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zoom RSS 2014年東大後期・総合科目V【解答と解説】

<<   作成日時 : 2014/03/14 13:58   >>

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第一問
【問一】
 健康という言葉は、明治時代の中頃に、明治政府が西洋医学の概念を持ち込んだことに始まる。明治政府は西洋医学の衛生や健康という概念を利用して、国民を管理しようと考えたのである。そのため西洋医学の医師を国家資格が必要な専門職にして、漢方医や鍼灸師・宗教家など民間医療従事者を排除した。このようにして西洋医学を通して、強い兵士や良質な労働力の生産を目指した。国民はお国のためにも健康でなければならないと考えられるようになると、当然のこと、優生学も国家による優生政策に資することになった。
 近代国家による国民管理では、法制度だけではなく、制度化された西洋医学もまた重要な役割を果たしたといえよう。
 しかし、戦後の健康政策もまた国民を管理するものであった。最初は結核など感染症の排除と予防という政策を進め、つぎに成人病を減らす政策を進めた。成人病は本来医学にない官制の概念であったが、医学は予算を獲得するため成人病研究を進めた。さらに生活習慣病という概念がつくられ、やはり予算がつけられた。国が予算によって医学を管理し、医学もそれに追従しており、現在でも国家は医学を通して国民生活を管理している。
 
【問二】
 現在の日本では、健康は自分で管理できるものと考えられている。とくに生活習慣病は自己管理の失敗と考えられて、保健所や医師に指導され、厳しく数値目標の達成を求められる。それだけではなく、社会からも自己管理に失敗した者というレッテルを貼られ、ときには社会的信用にもかかわってしまう。
 また、どう見ても痩せているようにしか見えない女性が、さらに痩せたがるのも、体型を自分で管理できると考えられているからである。かわいい服を着るために、無理なダイエットをする。美容整形も、自分の身体は自分で管理できるという発想にもとづく。
 しかし、私たちはそれを笑えない。健康の基準が数値化されれば、だれでも自分が理想とする数値を目指そうとするからである。数値の上下に一喜一憂する。テレビや雑誌からも情報が多く入る。もはや自己管理しているのではなく、強迫観念にとらわれている。さらに、健康にお金をかけられる者とかけられない者との間に新たな格差が生まれており、今後新たな問題となっていくことだろう。
 私たちは国家だけではなく、情報や資本主義にも翻弄されていよう。いちど健康ブームから離れ、心身を養生させた方がいい。


第二問
【問一】
 知識人がその時々の権威や多数派に対して勇気をもって発言したときに「知識人」という。そうであれば、日本では明治政府を批判した福沢諭吉ら明六社、日露戦争のときの非戦論者内村鑑三や与謝野晶子らは「知識人」であり、国連事務次長として国際連盟の規約に人種的差別撤廃提案を提出した新渡戸稲造や、戦後サンフランシスコ平和条約締結で全面講和を説いた南原繁もそうだろう。とくに南原は吉田茂から「曲学阿世の徒」と呼ばれた。「知識野郎」である。まさに正義を実現するために抗議した人物たちである。
 ところで、正岡子規から夏目漱石が俳句を学び、漱石から寺田寅彦が俳句を学んだように、もともと日本の知識層は教養的素養を重視した。寺田の物理学に日常生活の視点を導入したが、これもまたひとつの勇気だろう。
 日本では教養を重視し、大学に教養学部があり、採用試験にも教養科目がある。しかし教養があっても、それだけでは「知識人」とはいえない。官僚制のもとでは個人の正義感よりも、組織の利害が優先される。もちろん官僚制の問題は日本ばかりではない。しかし日本では民間も含め慣習が重視される傾向にあり、非常事態に対応できないことが多い。

【問二】
「知識人」という言葉は、一八九四年フランスで起こったドレフェス事件のときに生まれた。もともと勇気をもって行動した知識層を揶揄するために生まれた言葉だという。そうであれば、「知識人」とは権威だけではなく、多数派があやまっているときには多数派に対して意見を言える者でなければならない。
 現在の民主主義国家では、多数決派の意見が通りやすい状況にあるといえる。もともと多数決が有効だったのは、市民革命以前に、一部の特権階級が国政の実権を握り、圧倒的多数であった国民の意見が国政に反映されていなかったからである。このときは多数派が弱者であった。しかし現代社会では、多数派が少数派を排除する傾向にある。まさに、かつての弱者が強者に転換してしまったのである。このように多数派の声が通る現代社会では、少数派の声を聴く耳が必要であろう。
 また専門分化が進んだ現代社会では、専門知識をもつ者が運動の中にいなければ、専門知識をもつ権力や権威に対抗できない。そのため現代社会では、アマチュアの視点も必要だが、専門知識をもった者が他者を理解する必要もある。そのためにも他者の視点を持つための教養教育が強く求められる。

