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zoom RSS 2008年東大前期・国語第1問「歴史拘束性と自由」【予告編】

<<   作成日時 : 2009/02/19 22:55   >>

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 いまここであらためて、歴史とは何か、という問いを立てることにする。大きすぎる問いなので、問いを限定しなくてはならない。中島敦が「文字禍」で登場人物に問わせたように、歴史とはあったことをいうのか、それとも書かれたことをいうのか、ともう一度問うてみよう。この問いに博士は、「書かれなかった事は、無かった事じゃ」と断定的に答える。すると博士の頭上に、歴史を刻んだ粘土板の山が崩れおちてきて命を奪ってしまうのだった。あたかも、そう断定した博士の誤りをただすかのように。こういう物語を書いた中島敦自身の答は、宙づりのままである。
 たしかに、書かれなくても、言い伝えられ、記憶されていることがある。書かれたといても、aサンイツし、無に帰してしまうことがある。たとえば私が生涯に生きたことの多くは、仮に私自身が「自分史」などを試みたとしても、書かれずに終わる。そんなものは歴史の中の微粒子のような一要素にすぎないが、それがナポレオンの一生ならば、もちろんそれは歴史の一要素であるどころか、歴史そのものということになる。ナポレオンについて書かれた無数の文書があり、これからもまだ推定され、確定され、新たに書かれる事柄があるだろう。だから「書かれなかった事は、無かった事じゃ」と断定することはできない。もちろん「書かれた事は、有った事じゃ」ということもできないのだ。
 さしあたって歴史は、書かれたこと、書かれなかったこと、あったこと、ありえたこと、なかったことの間にまたがっており、画定することのできないあいまいな霧のような領域を果てしなく広げている、というしかない。歴史学が、そのようなあいまいな領域をどんなに排除しようとしても、歴史学の存在そのものが、この巨大な領域に支えられ、養われている。この巨大な領域のわずかな情報を与えてきたのは、長い間、神話であり、詩であり、劇であり、無数の伝承、物語、フィクションであった。
 歴史の問題が「記憶」の問題として思考される、という傾向が顕著になったのはそれほど昔のことではない。歴史とはただ遺跡や史料の集積と解読ではなく、それらを含めた記憶の行為であることに注意がむけられるようになった。史料とは、記憶されたことの記録であるから、記憶の記憶である。歴史とは個人と集団の記憶とその操作であり、記憶するという行為をみちびく主体性と主観性なしにはありえない。つまり出来事を記憶する人間の欲望、感情、身体、経験をbチョウエツしてはありえないのだ。
 歴史を、記憶の一形態とみなそうとしたのは、おそらく歴史の過大な求心力から離脱しようとする別の歴史的思考の要請であった。歴史は、ある国、ある社会の代表的な価値観によって中心化され、その国あるいは社会の成員の自己像(アイデンティティ)を構成するような役割をになってきたからである。歴史とは、そのような自己像をめぐる戦い、言葉とイメージの闘争の歴史でもあった。歴史における勝者がある以前に、歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ
 あるいは情報技術における記憶装置(メモリー)の役割さえも、歴史を記憶としてとらえるために一役買ったかもしれない。熱力学的な差異としての物質の記憶、遺伝子という記憶、これらの記憶形態の延長上にある記憶としての人間の歴史を見つめることも、やはり歴史をめぐる抗争の間に、別の微粒子を見出し、別の運動を発見するcキカイになりえたのだ。量的に歴史をはるかに上回る記憶のひろがりの中にあって、記憶は局限され、一定の中心にむけて等質化された記憶の束にすぎない。歴史は人間だけのものだが、記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている
 歴史という概念そのものに、何か強迫的な性質が含まれている。歴史は、さまざまな形で個人の生を決定してきた。個人から集団を貫通する記憶の集積として、いま現存する言語、制度、慣習、法、技術、経済、建築、設備、道具などすべてを形成し、保存し、破壊し、改造し、再生し、新たに作りだしてきた数えきれない成果、そのような成果すべての集積として、歴史は私を決定する。私の身体、思考、私の感情、欲望さえも、歴史に決定されている。人間であること、この場所、この瞬間に生まれ、存在すること、あるいは死ぬことが、ことごとく歴史の限定(dシンコウをもつ人々はそれを神の決定とみなすことであろう)であり、歴史の効果、作用である。
 にもかかわらず、そのようなすべての決定から、私は自由になろうとする。死ぬことは、歴史の決定であると同時に、自然の決定にしたがって歴史から解放されることである。いや死ぬ前にも、私は、いつでも歴史から自由であることができた。私の自由な選択や行動や抵抗がなければ、そのような自由の集積や混沌がなければ、そもそも歴史そのものが存在しえなかった。
 たとえばいま、私はこの文章を書くことも書かないこともできる、という最小の自由をもっているではないか。生活苦を覚悟の上で、私は会社をやめることもやめないこともできるというような自由をもち、自由にもとづく選択をしうる。そのような自由は、実に乏しい自由であるともいえるし、見方によっては大きな自由であるともいえる。そのような大小の自由が、歴史の中には、歴史の強制力や決定力と何らeムジュンすることなく含まれている。歴史を作ってきたのは、怜悧な選択であると同時に、多くの気まぐれな、盲目の選択や偶然でもあった。
 歴史は偶然であるのか、必然であるのか、そういう問いを私はたてようとしているのではない。歴史に対して、私の自由はあるのかどうか、と問うているのだ。そう問うことにはたして意味があるのかどうか、さらに問うてみるのだ。けれども、決して私は歴史からの完全な自由を欲しているのではないし、歴史をまったく無にしたいと思っているのでもない。歴史とは、無数の他者の行為、力、声、思考、夢想の痕跡にほかならない。それらとともにあることの喜びであり、苦しみであり、重さなのである
                          (宇野邦一『反歴史論』)

