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zoom RSS 2006年東大前期・世界史第1問「近代が生んだナショナリズム」

<<   作成日時 : 2006/09/12 02:16   >>

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近代以降のヨーロッパでは主権国家が誕生し、民主主義が成長した反面、各地で戦争が多発するという一見矛盾した傾向が見られた。それは、国内社会の民主化が国民意識の高揚をもたらし、対外戦争を支える国内的基盤を強化したためであった。他方、国際法を制定したり、国際機関を股立することによって戦争の勃発を防ぐ努力もなされた。
 このように戦争を助長したり、あるいは戦争を抑制したりする傾向が、三十年戦争、フランス革命戦争、第一次世界大戦という三つの時期にどのように現れたのかについて、解答欄(イ)に一七行以内で脱明しなさい。その際に、以下の八つの語句を必ず一度は用い、その語句の部分に下線を付しなさい。

ウェストファリア条約   国際連盟      十四カ条
『戦争と平和の法』    総力戦       徴兵制
ナショナリズム      平和に関する布告


【解き方】
 近代以降のヨーロッパでの戦争と平和をめぐる動きを、「ウェストファリア条約」「国際連盟」「十四カ条」「戦争と平和の法」「総力戦」「徴兵制」「ナショナリズム」「平和に関する布告」を使用しながら、論述する問題だ。
 これらのキーワードを、それぞれ三十年戦争・フランス革命戦争・第一次世界大戦の三つの時期に分類してみよう。
 まず三十年戦争だ。ここで使用するキーワードは、「戦争と平和の法」「ウェストファリア条約」だ。
 ウェストファリア条約は、言うまでもなく三十年戦争の講和条約だが、その成立にいたる過程を見てみよう。
 中世において、ドイツ皇帝は神聖ローマ皇帝であったため、イタリア政策に追われ、ドイツ国内での皇帝権力が弱く、諸侯がそれぞれ統治権と外交権と掌握し、ひとつの国家として独立している状態だった。このような状態を領邦国家といった。ハプスブルク家のカール五世は、神聖ローマ皇帝を選ぶ選挙で、南ドイツの大商人フッガー家の資金提供を受け、フランスのフランソワ一世との厳しい選挙戦を乗り切った。
 皇帝はローマ教会の保護者に対して、ローマ教皇から授与されたものだったので、ルターによって宗教改革後が始まると、カール五世はローマ教皇・フッガー家と結んでカトリックを保護し、ルターを弾圧した。これに対して、皇帝選挙での選挙権を有する選帝侯ザクセン家は、神聖ローマ皇帝を輩出したこともある名門だったが、カール五世に対抗してルターを保護した。実はルターがザクセン選帝侯領内の出身であったため、ザクセン侯は居城にルターを保護して、聖書のドイツ語訳をすすめさせたのだ。プロテスタントとは、このとき「抵抗する者」という言葉から生まれた名称だ。
 オスマン=トルコ軍によるウィーン包囲もあり、カール五世はプロテスタントとの妥協を迫られ、ウオルムス国会で諸侯が自ら信仰を決める権利を承認した。ここでも領主の統治権が守られたことになる。しかし、領民には自らの信仰を決める権利がなかったため、諸侯が変わると領民も宗派を変えなければならなかった。実際にプロテスタントの領主からカトリックの領主に替わったことが不満で領民が蜂起したのが、三十年戦争の始まりだ。
 三十年戦争は、もともとは宗教改革から続くドイツでのカトリック派とプロテスタント派の諸侯の抗争だったが、それにプロテスタントであるデンマーク・スウェーデン国王が介入、さらにカトリック国であるフランスが反ハプスブルク家という政治的立場で、プロテスタント側に参戦するという国際戦争になった。結果、講和条約であるウェストファリア条約は世界初の国際条約になり、またグロティウスは、三十年戦争の惨状を見て、『戦争と平和の法』を著して国際法の確立を主張した。
 つぎに、フランス革命だ。ここで使用されるキーワードは、「徴兵制」「ナショナリズム」だ。
戦争が国民戦争になるのは、一八世紀のフランス革命後だ。ジャコバン政権が徴兵制度を確立したことで、国民が戦争に参加する国民の戦争になったのだ。このときから国民がナショナリズムに目覚めた。
 一九世紀のナポレオン戦争を経て自由を知ったドイツ・イタリアなど各国では、国民意識が高まり、国民レベルからの統一運動が展開された。これが、初期のナショナリズムだ。しかしウィーン会議は、国王レベルでの平和維持体制でしかなかった。フランス革命以前の状態に戻すことを目指す正統主義と、列強による勢力均衡だけが目指された。それに対抗するのが、ナショナリズムだったのだ。けっして悪い意味ではない。
最後に、第一次世界大戦だ。使用するキーワードは「総力戦」「平和に関する布告」「一四カ条」「国際連盟」だ。
 ナショナリズムが悪い意味をもつのは、国民国家を建設しようという国民レベルの運動であった民族主義を、国家が挙国一致のために利用するようになってからだ。学校教育でナショナリズムを創出し、同じ民族の住む地域を民族自決の名のもとに併合し、また植民地での民族紛争の調停者になることで植民地支配を確立した。さらに対外戦争を繰り返すことで、ナショナリズムは高められた。
 第一次世界大戦は、空襲・海上封鎖などにより非戦闘員も巻き込む総力戦となった。国家主義としてのナショナリズムは、国民生活を破壊した。
 ロシア革命を指導したレーニンは、平和に関する布告で無併合・無賠償・民族自決の原則による平和を訴えたが無視された。一方、アメリカ大統領ウィルソンは〈十四カ条の平和原則〉を発表して、史上初の国際平和機関の設置を提唱した。戦後、国際連盟が設置され、集団安全保障による戦争の抑制が初めて試みられた。そのなかでも民族自決はうたわれた。この民族自決は、国家主義を否定する国民主義としての民族自決である。