《論評》

 今年度は、典型的な課題文型小論文になった。主題は設問一が国家権力による国民支配で、設問二は権威や多数派と闘う者である。このように通底していると分かれば、それだけでも何を中心に書いたらいいのか、判断できるだろう。
【設問一】
 問一はまとめなので、箇条書きにしてから、清書の段階で文章に直すと効率的だ。小論文のコツは、まず草稿で箇条書きにして、清書で文章にしながらつなげることだ。
 課題文の主題は国家による国民の健康管理である。前半が健康という言葉が日本に現れたのが明治中期以降であり、明治政府が西洋医学の健康という概念を輸入し、医師を国家資格にして、国民を管理したという内容である。必然的に優生学的傾向を有した。
 後半は、国が予算で医学を管理し、医学が国民を管理するシステムが維持されるという内容だ。まず結核やコレラなど感染症の排除と予防であり、つぎに成人病対策であり、さらに生活習慣病である。医学も予算をつけて医学を管理し、医学も追従した。
 戦前と戦後を対比しながらも、根底では国家が医学を通した国民管理が続いているとまとめるといい。
 問二は考察であり、自分の経験を踏まえればそのまま現代日本社会を問うことになり、経験という根拠もあるので説得力がある。
実は、私は健康管理で通院しているが、医師からは、テレビの情報番組は脅しすぎであり、健康診断の数値も画一的すぎるので、あまり気にやまないようにと忠告されている。
 私たちは健康や体型を自己管理できると考え、周囲には健康に関する情報や商品があふれている。国・医学・自己による管理である。そして強迫観念のように健康・体型という言葉が、私たちを神経質にしている。自分の身近なところからでも、このように現在の日本の状況をまとめられる。
【設問二】
 ドレフェス事件は世界史受験者にはお馴染みの事件である。普仏戦争敗戦後のフランス第三共和政の時代に、ユダヤ人将校ドレフェスがスパイ容疑をかけられた事件だ。ゾラらは「知識人」と揶揄されながらも闘った。「知識人」を語るときに必ず引用される事件だ。この事件で「知識人」は否定的な意味で使われたが、それは多数派に迎合しないからである。それは『寅さん』の例でも分かる。
 ひとを「知識人」にするのは特別な才能ではなく、非常事態と勇気である。
 また『裸の王様』に登場する子供のような素人の立場が求められるのは、専門知識が必要ないということではない。専門家だと、利害もからんで自由に発言・行動できないからである。利害を顧みない専門家は、十分に「知識人」である。むしろ専門分化の進んでいる現代社会では、専門家も必要である。
 このように「知識人」は非常時に自分の信じる正義のために行動できる者であり、自らが権威となってはもはや「知識人」とはいえない。むしろ抑圧者になる。
 ところで夏目漱石や寺田虎彦が俳句を嗜んだように近代日本の知識人に教養人は多い。彼らも啓蒙家であった。では、近代日本に課題文でいう「知識人」はいただろうか。近代日本史で、多数派と闘った人物を思い出すといいだろう。解答例では日本史のなかでも、多数派に対して声を上げた人物として、福沢諭吉ら明六社、日露戦争で非戦論を展開した内村鑑三や与謝野晶子、規約に人種的差別撤廃提案を提出した新渡戸稲造や、戦後サンフランシスコ平和条約締結で全面講和を説いた南原繁もそうだろう。とくに南原は吉田茂から「曲学阿世の徒」と呼ばれた。まさに罵倒する意味での「知識野郎」である。彼らは正義を実現するために抗議した人物といえる。
 この問題には、実は知識人のあり方を問うことで自分の生き方を見つめてほしいという思いと、東大に教養学部がある意義を知ってもらいたいという意図が込められていよう。読者には、ぜひサイード著『知識人とは何か』(大橋洋一訳、平凡社ライブラリー)を読んでもらいたい。

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