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<<   作成日時 : 2010/10/04 19:15   >>

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 わたしは民主党員ではなくサポーターでもないが、10月4日第五検察審査会の議決には疑問を感じる。
 議決要旨によれば、「小沢氏を起訴相当」と議決したことを公表した。「検察審査会の制度は、有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断で有罪になる高度の見込みがないと思って起訴しないのは不当であり、国民は裁判所によってほんとうに無罪なのかそれとも有罪なのかを判断してもらう権利があるという考えに基づくものである。そして嫌疑不十分として検察官が起訴を躊躇した場合に、いわば国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度であると考えられる」という。
 議決日は民主党代表選挙で小沢氏が敗れた代表選当日の9月14日にしている。代表選挙直前にマスコミによって小沢氏強制起訴の可能性が繰り返された後であり、その最も市民感情が高まった時に議決をしたことになる。政治的意図を感じずにはいられない。しかも村木事件で、前田容疑者が証拠隠滅罪により最高検察庁に逮捕されたのが9月21日だから、その1週間前に議決されたことになる。村木事件が検察による冤罪事件が報道される前の議決だったのである。
 検察審の議決要旨は、証拠がないために有罪になる可能性の見込みが無いとして検察が起訴しなかったことを不当とするものであり、冤罪を防ぐためにも厳密に証拠にもとづくべきである刑事司法の根幹を揺るがすものといえる。
 検事総長大林宏氏が9月1日に記者クラブでも述べているように、検察が二度不起訴処分としたのは、証拠判断からである。このように検察が「法と証拠」に基づき起訴・不起訴を判断したものを、検察審査会が「証拠が無いから起訴しないのはおかしい」として起訴するのでは、今後は証拠がなくても強制起訴できることになる。まさに魔女裁判である。これでは冤罪事件が増えることになるだろう。
 実際に陸山会事件で問題になっているのは期日のズレだが、それは農地から宅地に変更するのに必要な期間であった。それをきちんとマスコミは報道せず、そのマスコミの影響を受けた素人による検察審査会が、今回の強制起訴を議決したのである。松本サリン事件など、マスコミが絡んだ冤罪事件は多い。
 現在、陸山会事件にかかわった検事が、村木事件で「冤罪」の当事者として逮捕され、取調べを受けている。東の陸山会事件、西の村木事件だったのである。
 検察審査会は「検察官は再捜査において、小沢氏、大久保被告、石川被告、池田被告を再度取り調べているが、いずれも形式的な取り調べの域を出ておらず、本件を解明するために、十分な再捜査が行われたとは言い難い」と述べているが家宅捜査までされていながら証拠がなかったことを、「形式的な取調べ」といえるだろうか、疑問である。
 検察審査会で2度起訴相当と議決されたならば強制起訴と法改正されたのが2009年5月であり、まさに民主党が自民党に取って代わって政権をとるという時期である。最初から小沢氏を視野に入れた法改正といえる。しかし、この制度がそのまま続くのであれば、戦前の政党内閣が治安維持法をつくり自らの首を絞めたように、小沢氏以外の政治家も、証拠もないままに印象だけで強制起訴されよう。
 そもそも検察審査会の目的は、被疑者に何らかの恩があるか、あるいは恩を売ろうという理由で起訴を意図的に行わなかった場合、司法の不平等につながるから、検察が起訴しなかったことについて判断しようというものだったはずである。そのため検察と組していると思われる被告側の弁護人は参加しない。ところが今回の件は、小沢氏の秘書が3人も逮捕されたというものであり、検察と小沢氏は対立している。その秘書3人も供述を翻しており、証拠がないまま公判を維持できずに立ち往生している。このように検察と被告が争っている場合には、被告側の意見も聞かなければ、検察の不起訴が不適当かどうか判断できないはずである。それにもかかわらず、強制起訴できるのであれば、裁判の手続きを保証した憲法31条に違反することになるのではないだろうか。しかも今回の強制起訴議決では、不起訴処分の対象事実(土地取引)を逸脱した被疑事実で起訴相当の議決をしている。これは不当な議決なのではないだろうか。
 もはや設立趣旨から逸脱した検察審査会は、不要なのではないだろうか。検察審査会は、あくまで検察側の問題を指摘するものでなければならない。その点で、今回の件もいそいで議決するのではなく、村木事件を踏まえて検察の捜査方法に目を向けるものであるべきだった。そのように十分に議論されていれば、検察不正問題も視野に入れた議決になったであろう。そうであれば、検察に反省を促すものとして、大いに評価できるものになっていたはずである。
 そうであるからこそ、9月7日に補助弁護士が選任されて、翌8日から審査に参加し、議決が9月14日、土日を入れ7日で土日を含まないと5日であったことに驚かざるを得ない。このような短期間に、十分な説明と十分な議論は本当にできたのだろうか。できるはずはない。この議決の速さを疑わざるを得ない。
 もし疑われるような意図的な操作がなかったとすれば、有罪の可能性があるというだけで強制起訴を議決したことになる。日本では実質的に「推定無罪」は認められていないのであるから、ただ白黒付けたいがための強制起訴であれば、「推定有罪」で被告が受ける苦痛をまったく理解していない無邪気な判断だといえる。
 今後は裁判所で白黒つけるのだろうが、「白」と判断されたとき検察審査会は「国民の責任」をどのようにとるのだろうか。裁判で白黒つけられるとしても、日本の裁判はあまりにも長期間にわたるものであり、実質的に推定無罪が通用しない日本社会では、強制起訴はあまりに大きな意味を持つ。もし白であったなら、検察審査会を含む司法は、失われた時間をどのように補償するのだろうか。自ら「国民の責任」と宣言したのであるから、責任をとる必要があるだろう。そこまで責任を負わせるのは酷だというのであれば、検査審査会の存在意義をきちんと議論する必要がある。すくなくとも、2009年5月に改正された2度の起訴相当議決で強制起訴という内容は、なくした方が良いだろう。決して他人事ではない。証拠がなくても、印象だけで逮捕・起訴される時代が来たのである。