【解答例】
三十年戦争は、宗教改革から続くドイツ国内の宗教戦争だったが、諸外国の軍事介入を招き国際戦争になり、講和条約のウェストファリア条約は世界初の国際条約となった。このとき一方に被害をうけた民衆の惨状を見て、グロティウスは、戦争に規制をもとめる国際法の必要性を『戦争と平和の法』で唱えた。一八世紀のフランス革命で、民衆は国民意識を高め、ジャコバン政権が徴兵制を確立した。これが国民主義としてのナショナリズムだ。さらにナポレオン戦争で自由と国民意識をもったドイツ・イタリア民衆も、国民レベルで祖国統一運動を展開した。さらに政府も、弾圧するだけではなく、民衆の国民意識を挙国一致のために利用するようになった。第一次世界大戦は、まさに国民全員を労働力として動員する総力戦となり、国民生活を破壊しつくした。この惨状に、ロシア革命の指導者レーニンは、平和に関する布告で無併合・無賠償・民族自決の原則による平和を訴え、さらにアメリカ大統領ウィルソンが十四カ条の平和原則を発表して、国際平和機関の設置を提唱した。こうして戦後には国際連盟が設置され、協調外交による国際平和が目指された。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
先日は貴重なご意見有難うございました。
この問題ですが、やはり傭兵の戦争→男子の国民の戦争→工業力を支える銃後(女性や子供)が巻き込まれる
と明記した方がいいのではないでしょうか?
また、戦争抑止の動きとしてウィーン体制は入れるべきだと思います。他の二つの戦争は抑止の動きを書いているのですから。
最後になりますが、WWTの戦争抑止の部分で集団安全保障と戦争違法化の考え方を入れるのはどうでしょうか?
検討よろしくお願い致します。
公孫讃
2008/02/05 01:29
貴重なご意見ありがとうございます。しかし、あなたと私では基本的な考え方が大きく異なっているようです。

東大入試では、与えられたキーワードで大きく流れをつかむことが求められています。キーワード以上に詳細に書いていくことは求められていません。そのことは字数の割りにキーワードが多いことで分かります。そのため、わたしはキーワードと国語力で解くことを心掛けています。

予備校の模範解答では詳細すぎて、流れが分からなくなっているもの、あるいは、書き加えられた詳細な知識がかえって誤っているものを見かけます。

そのため、私の解答例はキーワードと流れだけを記すものになっているのです。また、そのことで受験生でも無理なく書ける解答例になっているはずです。
佐々木哲
2008/02/05 05:27

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