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zoom RSS 一遍踊念仏と隠岐佐々木氏(3)

<<   作成日時 : 2009/11/06 00:25   >>

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 『聖絵』では小田切里の武家屋敷の敷地内に一遍の叔父河野通末の墳墓と思われる盛土が描かれている。「或武士」は、いったん伴野氏が預かった河野通末を引き取った人物であり、河野氏と因縁のある人物と考えられる。そこで資料を探すと、嘉暦四年(一三二九年)鎌倉幕府下知状(守矢文書)に「小田切郷佐々木豊前々司跡」とある(9)。この記事から信濃国佐久郡大井荘内小田切郷の地頭が、佐々木宗清(豊前守)と分かる。宗清は鎌倉幕府草創期に活躍した佐々木兄弟のうち五郎義清の曾孫で、出雲・隠岐守護を世襲した隠岐佐々木氏の嫡流である。承久の乱の当時は義清の時代であった。

           ┌大曽禰時長―長泰―長経―女子
    安達盛長―┴景盛――義景         ┃
                   ┠―――泰盛   ┃
                 ┌女子         ┃
小笠原長清―┬伴野時長―┴時直――長泰   ┃
         └大井朝光―┬光長――時光   ┃
                  └女子        ┠――宗清
                    ┠――――――時清
         佐々木義清――泰清

 さらに義清の嫡子泰清の本妻は大井太郎朝光女で、その嫡子時清の妻は安達一族の大曽禰長経女で、その嫡子が宗清である。一遍遊行当時の地頭は宗清の父時清の時代であり、時清母が一遍に念仏往生を願った「大井の姉」と考えられる。『続群書類従』巻百三十二佐々木系図(以下、続群書類従本)では時清と女子ひとり以外に大井朝光女を母とする子女がいないため、時清母は離別か死別と思われるが、離別であれば「大井の姉」が、大井太郎(光長)屋形にいることも理解できる。死別であれば、「大井の姉」は時清母の姉妹だろう。時清は出雲守護職を正妻葛西清親(伯耆守)女が母である弟頼泰に出雲守護職を譲り、鎌倉を地盤に幕府要職を歴任していた。
 そのため、大井太郎と「大井の姉」が一遍と出会ったのは時清の小田切郷屋形と推測できる。伴野市庭・小田切の里・大井太郎屋形の場面が連続することも、伴野・佐々木・大井氏が親族であったことを示していよう。ここに滋野氏族の小田切氏が入る隙はない。これまでの議論は郷土研究が主であったため、地元の武士小田切氏に引きずられ、大井・安達両氏と閨閥を築いた隠岐佐々木氏を見落としたといえる。
 『尊卑分脈』に「母大井太郎朝光女」の記事がないのは、佐々木氏が大井氏との関係を対外的に伏せたことを示している。『聖絵』でも「或武士」と記していよう。

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