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zoom RSS 2013年東大後期・総合科目V・第2問【解答速報】

<<   作成日時 : 2013/03/19 23:42   >>

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【問1】
 アヘン戦争で清が敗北したことを知っていた幕府は、ペリーが来航すると翌年には日米和親条約を結んだ。しかし国威の低下と考える人々は攘夷を唱え、将軍継嗣問題ともからみ開国派と攘夷派が激しく対立した。大老井伊直弼はアロー戦争中に日米修好通商条約を結び、安政の大獄で反対派を処断した。
 しかし横浜開港で輸出超過となり、江戸では物品不足となり、また欧米と日本の金銀交換比率のちがいにより金が大量に流出するなど、日本経済は混乱した。
 桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、幕府では公武合体が主張され、将軍継嗣・条約勅許をめぐる幕府内部の対立は解消され、文久の改革で親藩・外様が幕政に参加した。それに対して、あくまで攘夷を唱えた長州は禁門の変で京都から追放された。
 幕府は長州征伐をおこなったが、下関事件で攘夷の無謀に気づいた長州は薩長同盟を結び、討幕へと進んだ。討幕の密勅に対して徳川慶喜は大政奉還をしたが、王政復古の大号令と、小御所会議での官位と領地の没収で挑発に乗り、戊辰戦争で敗北した。幕府を倒した明治政府は、五箇条の御誓文で開国政策を継続を誓い、攘夷に戻すことはなかった。

【問2】
 大政奉還とそれに続く王政復古の大号令で国の中心に立った天皇は、大日本帝国憲法で主権者となる。
 大名は版籍奉還・廃藩置県で大名・知藩事としての地位を失うが、天皇の藩塀として華族となり、大日本帝国憲法のもと貴族院を構成して、公武の対立は解消した。
 しかし攘夷派の志士として活動し、戊辰戦争でも官軍として活躍した西日本の武士たちは、勝利したにもかかわらず特権を失う。まず廃藩置県で精神と生活の基盤であった藩が解体し、徴兵制度で武士の存在意義がなくなる。散切り頭で身分を表現できなくなり、廃刀令・秩禄処分で武士の特権は完全になくなる。しかも高級官僚こそ薩長に占められていたが、旧幕府の官僚がそのまま新政府の中堅官僚となり、さらに帝国大学が官僚を育成したことで、官僚への道も閉ざされた。
 佐賀・長州・薩摩など明治維新で活躍した西日本の武士たちによる不平士族の反乱は失敗に終った。土佐は自由民権運動を展開して国会開設を勝ち取るが、やがて自由民権運動の中心は地主層に移る。攘夷を思想として守り通した人々は報われることはなく、排除されていったのである。

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