2009年東大前期・国語第1問「白い紙と完成度」【予告編】

 白は、完成度というものに対する人間の意識に影響を与え続けた。紙と印刷の文化に関係する美意識は、文字や活字の問題だけではなく、言葉をいかなる完成度で定着させるかという、情報の仕上げと始末への意識を生み出している。白い紙に黒いインクで文字を印刷するという行為は、不可逆的な定着をおのずと成立させてしまうので、未熟なもの、aギンミの足らないものはその上に発露されてはならないという、暗黙の了解をいざなう。
 推敲という言葉がある。推敲とは中国の唐代の詩人、賈島の、詩作における逡巡の逸話である。詩人は求める詩想において「僧は推す月下の門」がいいか「僧は敲く月下の門」がいいかを決めかねて悩む。逸話が逸話たるゆえんは、選択する言葉のわずかな差異と、その微差において詩のイマジネーションになるほど大きな変容が起こり得るという共感が、この有名な逡巡を通して成立するということであろう。月あかりの静謐な風景の中を、音もなく門を推すのか、あるいは静寂の中に木戸を敲く音を響かせるかは、確かに大きな違いかもしれない。いずれかを決めかねる詩人のデリケートな感受性に、人はささやかな同意を寄せるかもしれない。しかしながら一方で、推すにしても敲くにしても、それほど逡巡を生み出すほどの大事でもなかろうという、微差に執着する詩人の神経質さ、bキリョウの小ささをも同時に印象づけているかもしれない。これは「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理に言及する問題である。
 白い紙に記されたものは不可逆である。後戻りが出来ない。今日、押印したりサインしたりという行為が、意思決定の証として社会の中に流通している背景には、白い紙の上には訂正不能な出来事が固定されるというイマジネーションがある。白い紙の上に朱の印泥を用いて印を押すという行為は、不可逆性の象徴である。
 思索を言葉として定着させる行為もまた白い紙の上にペンや筆で書くという不可逆性、そして活字として書籍の上に定着させるというさらに大きな不可逆性を発生させる営みである。推敲という行為はそうした不可逆性が生み出した営みであり、美意識であろう。このような、達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる
 子供の頃、習字の練習は半紙という紙の上で行った。黒い墨で白い半紙の上に未成熟な文字を果てしなく発露し続ける、その反復が文字を書くトレーニングであった。取り返しのつかないつたない結末を紙の上に顕し続ける呵責の念が上達のエネルギーとなる。練習用の半紙といえども、白い紙である。そこに自分のつたない行為の痕跡を残し続けていく。紙がもったいないというよりも、白い紙に消し去れない過失を累積していく様を把握し続けることが、おのずと推敲という美意識を加速させるのである。この、推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきたのではないかと思うのである。もしも、無限の過失をなんの代償もなく受け入れ続けてくれるメディアがあったとしたならば、推すか敲くかを逡巡する心理は生まれてこないかもしれない。
 現代はインターネットという新たな思考経路が生まれた。ネットというメディアは一見、個人のつぶやきの集積のようにも見える。しかし、ネットの本質はむしろ、不完全を前提にした個の集積の向こう側に、皆が共有できる総合知のようなものに手を伸ばすことのように思われる。つまりネットを介してひとりひとりが考えるという発想を超えて、世界の人々が同時に考えるというような状況が生まれつつある。かつては、百科事典のような厳密さの問われる情報の体系を編むにも、個々のパートは専門家としての個の書き手がこれを担ってきた。しかし現在では、あらゆる人々が加筆訂正できる百科事典のようなものがネットの中を動いている。間違いやいたずら、思い違いや表現の不適切さは、世界中の人々の眼に常にさらされている。印刷物を間違いなく世に送り出す時の意識とは異なるプレッシャー、良識も悪意も、嘲笑も尊敬も、揶揄も批評も一緒にした興味と関心が生み出す知の圧力によって、情報はある意味で無限に更新を繰返しているのだ。無数の人々の眼にさらされ続ける情報は、変化する現実に限りなく接近し、寄り添い続けるだろう。断定しない言説にcシンギがつけられないように、その情報はあらゆる評価をdカイヒしながら、文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続けるのである。明らかに、推敲がもたらす質とは異なる、新たな知の基準がここに生まれようとしている。
 しかしながら、無限の更新を続ける情報には「清書」や「仕上げる」というような価値観や美意識が存在しない。無限に更新され続ける巨大な情報のうねりが、知の圧力として情報にプレッシャーを与え続けている情況では、情報は常に途上であり終わりがない。
 一方、紙の上に乗るということは、黒いインクなり墨なりを付着させるという。後戻りできない状況へ乗り出し、完結した情報をeジョウジュさせる仕上げへの跳躍を意味する。白い紙の上に決然と明確な表現を屹立させること、不可逆性を伴うがゆえに、達成には感動が生まれる。またそこには切り口の鮮やかさが発想する。その営みは、書や絵画、詩歌、音楽演奏、舞踊、武道のようなものに顕著に現れている。手の誤り、身体のぶれ、鍛錬の未熟さを超克し、失敗への危険に臆することなく潔く発せられる表現の強さが、感動の根源となり、諸芸術の感覚を鍛える暗黙の基礎となってきた。音楽や舞踊における「本番」という時間は、真っ白な紙と同様の意味をなす。聴衆や観衆を前にした時空は、まさに「タブラ・ラサ」、白く澄みわたった紙である。
 弓矢の初級者に向けた忠告として「諸矢を手挟みて的に向ふ」ことをいさめる逸話が『徒然草』にある。標的に向う時に二本目の矢を持って弓を構えてはいけない。その刹那に訪れる二の矢への無意識の依存が一の矢への切実な集中を鈍らせるという指摘である。この、矢を一本だけ持って的に向う集中の中に白がある。(原研哉『白』)