〔注〕 ○「文字禍」――中島敦(一九〇九〜一九四二)の短編小説。


設問
(一)「歴史学の存在そのものが、この巨大な領域に支えられ、養われている」(傍線部ア)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(二)「歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージなのだ」(傍線部イ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(三)「記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている」(傍線部ウ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

(四)「歴史という概念そのものに、何か強迫的な性質が含まれている」(傍線部エ)とあるが、どういうことか、説明せよ。

(五)筆者は「それらとともにあることの喜びであり、苦しみであり、重さなのである」(傍線部オ)と歴史について述べているが、どういうことか、一〇〇字以上一二〇字以内で説明せよ。(句読点も一字として数える。なお採点においては、表記についても考慮する。)

(六)傍線部a、b、c、d、eのカタカナに相当する漢字を楷書で書け。
a サンイツ  b チョウエツ  c キカイ  d シンコウ  e ムジュン


(一)
【解説】
傍線部の内容を説明させる設問では、基本的には段落の内容をまとめれば、そのまま傍線部の内容を説明した解答をつくることができる。この設問もそのような設問である。傍線部アのある段落をまとめるといい。さらに文章の構成を考えれば、前後の段落との関係を把握した方が当段落は前段落では、中島敦の短編小説に登場する博士の「書かれなかった事は、無かった事じゃ」という言葉を否定した上で、歴史は書かれたことだけではなく、書かれなかったことをも含む「画定することのできないあいまいな霧のような領域」と述べている。これが、傍線部アで「この巨大な領域」といわれているものである。つまり、歴史学が対象とする歴史そのものは文字資料が指し示すものだけではなく、文字資料として残っていない出来事も含んでいる。これが、前段落を受けた当段落の内容である。ここで注意点は、歴史そのものは資料として残されたもの以外も含むということである。
【解答例】
歴史は文字資料だけではなく、文字資料として残されていない内容も持つということ。

(二)
【解説】
歴史は、国あるいは社会の成員の自己像を構成する役割を担ってきたものであり、自己像を作り上げるときには多くの歴史叙述が取捨選択されてきている。それが、「自己像をめぐる戦い」であり、「言葉とイメージの闘争の歴史」である。それが、傍線部イ「歴史そのものが、他の無数の言葉とイメージの間にあって、相対的に勝ちをおさめてきた言葉でありイメージ」ということである。言葉で文字資料、イメージで非文字資料を示しているが、そのどちらも資料として認めたうえで、その中から取捨選択がなされているということである。その取捨選択を「言葉とイメージの闘争の歴史」という表現を使用している。
【解答例】
歴史とは社会が自らの根拠を過去に求めたものであり、歴史像が構築されたときに必ず取捨選択がなされてきたということ。

(三)
【解説】
傍線部ウでは「記憶の方は、人間の歴史をはるかに上回るひろがりと深さをもっている」と述べられているが、その直前で「記憶は局限され、一定の中心にむけて等質化された記憶の束」が歴史であると述べられており、歴史像が構築される過程で、記憶が取捨選択されて歴史像から漏れたものがあると主張されている。「局限」で絞られていることが示され、「一定の中心にむけて等質化された」で、異なる見方(異見)が排除されていることが示されている。記憶の中の一部が、それも一定の方向のものだけが選択され歴史像に使われている。そのため、そこから当然のこと漏れたものがある。それは資料で残されなかったものだけではなく、資料として残されたものであっても、一定の方向と合致しなかったものは排除されているのである。
【解答例】
歴史には歴史像の構築のときに選択されなかった記憶も含まれており、広大であるということ。