国民一人ひとりが他人事としてではなく、きちんと自分のこととして考える必要がある。現在は、まさに主観の力が求められている時代といえよう。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
こんな制度が存在していると、戦前の日本のように気に食わない政治家を失脚させ、日本をどこかの国に売り渡すようなことも可能ですね。
法治国家である以上法と照らし合わせて違反の証拠がないなら、裁判所に出頭されるのはおかしい。審査会も検側の意見しか聞いていないし、マスコミは正しい報道しないし、挙句審査会(国民)となっているマスコミまである。少なくとも私は審査会の結論だけでなく、この制度の存在自体法治国家として変だと思うし、法治国家の国民として恥ずかしいです。
これではまさしく魔女裁判ですね。
romorom
2010/10/05 00:23
検察審査会の「強制起訴」の権限は、民主党政権が誕生する直前の自民党末期政権のもとで付け加えられたものです。成立当初から小沢民主党を狙ったものだったといえます。

検察とマスコミによる情報操作の影響下をうける素人が構成する検察審査会が、強制起訴の権限があれば、戦前の検察国家に逆戻りですね。マスコミも戦前・戦中の反省をまったくしていないで片棒担ぎです。これではイメージ操作による魔女裁判が可能で怖いですね。マスコミも既得権益を持っているために片棒担ぎをしていると考えた方がよさそうです。

おそらく地デジ化にともなう電波開放による自由競争化や、新聞社が放送業に資本参加するなど特定資本がメディアを傘下にして影響を及ぼすクロスオーナーシップ禁止などを嫌っているのでしょう。これではマスコミが中立とはいえません。