〔注〕○タブラ・ラサ――tabula rasa(ラテン語)何も書いてない状態。

設問
(一)「「定着」あるいは「完成」という状態を前にした人間の心理」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。
(二)「達成を意識した完成度や洗練を求める気持ちの背景に、白という感受性が潜んでいる」(傍線部イ)とはどういうことか説明せよ。
(三)「推敲という意識をいざなう推進力のようなものが、紙を中心としたひとつの文化を作り上げてきた」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。
(四)「文体を持たないニュートラルな言葉で知の平均値を示し続ける」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。
(五)「矢を一本だけ持って的に向かう集中の中に白がある」(傍線部オ)とはどういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で一〇〇字以上一二〇字以内で説明せよ。(句読点も一字として数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)
(六)傍線部a、b、c、d、eのカタカナに相当する漢字を楷書で書け。
aギンミ bキリョウ cシンギ dカイヒ eジョウジュ

【解説&解答例】
(一)
【解説】傍線部アは段落最後の文である。段落最後の文は段落のまとめであるとともに、次の段落のテーマでもある。傍線部アをまとめの文とするこの段落は、推敲の語源である中国の逸話から語り始め、この逸話から「推敲」という言葉が誕生したほどに、詩人が作品の完成度を高めるために一語にこだわる様子を説明した段落群にある。この作品の完成を目前とした詩人のこだわりは、それに共感することもできるが、また小さなことにこだわる神経質さということもできる。それに続くのが、傍線部アである。次の段落は、白い紙を眼前とした詩人の気持ちに言及しており、傍線部アにある「人間の心理」が、詩人の繊細さをめぐる評者の心理ではなく、繊細までの詩人の心理であると分かる。
【解答例】完成を目前にして、一語一語に対しても感性研ぎ澄ませる詩人の葛藤のこと。
(二)
【解説】傍線部イも段落最後の文であり、詩人の逡巡を、白い紙を目の前にした作者の心理で説明している段落群の最後の文である。これに続く段落では、子供のころの習字における体験を述べることで、読者に共感を求めている。
【解答例】下手な自分の手で白い物を汚したくないという気持ちが、作品の完成度を高めることに資している。
(三)
【解説】傍線部ウは段落途中の文であり、このような場合、段落の中心になる文であり、段落の内容をまとめるといい。この段落は、子供のころの習字における体験をもとに、白い紙を目の前にしたときの作者の気持ちを説明している。しかも傍線部ウに続く文では、簡単に書き直せる方法があれば、逡巡しないであろうと述べている。そうであれば、傍線部ウは、紙という媒体だからこそ、わたしたちが一語にこだわると述べている個所ということになる。
【解答例】いちど書いたら書き直せない紙だからこそ、詩人をはじめわたしたちは作品の完成度を高めるためにも一語にこだわるということ。
(四)