(四)
【解説】
傍線部エ「歴史という概念そのものに、何か強迫的な性質が含まれている」は段落の最初の文であり、前段落の内容を受けながら、当段落のテーマを述べた文である。当段落の内容をまとめるといいだろう。とくに直後の「歴史は、さまざまな形で個人の生を決定してきた」は分かりやすい文章であり、この一文で歴史拘束性について述べていることが分かる。
【解答例】
個人は歴史の影響の下にあり、歴史はさまざまな形で個人の生を決定しているということ。

(五)
【解説】
傍線部オ「それらとともにあることの喜びであり、苦しみであり、重さなのである」で喜びであり、苦しみと述べられているので、自由と歴史拘束性の両面について述べるといいだろう。筆者はこの歴史の両面について前向きに捉えており、自由と歴史拘束性を対立するものとしてではなく、歴史の中にあって自由に決断できるのが人間であると、前向きに結ぶといいだろう。
【解答例】
わたしたちは歴史に拘束されていると考えることもできるが、わたしたちは自ら直面している問題に判断を下すことで、自らのアイデンティティを確認できるのであり、歴史拘束性と自由は対立するものではないといえる。

(六) a 散逸  b 超越  c 機会  d 信仰  e 矛盾

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
一般的な言葉に言い換えていることに気づいていない批判コメントですね。自分の読解力のないために理解できないのを、他人が誤っているから理解できないと読み違っています。

歴史には、「人間の記憶」にも資料にもとどまらずに消えていく歴史、「人間の記憶」や資料に残された歴史、記憶・資料に残された歴史のうち歴史像として構築された「歴史」があり、筆者はそれを適切に分けています。

ここでは「人間の記憶」に残された歴史と、そこから構築された歴史像としての歴史を比較して、「人間の記憶」は「歴史」より広いと言っているのです。

それを一般的な言葉遣いに換えて、「歴史」が「歴史像」を越えているとしました。筆者も冒頭で一般的な意味で「歴史」と言っており、「歴史」と「歴史像」を使い分けることで論述しました。

もう少しできる方と思っていたので、残念です。あなたのコメントは参考になりません。
佐々木哲
2010/07/06 21:43
わたしは堂々と本名を名乗っていますので、批判されるなら、あなたも本名を名乗り、対案とその根拠を示してください。そうでなければ責任ある意見とはいえません。他人を批判するときには、そのぐらいの覚悟と責任を持ってください。

責任を自覚して批判するのであれば、それ相当の良い批判ができますが、自分の身を安全な場所に隠しての批判は、責任がない分、ろくに調べもせずに述べたものですから、単なる悪口にしかなりません。

しかしネットは匿名性があるようでないものです。すでにIPアドレスは頂いています。kさんは携帯(ezweb)ですね。たけさんは沖縄(ocn)ですね。

わたしのページに限らず、今後はいたずら半分の批判はやめた方が良いですよ。
佐々木哲
2010/07/06 21:56
歴史について論述される方、および受験生のみなさんへ

「歴史」という言葉には、「歴史事実」と「歴史叙述」という二重の意味があります。この二つの意味を混同しないことが、歴史について述べるときにはもとめれます。わたしはそれを「歴史」「歴史像」と使い分けました。

歴史に関する評論を読むとき、および論述のときには、十分に気をつけて下さい。
佐々木哲
2010/07/06 22:00
あっそうそう、もうひとつ重要なことがあります。

それは、記憶にも残っていない歴史的事実です。記憶にも資料にも残っていないために、歴史的事実と認められることなく、忘れられていくものです。これは、「人間の記憶」や資料に残された歴史より、さらに広いものです。「原歴史」とも呼べるものです。これはカントの物自体に相当するもので、直接認識することはできず、あくまで記憶や資料に残された歴史がすべてではないということを強調するときに述べるものです。

この原歴史を論じることはできないので、筆者は「人間の記憶」という言い方で歴史事実を表し、記憶が構築された歴史像と対比させているのでしょう。
佐々木哲
2010/07/06 22:08
「原歴史」ですか、理解が深まりました
鈴木
2012/03/30 21:39
これは東大の過去問でも結構難しいほうですか?
鈴木
2012/03/30 21:47
歴史叙述と原歴史を使い分けなければならないので、受験生にとっては難問かもしれません。

そこで、この課題文を理解しやすくしようと、私は「原歴史」という造語をつくりましたが、この課題文の内容は歴史論としてはよく語られるもので、とくに目新しい内容が含まれているわけではありません。そのため、格別難しいとはいえません。

むしろ、この課題文の内容を理解しておけば、他の歴史論の文章も随分と読みやすくなると思います。
佐々木哲
2012/04/01 01:00
ご返事ありがとうございます
鈴木
2012/04/03 20:06

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