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zoom RSS 一遍踊念仏と隠岐佐々木氏(2)

<<   作成日時 : 2009/11/05 01:52   >>

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 『聖絵』巻四第五段では、信濃国佐久郡伴野市庭の一遍・時衆の歳末別時念仏会の際に紫雲が立ち、時衆と周囲の人びとが上空を見て合掌している。しかし一遍は上空に視線を向けず、一人の僧と対峙している。この場面と連続する同一画面の小田切の里の踊念仏場面に、河野通末(通信の三男)の墳墓があり(7)、紫雲はこの小田切の里の場面へと連なる。紫雲に合掌する人びとは、小田切の里に向かって拝んでいる形になる。たしかに小田切の里で踊念仏の始行があった。一つの画面における二つの場面は、紫雲で連続しており、地理的にも同郡内と考えられる。
 伴野市庭の場面では背景に、牛の群、乞食のそばで喧嘩をする犬、草葺きの屋根や地面にいて食べ物を啄ばむ複数の烏が描かれている。しかも一遍は紫雲を見るのではなく、ひとりの僧と対峙している。この喧騒は親族の菩提を弔う場面ではない。人びとから見て紫雲の方向、つまり次の場面が通末の墓であることを連想させる。詞書では小田切の里→伴野荘→大井太郎屋形だが、画面では伴野荘→小田切の里→大井太郎屋形となる。実際の経路は伴野荘→小田切郷→伴野荘→大井太郎屋形であろう。伴野市庭の画面は、紫雲、および一遍と僧の対峙という二つの出来事を異時同図で描いた可能性もある。詞書では最初の伴野荘を、画面では二度目の伴野荘を省略したことになる。巻四の最後の画面を小田切の里にしたのは、小田切の里が踊念仏始行の地であり、踊念仏という視点では小田切の里と大井太郎屋形が連続するからである。またこの連続性を重んじて、伴野荘と大井荘という異なる荘名ではなく、佐久郡という同じ郡名で表記したと考えられる。
 『聖絵』巻五第一段、信濃国佐久郡の大井太郎の屋敷で、一遍一行は三日三晩の踊念仏を行った。数百人が踊ったので板敷きを踏み落したが、修理をせずに一遍の形見とした。左画面の屋敷は板敷きが踏み落とされたままである。右画面には大井太郎の屋敷を出て右方向に向かう一遍一行と、その反対の左方向へと飛ぶ白い鳥の群が描かれている。白い鳥は物語性に即して左方向に飛んでいく。これは大井太郎の姉が往生したことを示しているだろう。それに対して、一遍一行は物語性とは逆行している。右方向は過去を示し、見る者を巻四の巻末の小田切の里に戻す。このことで「小田切の里、或武士の屋形」と大井太郎屋形の比較を促している。
 大井太郎屋敷場面と小田切の里の場面を比較すると、両方とも武家屋敷が画面左にある。『聖絵』巻四巻おわりの小田切の里の場面と、『聖絵』巻五はじめの大井太郎屋形の場面は、同じ場面の再登場にも見える。踊念仏が前の場面より激しいことは、同じ構図にすることでむしろ強調される(8)。
 また実際に一遍は、小田切の里と大井太郎屋形の間の省略された伴野市庭に戻ったと考えられる。『遊行上人縁起絵』(以下、『縁起絵』)で、小田切の里の念仏始行も大井太郎の踊念仏も伴野のこととして記しているのは、伴野市庭を布教の拠点にしたためと考えられる。やはり『縁起絵』でも、異なる荘というよりも同じ郡という意識が強かったのだろう。

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