体』の生命」(『朝日新聞』1992年1月28日夕刊〈変わるか死生観「脳死臨調」答申に思う〉)より出典。 【内容】 ふつう死は、心臓が停止して血流がとだえ、それに続く全身の生命活動の停止として起こる。ところが脳が先に機能停止に陥ることがある。この場合、中枢神経をまとめる脳の死によって全身もやがて死ぬことになるが、人工呼吸器の力でしばらく脳死状態の身体を「生かして」おくことができる。つまり死を抑制するテクノロジーの介入によって、死を中断された中間的身体が作り出されるのである... ...続きを見る |
2005/11/28 00:56 |
1999年東大前期・国語第五問「短型詩」
柳沢桂子『生と死が創るもの』より出典。 【内容】 俳句や短歌は不思議な詩型である。短い言葉のなかに、長い言葉よりも広い世界を表現することができる。長い詩型が言葉によってすべてを限定するのに対して、短い詩型は読者のイマジネーションに頼るために、表出される世界が広がるからだ。 そういえば、短歌では小さいものを詠うのはやさしいが、大きなものを詠うのが難しいとされる。たとえば、海に浮かぶ小舟を詠うことはできるが、ただ広い海だけを詠うのは難しい。 これは人間の神経系の構造と関係があろうと私は... ...続きを見る |
2005/11/24 13:23 |
1999年東大前期・国語第二問「青春論」
安部公房『砂漠の思想』より出典。 【内容】 これまで日本では青春は不当に買いかぶられるか、不当に抑圧を強いられてきたと思う。しかし、よく考えてみれば、どちらも青春は清純なものだという固定観念のうえに成り立っていたのだ。どちらも、青年をひとつの青春概念の中に閉じ込めているのである。 だが、本当の青春は、自分が青春であることに決して甘んじたりしない自己否定の精神のことである。現状を認めないことが未完成な魂の特質であり、だからこそ完成に向かうたくましさもある。青虫も、現状否定によって初めてチョ... ...続きを見る |
2005/11/24 02:27 |
1999年東大前期・国語第一問「身体論」
鷲田清一『普通をだれも教えてくれない』より出典。 【内容】 身体はひとつの物質体であることは間違いないが、他の物質体とは異質な現われ方をする。 たとえば、身体が正常に機能しているとき、ほとんど意識のなかに現われない。歩くとき、脚の存在はほとんど意識されない。意識することで、かえって脚がもつれてしまう。つまり、わたしたちにとって身体は、普通は素通りされる透明なものであって、その存在はいわば消えている。しかし、その同じ身体が、たとえば疲れているとき、病気のとき、にわかに不透明なものとして、あ... ...続きを見る |
2005/11/23 21:22 |
東大現代文・受験現代文での出題者の意図
東大国語の現代文を読むときに注意してほしいことは、どんなに反発したい内容であっても反発しないで、賛成しながら読むということである。これは東大現代文に限らず、どの大学の現代文にもいえることだが、受験生でも反論できるほどヤワな評論文が、受験現代文で使用されることはない。反発を感じたとしたら、むしろ読み方が浅いということだ。出題者は、その評論文を読んで何かを感じてほしいと思って出題しているのである。 しかし大学は、従順な学生を欲しがっているわけではない。正しく理解できなければ、正しく批判することも... ...続きを見る |
2005/11/23 17:08 |
2000年東大前期・国語第四問「言葉」
三木卓『海辺の博物館』より出典。 【内容要約】 窓の向こうには丘がある。この数年、この丘をながめながら仕事をしていたから、この丘の変化は分かったつもりでいた。それでも見落としているものを発見したり、知っているものでもあらためて感銘したりする。 去年、わたしは自分にしては長い時間を書けた小説を発表した。今わたしは次の、時間のかかる小説に着手しようとしている。それは、わたし自身も変化していると、感じるからだ。 小説は、自分をからめとる世界をひとつ自分なりに書くということだ。そのときは、... ...続きを見る |
2005/11/22 14:28 |
2000年東大前期・国語第一問「環境問題」