いま日本人は自分の頭で考えることを求められていると思います。

実は、わたしはもともと小沢氏を好きではなかったのです。しかし昨年の西松事件以来のマスコミのヒステリックさに異常さを感じて、自分で考えて、今のように考えられるようになったのです。
佐々木哲
2010/10/05 01:57
日本の国民はモラルも高く、考える力もあります。しかしながら、考える材料を制限されているような気がします。選択肢さえないと言えます。また、代議士や官僚、マスコミも含め、それぞれの権力を保持した方々が自らの力の重みの認識が薄いのではないでしょうか。日本社会は白と黒だけでは言い表せない社会です。有史以来、妥協や強調といったもので長年培ってきた日本独自の社会であり、今仮に変革期への過渡期だったとしても、進むべき道が見えていたとしても、問題が山積していても、歩みは急がず、結果にばかり飛びつかずに先を見据えていくビジョンがまず必要だと考えます。
佐々貴山公
2010/10/06 00:37
その通りですね。考えるのに必要な判断材料が制限されていると思います。

マスコミも自分の仕事に誇りを持っていたら、横並びの記事や報道にはならないはずです。垂れ流すことを客観的な記事・報道と勘違いしているのでしょう。しかし情報源が偏っていたら、垂れ流しは客観的どころか、大いに偏ることになります。不作為というだけでも情報は偏るのです。しかも、記者クラブの開放、地デジ化にともなうテレビの自由競争化、クロスオーナーシップ禁止などをめぐり政治とマスコミが対立している現在、マスコミが公平とはいえません。マスコミが既得権益となっているのです。

このように偏った情報を供給していないにもかかわらず、世論調査をしては「これが民意」と主張するのです。実は世論調査そのものも質問による誘導や、昼間固定電話に電話をかけての調査というサンプルの偏りも懸念されます。

また日本は「政治と金」を大きく取り上げて、政策を説明・議論するのではなく、政局ばかりに注目して政治を娯楽の一部にしています。しかも、いちど疑惑のレッテルを貼ることに成功すれば、白の人間からは決して黒という答えは出ないのですから、いつまでも説明責任を追及できます。求めている答えだけが出なければ、いつまでも追及できるのです。

疑惑という点では、官房機密費がマスコミに流れていると言われています。これも「政治と金」の問題なのですから、説明責任と追及してやまないマスコミは、自らも説明責任を果たす必要があるでしょう。

これらのことを見ても分かるように、国民は情報不足ですね。そのためにも記者クラブ廃止によるフリージャーナリストの記者会見への参加、新聞など特定資本がテレビを傘下に置くクロスオーナーシップの廃止、地上デジタル化による電波帯の拡大でテレビ業界の自由競争化などが求められます。
佐々木哲
2010/10/06 10:59
ただし沖縄問題で見られるように、国民も他人の痛みを自分の痛みとして感じられなくなっているのではないでしょうか。そのため、自分に直接影響のないことには無関心です。そのことは投票率の低さでも分かります。政治が悪いから投票率が低いのではなく、投票率が低いから政治が悪くなるのです。

しかし現在はちょうど色々な問題が顕在化して、それらの問題が私たちの生活にも影響を与えていることが明らかになっており、無関心ではいられないはずです。もう他人事ではありません。

名古屋市で市議会解散の直接要求が成立したように、政治家と住民が動けば事態は変化します。官僚にも改革派はいるはずです。

無力感を感じながらもあきらめてはいけないと思っています。きっかけは、もうすでに大きな矛盾として現れています。そのような矛盾に気づくためにも、一方的な情報を鵜呑みにするのではなく、自分で考える必要があるでしょう。
佐々木哲
2010/10/06 11:24
2度目のコメントです。
この検察審についてなにか違和感がありいろいろ考えてみました結果。この事件はある市民団体が不起訴処分を不服として検察審査会に審査の申し立てたところから始まります。
法令ではこの申し立ては、実際に被害を受けた者あるいはその関係者となっているが、今回は対象が政治家であり、政治資金なので被害者は国民だ。といった理由で受理されたらしい。
100歩譲って、国民が被害者だというたわごとを正論と仮定すると。では審査会のメンバーの選定はその審議する内容と無関係な人選が必要と記載されている。(裁判員制度と同じ、関係者がメンバーでは魔女裁判どころか私刑になる)すると、誰がメンバーになれるのか、国民全員が被害者なら全員関係者であり審査会メンバーは全員日本国籍を持たない、外国人になってしまう。
外国人はメンバーになれないから、では誰がなるの?となりこれでは検察審査委員会は開催できない、これは前提となった仮定つまり、国民が被害者だから国民なら誰でも訴えることができるという解釈が誤りであることを示している。
ならば受理したこと自体が違反であり、そもそもこの審査自体が無効であることは自明である。
この制度自体不特定多数への犯罪について定義されたものではないから、法を勝手に拡大解釈し、国民をリンチにかけようとした検察は国家権力を背景にした、リンチ集団ということになる。この観点からもやはりこの法律は廃案にすべきだと思う。
romoorom
2010/10/13 23:25
とてもおもしろいです。検察審査会の事務局が、国民全体を被害者と推定して、審査の申し立てを受理したのであれば、日本人であれば誰もが被害者当人ですから審査会の構成員にはなれませんね。まさに私刑(リンチ)です。