【解説】傍線部エも、段落途中の文である。前段落で、紙という媒体だからこそ作者が完成度にこだわると述べており、この段落では、書き直されていく媒体としてインターネットを例に挙げている。しかも、絶えず不特定多数の人びとによって書き直されていくネット上の百科事典ウィキペディアの特徴を述べた直後に傍線部エがあり、後文でインターネットの誕生は紙とは異なる新しい基準の誕生であると述べており、傍線部エは筆者のウィキペディア評といえる。ここで、紙媒体の百科事典の記事を個性的と述べておきながら、ウィキペディアを「平均的」と述べていることに注目する必要があろう。しかも次の段落では、「しかしながら」で始めて、無限の更新を続けるウィキペディアに対して、清書や仕上げるという価値観や美意識をもたないと批判している。このことでも、傍線部エの「平均値」という言葉が、個人執筆の紙媒体の百科事典を個性的と評したことに対する言葉と理解できる。つまり積極的な評価ではない。絶えず書き直されることで、個性のない平均的な意見に集約されると述べているのである。そうであれば、「文体をもたない」も個性がないことを意味していることに気づくだろう。
【解答例】インターネット上の言葉は、たえず不特定多数の人びとに修正され、個性のない平均的なものになるということ。
(五)
【解説】傍線部オは、文章最後の言葉である。文章全体のまとめであり、求められている字数が一〇〇字以上一二〇字以内で説明せよとあることから、あらためて「本文全体の論旨を踏まえた上で」と設問でいわれなくても、解答は本文全体を踏まえた上でのまとめとなる。傍線部エ以後の段落群では紙媒体を評価し、紙媒体だからこそ個性が発揮され、完成度も高まると述べている。そして紙媒体と同様、弓道でも次の矢があることを考えないことで集中力が高まり的中すると述べているのが、傍線部オのある段落である。紙媒体を評価して、それを補充するために弓道の心得が述べられているといえる。「白」は紙媒体であるからこそ、言葉は個性をもち完成度をもつことを象徴させた言葉といえよう。
【解答例】詩人は白い紙に書きなおせないという気持ちで臨み、繊細までに一語にこだわり個性と完成度を高めるのと同様、弓道者も次の矢を当てにせず一矢に集中することで的中率を高める。次はないという気持ちが個性と完成度の高い作品をつくるといえよう。
(六)
【解答】a吟味 b器量 c真偽 d回避 e成就

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この記事へのコメント

佐々木哲
2010年07月02日 14:15
面白いエピソードを紹介しましょう。

これはかなり前のこと、課題文の筆者に東大の入試問題を解いてもらったことがあるのですが、全然できなかったそうです。その時の落ちは、東大の問題は①難しい②採点基準がおかしいというものでした。でも、それは本当の落ちではありません。本当の落ちは、用意されていた予備校の採点基準と模範解答がおかしかったのです。

逐語訳というのは、本文の内容を理解できないときに、苦し紛れの逃げの一手として行なうものです。また逐語訳を基準とするのも、①大胆な訳にして間違うのを恐れるから、②その方が採点しやすいからでしょう。でも逐語訳は無難のようでいて、無難ではありません。内容をわからないまま逐語訳をして、できたつもりでも、できた解答は的外れな意味をつなぎ合わせたとんでもないものです。