加茂直樹『社会哲学の現代的展開』の中の「環境保護は何を意味するか」より出典。 【内容要約】 環境問題を取り上げるとき、環境保護は当然のことと考えられている。しかし「環境の保護」という言葉を、みんなが同じ意味でつかっているわけではない。そしてその微妙な差異が、実践の上では重大な差異になりうる。 そのうえ環境保護の対象として「環境」「自然」「生態系」が挙げられるが、これらの間にはニュアンスの違いがあり、場合によってはその違いが大きなものになる。 まず自然は、近代自然科学的な見方によれば... ...続きを見る |
2005/11/21 00:18 |
2001年東大前期・国語第四問「携帯電話」
岡部隆志『言葉の重力』より出典。 【内容要約】 携帯電話を通した会話は、独り言の掛け合いではないだろうか。会話の中に特に伝えたいことを強調するポイントがなく、ただ自分のことをとりとめもなくしゃべっている。そこにあるのは、自分の独り言を一方的に話すという関係である。 インターネットで飛び交う声も、独り言に近い。だから私はそこに私的な文章を載せる気になれない。文は自分に向って書くもの、他者へ伝達するものと、私は思っているからである。 独り言には、何かを伝えようというメッセージ性がない。か... ...続きを見る |
2005/11/17 01:29 |
2001年東大前期・国語第一問「母国語」
リービ英雄「ぼくの日本語遍歴」(『新潮』2000年5月号)より出典。 【内容要約】 ぼくが「星条旗の聞こえない部屋」を発表してから、なぜ母国語の英語ではなく日本語で書いたのか聞かれた。その質問の中には、英語で書いた方が楽だろうし、近代でもポスト近代でも英語が支配的な言語であるのにという意味合いが含まれていた。 ぼくが日本語で書きたくなったのは、日本語が美しいからだ。しかし、もっと大きな理由は、外国人にとっては壁であり潜戸でもある日本語について、小説を書きたくなったからだ。西洋から日本へ「... ...続きを見る |
2005/11/16 00:21 |
2002年東大前期・国語第四問「解釈学・系譜学・考古学」
永井均『転校生とブラック・ジャック』の中の「解釈学・系譜学・考古学」より出典。 ...続きを見る |
2005/11/13 17:18 |
2002年東大前期・国語第一問「生と死」
村上陽一郎『生と死への眼差し』の中の「死すべきものとしての人間」より出典。 【内容要約】 一人称の死は、生きているかぎり決して体験されることのない、未知のものである。それは論理的には知りえないものである。では、知りえないものに対しての恐怖はどのような形をとるのだろうか。おそらく死への恐怖は、人が人間であることの証明であるといえるだろう。 まず消極的な面から考察してみよう。第三人称の死は、私にとっては単なる客観的な事物の消滅であり、本当の意味での「死」ではない。自分の前に立ちはだかる未知の... ...続きを見る |
2005/11/10 23:37 |
東大国語・現代文対策
東大現代文を受験テクニックで解くことができないことは、予備校・青本・赤本の模範解答に誤りが多いことでも分かる。それを正しいと信じている受験生があまりりにかわいそうだと思い、佐々木哲学校ブログ版で東大前期・国語第一問・第四問の解答例を連載している。 東大現代文で高得点を挙げたいのであれば、受験テクニックを磨くより、むしろ教養を身に付けた方が早い。教養はすぐに身につかないと思われがちだが、そうでもない。実は大学入試問題で使用されている評論文の多くは、大学教科書や副教材である。大学入学後に、大学... ...続きを見る |
2005/11/08 17:17 |
2003年東大前期・国語第四問「詩作と引用」
篠原資明『言の葉の交通論』の中の「T詩的言語への交通論 詩と痕跡過剰性」より出典。 【内容要約】 作品の背後には過去の無数の作品がある。それだけでも十分に痕跡の過剰について語ることができる。しかし、痕跡の過剰とはそれだけを意味するのではない。実は、過去の作品には別様でありえたかもしれないという可能性がある。そのような可能性があふれているということを、痕跡の過剰ということができる。そして引用とは、まさに別様でありえたかもしれないという可能性を、自分のコンテクストに引用しながら提示して見せるこ... ...続きを見る |
2005/11/07 14:02 |