交通事故など被害者がはっきりしていて、新たな証拠の発見や不起訴理由の理不尽さの指摘で、被害者や遺族が申し立てるのであれば、検察審査会は有効であると、私は理解していました。そのため法改正のときには、このように利用されるとは思いもよりませんでした。今回の事例は、法律は善人のためにあるのではなく、それを悪用しようとする悪人のためにあることの好例ですね。

きちんと考えるためにも、いちど廃案にした方がいいでしょうね。今回のことで、戦前・戦中の抑圧政治の状況をリアルに感じることができました。新聞が戦争へと国民世論を誘導したこと、「国民の目線」が危険であることも、戦前の状況と比較でき実感できました。

それにしても、テレビや新聞の報道の異常さには驚きます。雪印や不二家のときもそうでしたが、会社であれば倒産するまでたたき続ける異常さは、まさに国民総動員によるイジメです。「悪者」のレッテルを貼られた者はとことんイジメていいと、こどもを煽っているように見えます。

しかし事態は少しずつ変化しているように感じます。週刊誌の論調が変わってきたのは、「反小沢」批判の方が売れるのでしょう。記事によって発行部数が変わるので、読者の動向に敏感にならざるをえません。「反小沢」キャンペーンが強力なほど、「小沢」支持者も増えているようです。
佐々木哲
2010/10/14 12:49
今、民事裁判におけるSlapp規制について興味を持っている。

企業などの強者が、言論抑圧のために、弱者である住民運動やジャーナリストを高額の損害賠償で提訴することを、アメリカではSlappという。たしかに提訴権も権利のひとつだが、それで運動や言論を封殺することは、弱者の権利を認めないことになり、強者による権利の乱用といえる。

ところで、今日の「村木」「小沢」裁判は、刑事訴訟における検察および検察審査会による起訴権の乱用といえる。

現在、被告が小沢一郎氏であるため、国民は他人事として受け止め、裁判で白黒つければ良いのではないかと思っているだろうが、自分が被疑者となり、冤罪を訴えても認められず、検察審査会で強制起訴になったらどうだろう。「推定無罪」が事実上ない日本では、有罪の判決に等しい。

検察審査会が、「不起訴不当」として裁判が始まった冤罪事件として甲山事件がある。検察は証拠不十分で被疑者の保育士山田悦子さんを不起訴として釈放したが。不起訴に対して被害者の男児の遺族が検察審査会に不服を申し立て、検察審査会が「不起訴不当」の決議を出したため、警察による再捜査が始まった。これが、事件から25年、裁判が始まってから20年もかかった冤罪事件である。だれもが冤罪で、強制起訴され、人生を棒に振る可能性がある。

しかし検察審査会は何も責任を負わない。甲山事件のとき、検察審査会の2度の議決で強制起訴とはなっていなかったにもかかわらず、このような冤罪事件を生んでいる。現在、2度の議決で強制起訴と法改正された現在の検察審査会は、冤罪事件を起こす可能性を広げたものといえる。

このことを新聞もテレビも関連付けて報道しないが、他人事と見ていると思わぬしっぺ返しにあうことになる。そのような目で「小沢」事件を見ると、多くのことが国民に問題提起されていることが分かる。
佐々木哲
2010/10/18 20:30

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