まずは、逐語訳にこだわらずに内容の理解をすることを目指し、さらに背伸びをせずに受験生のレベルに合わせた表現にするのがいいと思っています。

もちろん、予備校講師にもこの人はいいなと思える人がいます。やはり内容をしっかりとらえることから始めている人です。まず内容をとらえ、2行に収まるようにするには何を選択し何を省けばいいのかきちんと考えて解答例をまとめる人です。逐語訳は、そのような思考を停止した方法だと思っています。
前田 大河
2011年12月11日 20:38
現高校三年生で東大文2を狙っているものです。
佐々木さんの回答を拝見したのですが、一番と五番の回答(特に五番)ですが、回答を詩人に限定してもよろしいのでしょうか?
僕は詩人はただの具体例でもっと一般化すべきだと思うのですが。
まず1ですが、ちょっと本文から離れて考えてみると、詩人以外の作家や書道家でも自身の作品の細かい差異に完成度が左右されると考え繊細になってしまうことは十分にあり得ます。
だからここは詩人や言語に限定せず、
作品の完成を前にして微妙な差異がその完成度を左右すると考え、その際に執着してしまう人間の葛藤
と個人的には考えました
(まぁ この僕の回答一番も五番も、学校の先生の受け売りがかなり混じった回答で、自分が一回目に解いた時はずっと拙い回答でしたが・・・)

前田大河 
2011年12月11日 20:39
さっきの続きです

一番は直前に詩人があるので、まだ納得できますが五番は全くしっくりきません。

この文中には詩人以外にも書道や百科事典などの、「白」媒体の話が沢山出ているから、まず詩人に限定して論ずるのは危ういし、その上
『音楽や舞踊における「本番」という時間は、真っ白な紙と同様の意味をなす。聴衆や観衆を前にした時空は、まさに「タブラ・ラサ」、白く澄みわたった紙である。』
とあるようにここでいう「白」媒体とは詩や出版など紙を使うものに限定されず、武道や踊り等も含んだ芸術と解釈した方がいいように思えます。
僕は
弓道者が一矢に集中することで的中率を高めるのと同様に、全ての芸術家は、芸術の持つ不可逆性ゆえに、自身の一挙一投足に執着しより高い完成度に近づけようと努力し集中することで、、高い完成度と個性を持ち見るものに感動を与える作品を生み出す
と考えましたが如何でしょうか
(生意気な感じですいません)

別に自分の回答はすごいだろ~と主張したいわけではなくただ佐々木さんの考えをより詳しく拝借したいだけで参考意見として自身の回答をのせているだけなので、僕の回答や考えの誤っているところがあったらビシバシ指摘して下さい。
なんか攻撃的文体になって申し訳ありませんでした
佐々木哲
2011年12月11日 23:20
大意を捉えており、とてもいい答案だと思います。この文は詩に限らず、芸術一般について言えるものです。

ただし、気になる点があります。それは、あなたが「執着」という言葉を、設問一でも設問五のどちらでも使用していることです。「執着」というのは一般的にいい意味を持ちません。後ろ向きなものです。それに対して筆者は迷いや葛藤を前向きなものと述べています。ですから「執着」という言葉は使わないことです。

私の解答例は受験生にも書きやすいように、解答全体であらすじになるようにしています。それは、後に続く内容を先取りして答えてしまうと、後の設問で解答をかけなくなるからです。また見直しのときも、あらすじになっているかどうかで確認できるからです。

基本的に大意を理解していればいいと思います。ただし、あなたが使った「執着」という言葉のように、言葉の使い方を誤ってしまうと誤解され、減点されるでしょう。気をつけてください。

最近の問題の解答例は、センター試験後あるいは2月にブログに掲載しようと思っています。
前田大河
2011年12月12日 15:54
なるほど
確かに執着という言葉は、後ろ向きなニュアンスですね。
これからは言葉選びにも慎重になろうと反省しました。
有難うございます
Y
2013年02月22日 18:40
3日後に二次で数日前にここを見つけました

すごく参考になります
僕の先生は逡巡をキーワードにしてました


僕は時折答える以前に文章が頭に入って来ません
何かアドバイスなり激励なり下さいませんか
佐々木哲
2013年02月23日 00:05
Yさんへ

あなたの先生の解釈も間違ってはいません。たしかに、白いものを前にしたときの「逡巡(ためらい)」も重要です。しかし、わたしは白いものに筆を下ろす「思いっきりのよさ」がもっとも重要だと考えています。

次がないというからこそ、慎重に筆を下ろし、いちど筆を下ろしたら思いっきり描く。「諦め」を否定的ではなく、肯定的にとらえる思いっきりのよさが、作品の完成度を高めます。

つぎに東大の現代文ですが、問えもむ難しいです。頭に入ってこないのは、あなただけではありません。そこで予備校では逐語訳をします。しかし英文解釈で逐語訳をしたら、的外れな解答を書いてしまうことが、よくありますよね。