2003年東大前期・国語第一問「民俗宗教・靖国問題」
小松和彦「ノロイ・タタリ・イワイ」(山折哲雄・川村邦光編『民俗宗教を学ぶ人たちのために』)より出典。 【内容要約】 民俗宗教において、祟りの信仰は大きな比重を占めている。それは広い意味での「世間の目」「霊の目」に対する恐怖・配慮の象徴的表現であるかもしれない。しかし日本人は、死者が家族や親族、それに共同体のために犠牲になった者であっても、彼らに対して「負い目」「後ろめたさ」を感じ、その霊を慰め、祠を建て、神に祀り上げてきた。言い換えれば、日本人は生きているというだけで、霊に対して「負い目」... ...続きを見る |
2005/11/06 14:53 |
東大現代文・解答例の連載について
予備校・赤本・青本の模範解答が不十分であるため、今後も『東大入試で哲学』の連載を続けていきます。今年度の受験生がアクセスしているのであれば、急がれるでしょうから、間をあけずに連載していくことにします。 また携帯電話からのアクセスが多いようですので、今後は内容要約・解説を短くまとめて、解答例を中心に記述していきます。そうすれば携帯電話からアクセスしたときに見やすいでしょう。東大入試の場合は、解答を読んだだけで本文の内容が分かるというのが好い解答ですから、内容要約・解説を短めにしても十分なのです... ...続きを見る |
2005/11/04 00:28 |
絶望と希望
2004年東大入試前期国語第四問は、多木浩二の『写真論集成』より出典。「世界は存在し、かつ人間も存在している」と述べているように、世界と人間の実在を認めたうえで、世界と人間のズレに注目している。評論文ではよく「差異」と記されているものだ。しかも世界のことを「超人間的」と述べている。この多木浩二の主張を発展させて、その超人間的な世界が客観性だと主張することができる。 わたしたちは、現実に対して何もできないという無力感を感じることがある。この目の前に現れた壁は、まさに主観を超えた客観性である。そ... ...続きを見る |
2005/11/03 00:13 |
2004年東大前期・国語第四問「写真」
多木浩二『写真論集成』より出典。 【内容要約】 「写真になにが可能か」と自問すると、質疑応答に見られるような答えというよりも、ほとんど肉体的反応ともいえる二通りの答えが生じてくる。 ひとつは、現実に対して「写真にはなにもできない」という一種の無力感である。しかし、その無力感を乗り越えたところから、「写真に可能ななにものかがある」という認識が生まれてくる。実は、私たちは日々こうした二通りの答えの間を揺れ動いており、どちらか一方ではけっしてありえない。このようなことは、なにも写真だけのことで... ...続きを見る |
2005/11/02 02:20 |
個性
2004年東大入試・国語第一問の問題文の内容は、「個の没落」という言葉でも分かるように、悲観的な相対主義である。しかし、確固たる個がないということを積極的に評価することもできる。 個性とはいっても、実は自分の内側から生じたものではない。他者との関係の中で自分はつくられている。本当の自分はどこか遠くにあるものではなく、自分が日々の生活の中でつくっていくものだ。占いをしても、心理テストをしても、自分の部屋にこもっても、本当の自分は見えてこない。自分探しをしても、自分を見つけることはできない。自分... ...続きを見る |
2005/10/31 00:24 |
2004年東大前期・国語第一問「個の没落」
伊藤徹の『柳宗悦 手としての人間』より出典。 【内容要約】 判断の基盤としての個人の没落は、環境問題を例に挙げると分かりやすい。未来の世代の権利を侵害していると考えて、現在の個人の欲望を制限することは、今日において当然のことと受け止められている。人間以外の生物はもちろん、山や川さえ尊重さしようと考えることは、もはや珍しいことではない。現在では、人間主義を排除して、個人はもちろん、人類も越えて、「地球という同一の生命維持システム」を行動規範の基盤とすることが試みられている。 だが、私たちは... ...続きを見る |
2005/10/26 01:48 |
見ているものと見ていないもの
