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zoom RSS 『一遍聖絵』後援者「一人」と『遊行上人縁起絵』作者平宗俊(1)

<<   作成日時 : 2009/10/16 00:58   >>

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 『一遍聖絵』(以下、『聖絵』)制作の後援者は、『聖絵』巻十二第三段の詞書に「一人のすすめによりて、この画図をうつし」とある「一人」である。この「一人」について、「いちじん」と読めば天皇であるが、「いちのひと」と読めば摂政・関白であるため、歓喜光寺所蔵『開山弥阿上人行状』にあるように、これまで関白九条忠教(一二四八―一三三二)と考えられてきた。しかし「一の人(いちのひと)」は、律令制度のもとで太政官を指揮する太政大臣(則闕の官)も意味する。また「いちにん」と読めば第一人者を意味し、奈良朝の藤原不比等が右大臣で太政官を指揮したように、太政大臣・左大臣欠員のときには太政官を指揮することから、右大臣を指すこともある。さらに『聖絵』には、中院通成(土御門入道前内大臣)・三位藤原基長・大炊御門冬輔(大炊御門二品禅門)など多くの公卿が登場する。
 『聖絵』の奥書によれば、詞書は聖戒が記し、絵は法眼円伊が描き、外題は世尊寺流藤原経尹が書いている。世尊寺流は三蹟藤原行成の子孫であり、経尹の子息である世尊寺行房・行尹兄弟に学んだ青蓮院門跡尊円法親王(伏見院皇子)によって青蓮院流(御家流)が立派されている。このような世尊寺流の人物が外題を書いていることからも、後援者は公家と考えられる。
 ところで、『聖絵』は絹をいろいろな色に染め上げて料紙(つまり料絹)として使用するなど平安時代の絵巻物の名残がある一方で、描法は伝統的な大和絵の描法というよりも墨調を重視した宋様式に通じる。同時代の西園寺公衡が願主であった『春日権現験記絵巻』の画風とは異なる。『聖絵』の後援者は、宋様式という新しさを好んだ公家と考えられる。そこで、『聖絵』に登場する公家から後援者にふさわしい人物を探してみよう。

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