まずは筆者が何を主張しているのかを読み取りましょう。こまかいことは後回しです。一般に予備校の指導や模範解答は一字一句にこだわっていますが、一字一句にこだわるとかえって全体の筋とは違った解答になってしまいます。

あくまで全体の文意を捉えてください。あとは傍線部のある段落が、全体の中でどういう位置にあるのか読み取ってください。そうすれば、各設問の解答をつなげたときにあらすじになっているはずです。

あらすじを書けばいいんだという気持ちで、問題文に向かいましょう。難しい文章が出たら、皆も読めないと思い切りましょう。そして、あらすじを捉えましょう。それだけでいいです。健闘を祈ります。そして合格発表のときに、わたしが書いた模範解答を見てください。号外で配っているはずです。
Y
2013年02月23日 00:29
佐々木先生
夜遅くにありがとうございます


あらすじですね
意識してみます

大事な所に線を引けと言われてから
僕は細部に拘るあまり
1通り読むのに20分以上
1問ごとに読み直して10分
合計70分以上かかってました

最近全体が見えてないことには気付いたのですが


また僕の先生は対立項を意識して解答に含むよう仰るのですがこれはどうでしょうか

最後にすみません
極端に言うとですが
傍線部の守備範囲の段落の要約が
傍線部の設問に答えようとしなくても
自然と解答になるということですか
佐々木哲
2013年02月23日 00:43
対立項に注目するのは、現代文を読むときの基本中の基本です。必ず何と何を対立させているのか読み取りましょう。

評論文の最も大きなテーマは「常識を疑う」です。そのため、常識的な見解と筆者の主張が必ず対立しています。〈たしかに〉と常識の一部を認めつつ、〈しかし〉と言って自分の主張を展開するのです。対立項を見つければ、筆者の主張を読み取りやすくなります。

また傍線部は必ず段落あるいは段落群の主張あるいは重要部分です。段落あるいは段落群の筋とほぼ一致しています。もちろん傍線部の用語の使い方に注意する必要はありますが、求められている解答と段落の筋とはほぼ一致します。おそれずに、あらすじを書きましょう。

そうすれば、自然と自分の言葉になっているはずです。東大入試で、もっとも重要なのは自分の言葉で書くことなのです。
Y
2013年02月24日 11:45
お礼が遅くなってすみません
御返答ありがとうございます
明日頑張ります


最後の最後なのですが
もしも本当に時間がない場合は
苦肉の策として
全体のまとめとも言える問い5は
問い1~4の答えを
つなぎ合わせたのを答えとしてもよいでしょうか
それとも5は捨てて
1~4を推敲するのが得策でしょうか
佐々木哲
2013年02月24日 19:45
何も書かなければ得点にはなりません。最初からあきらめるのではなく、時間配分を考え、全問解くようにしましょう。

そもそも設問1~4までが合っているという保証もないのです。時間がなくても、何か書きましょう。問題文を読みながら思いついた内容を書くといいでしょう。

時間内で書き上げられるように、こまかいことは気にせずに、全体としてあらすじになっていればいいと、わたしは助言したのですよ。

古文・漢文を仕上げてから、現代文を解けば、時間配分は調整できるはずです。健闘を祈ります。
Y
2013年02月24日 21:01
あらすじを常に意識していきます
相談に乗っていただき
本当にありがとうございました

また合格報告をしにきます
佐々木哲
2013年02月24日 21:20
時間がないと思えば、細部に拘らず大意を捉えられるので、かえって好都合です。

全体のあらすじと、段落・段落群ごとの大意を捉えて書きましょう。

見直しのとき、解答全体であらすじになっていれば、それで大丈夫です。
Y
2013年03月19日 16:03
遅くなってすみません

おかげさまで国語では
良い点取れました

しかし他教科のミスで
もう1年頑張ることになりました

ご指導ありがとうございました

佐々木哲
2013年03月20日 00:07
Yさんへ

残念でした。しかし、東大は浪人してでも入学した方がいいと思います。他の大学を卒業してから、3年次から入学する学士入学、大学院修士課程に入学する方法もあります。どの方法でも、一度は東大で学ぶといいと思います。教授陣がいいですし、学生もよく考えている者が多いです。

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