これは、2005年東大入試前期の問題で引用された小池昌代「背・背なか・背後」を、わたしの経験・研究と照らし合わせて解釈+拡張したものだ。 だれも自分の背中を見ることはできない。だから自分の後ろで他人が笑っていると気になる。もしかしたら、汚れているのかもしれない。あるいは、だれかイタズラで張り紙を貼ったかもしれない。しかも自分だけが見ることができない。見ようとすれば、鏡のあるところまでいかなくてはならない。背中には、そんな怖さ・もどかしさ・難しさがある。 このように視線は届かないが、わたし... ...続きを見る |
2005/09/07 20:23 |
2005年東大前期・国語第四問「背・背なか・背後」
小池昌代「背・背なか・背後」(岩波書店『図書』二〇〇四年七月号)より出典。 【内容要約】 待ち合わせ場所で待っている相手に近づくとき、そのひとが後ろ向きだったら、どんなふうに声をかけようか迷う。ひとの無防備な背中を前にすると、なぜか言葉を失ってしまう。これまで付き合ってきたのは、いつも相手の正面ばかりだからだ。そもそも背中は、ひとの無意識があふれている場所だ。だから、ひとの後ろ姿を見るとき、見てはならないものを見たようで、後ろめたく感じる。 背中の周りに広がっているものは、そのひとの「背... ...続きを見る |
2005/09/06 16:52 |
「偽善」という言葉は嫌いだ。
これは、2005年東大入試前期の問題で引用された三木清の文を読んで思ったことだ。もちろん三木清は、引用文の中で偽善のことについて述べているわけではない。しかし、他人のことを「偽善者」と言っている人たちに対して私が持っていた違和感と、三木の道徳観と結びついた。 道徳という言葉があると、道徳が行動とは離れて単独にあるように錯覚してしまうが、実は道徳は行動と切っても切れない関係にある。人は行動することによって反省し、そして今度はこれまでとは異なる行動をしようと思う。徳は必ず行動に表れるものだし、ま... ...続きを見る |
2005/09/02 23:27 |
2005年東大前期・国語第一問「道徳と技術」
三木清『哲学入門』より出典。 【内容要約】 すべての道徳は、ひとが徳ある人間になることを要求している。それは、徳のある行為をする者になれということである。たとえの徳のある人であっても、行動をしていないうちは、潜在的に徳のある人であるにすぎない。徳のある行動することで初めて、徳のある人といえる。 ところで人間は常に環境の中で生活している。われわれの行為は単にわれわれ自身の内から自発的に出てくるものではなく、環境との関係から出てくるものである。単に能動的でなく、また単に受動的なものでもない。... ...続きを見る |
2005/08/26 14:56 |
『東大入試で哲学』連載のお知らせ
今は大学前期試験の採点中のため、8月から『東大入試で哲学』を連載開始します。この連載は、@大学レベルの教養を身につけたい大人のための教養講座であり、A東大2次試験合格の実力を身につけたい受験生のための大学受験講座でもあります。 大学入試問題で現代文があるのは、大学の教科書を読む力があるかどうかを確認したいためです。ですから現代文の問題は、大学教養科目の教科書になる評論文を使用します。ということは、大学入試問題を読むことで、大学レベルの教養が身につくということです。 しかも東大の入試問題は... ...続きを見る |
2005/07/24 12:56 |
東大宮のマクドナルド
私の哲学講義は、「東大宮にマクドナルドがあるのを知っているか?」の一言で始まる。毎年恒例になっているため、学生からはドッと笑いが出る。芝浦工業大学の大宮校舎に通うにはJR東大宮駅を利用するが、東大宮は住宅地であるため駅は小さい。 改札口を出て右に曲がり東口へと階段を下りていくと、ターミナルに多くのパトカーが停まっていて驚く。しかし運転手はどう見ても警官ではない。そう白黒のツートンカラーのタクシーなのだ。いきなりパンチを食らう。ターミナルは小さいながら、ミスター・ドーナツと松屋、それにコンビニ... ...続きを見る |
2005/04/08 00:05 |
開校予定
4月開校予定。 ...続きを見る |
2005/02/02 01:14 |
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