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zoom RSS 「小さな親切・大きなお世話」に疑問

<<   作成日時 : 2006/09/29 00:54   >>

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 一方では「日本人は親切じゃなくなった」と言い、もう一方では「小さな親切、大きなお世話」と言うのは、実におかしいなことだと思う。「大きなお世話」と思われるのが嫌で、優しい人が優しさを表現できずにいる。

 「小さな親切、大きなお世話」なんて言っているから、わたしたちは親切にすることに億劫になってしまう。席を譲ろうとしても、「そんな年齢ではありません」と怒られるのが嫌で、席を譲らない人は結構多いはずだ。

 「小さな親切、大きなお世話」という言葉があるから、ひとは親切を表現できない。「偽善」という言葉があるから、ひとは正義を主張できないのだ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
偽善だと開き直ればいいのでしょう。

「そんな歳ではない」というなら「譲られたらガタガタ言わずに座るもんだ」と答えればいい。

偽善さえも死んでもやり続ければ本物でしょう。人のことなど気にせず、なんでもいいから最後までやってればいいんです。

その点でイスラム教はいいですね。貧乏人は当然のように喜捨を求め、金持は当然のように喜捨をする。日本みたいにしたくないとか、カッコつけるとか、下衆で陰気な心情が入らぬのがいいですね。

「小さな親切大きなお世話」とか珍奇な心理的小細工などなく、実にあっさりとしたもんで、爽快です。
無名士
2007/12/08 19:55
コメントありがとうございます。

他人を偽善者呼ばわりする人の方が、偽善者と言われている人よりも、よっぽど偽善者だ。そんな思いで、この記事を書きました。わたしも実行者でありたいと思っています。

※ヒンドゥー教でも、貧者は当然のように喜捨を求め、富者は当然のように喜捨するそうです。
佐々木哲
2007/12/09 02:49

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