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zoom RSS 2001年東大前期・世界史第1問「エジプトの歴史」

<<   作成日時 : 2006/09/03 00:47   >>

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輝かしい古代文明を建設したエジプトは、その後も、連綿として五〇〇〇年の歴史を営んできた。その歴史は、豊かな国土を舞台とするものであるが、とりわけ近隣や遠方から到来して深い刻印を残した政治勢力と、これに対するエジプト側の主体的な対応との関わりを抜きにしては、語ることができない。
 こうした事情に注意を向け、
 (1)エジブトに到来した側の関心や、進出に至った背景
 (2)進出をうけたエジブト側がとった政策や行動
の両方の側面を考えながら、エジプトが文明の発祥以来、いかなる歴史的展開をとげてきたかを概観せよ。解答は、解答欄の(イ)を使用して一八行以内とし、下記の八つの語句を必ず一回は用いた上で、その語句の部分に下線を付せ。

アクティウムの海戦、 イスラム教、 オスマン帝国、 サラディン、
ナイル川、 ナセル、 ナポレオン、 ムハンマド・アリー


【解き方】
 はじめに、あたえられているキーワードを時代順に並べ替えてみよう。
 すると、「ナイル川」「アクティウムの海戦」「イスラム教」「サラディン」「オスマン帝国」「ナポレオン」「ムハンマド=アリー」「ナセル」になる。これで下書きはできた。
 まずは、「ナイル川」だ。古代のエジプト文明から記述してみよう。
エジプトでは前三〇〇〇年頃にハム系民族がナイル川流域を統一し、古王国・中王国を建設したが、エジプトのナイル川による農業生産および地中海・紅海・アフリカ内陸部の交通の枢要の地であることに注目して、諸勢力が侵入した。前一七世紀にはヒクソスの侵入をうけたが、前一六世紀にはこれを撃退して新王国を樹立し、シリアにも進出してヒッタイトと抗争した。
 のちに世界帝国アッシリアとアケメネス朝は、ここを重要な属州とし重税を課した。前四世紀アレクサンドロスの征服、プトレマイオス朝の支配下でエジプトはギリシア文化を受容しヘレニズム文化が成立した。
 つぎに、「アクティウムの海戦」だ。これで、ローマとの関係を記述すればいい。
前一世紀アクティウムの海戦により、プトレマイオス朝が滅亡して、ローマ領に編入された。エジプトはキリスト教を受け入れ、アレクサンドリアは、キリスト教五本山のひとつになった。また、紅海からアラブ海・インド洋へとむかう季節風貿易の拠点にもなっている。『エリュトゥラー海案内記』の著者は、エジプト在住のギリシア人だ。
 つぎに「イスラム教」「サラディン」だ。
七世紀アラブ人の大征服を歓迎したエジプト人はイスラム教に改宗し、一〇世紀にはシーア派のファーティマ朝、一二世紀アイユーブ朝、一三世紀以降はマムルーク朝のもとでカイロが建設され、エジプト商業は栄えた。十字軍も第三回以降はこの国を敵としたが、アイユーブ朝のサラディンはこれを撃退した。一三世紀マムルーク朝はモンゴルの遠征軍とキリスト教徒の十字軍を撃退したが、一六世紀オスマン帝国に征服された。
 つぎに「オスマン帝国」「ナポレオン」「ムハンマド・アリー」だ。エジプトはオスマン帝国に支配されたが、やがて自立していく。その過程を記述する。
一六世紀にはオスマン帝国がマムルーク朝を征服し、地中海進出の拠点となった。一八世紀末に、ナポレオンが英国とインドの交通路遮断のためエジプトに侵入した。ところが反フランス革命諸国による対仏大同盟で本国が危機に陥ると、エジプトを脱出して本国に帰国し、クーデタで政権を握り本国フランスの危機を救ったが、エジプトに残留していたフランス軍は降伏した。このときの功績でエジプト総督を世襲したのがムハンマド・アリーだ。彼は、近代化を推進し、一八三〇年代エジプト=トルコ戦争で総督を世襲することを認められ、オスマン帝国からの自立を果たした。
 その後、エジプトは財政難に陥り、スエズ運河会社の株式をイギリスに売却したことで、イギリスの干渉を受けた。それに対してアラービー・パシャが反乱を起こしたが、反乱を鎮圧したイギリスは、エジプトを保護国にした。
 最後に「ナセル」だ。エジプトはイギリスから独立し、アラブ社会の盟主になる。
 第二次大戦後の一九五〇年代には白由将校団の革命で共和国に移行、ナセルが政権を掌握した。王政を倒したナセル大統領はスエズ運河国有化を宣言、これに反対して出兵した英仏・イスラエルを国際世論の支持で撤兵させた。

【解答例】
肥沃なナイル川流域に古代文明が誕生したが、豊かさと交通の利便性から、多くの異民族の侵入も受けた。まずヒクソスの侵入をうけたが、撃退して新王国を樹立すると、逆にシリアに進出してヒッタイトと抗争した。しかしアッシリアとアケメネス朝に相次いで征服された。さらにアレクサンドロス大王に征服されたが、プトレマイオス朝のもと、ヘレニズム文化の中心として栄えた。アクティウムの海戦でローマに支配されても、アレクサンドリアはキリスト教五本山の一つになり、また季節風貿易の拠点として栄えた。イスラム教が広がると、ファーティマ朝がカイロを建設し、つづくアイユーブ朝のサラディンは十字軍を撃退、マムルーク朝もモンゴル軍と十字軍を撃退してアッバース朝のカリフを保護し、カイロがイスラム文化の中心となったが、そのためにオスマン帝国に征服された。ナポレオンは英とインドの交通遮断のためエジプト遠征を実施したが失敗。これを機にオスマン帝国から自立したムハンマド・アリー朝は近代化に着手し、スエズ運河も建設したが、財政難でスエズ運河株式会社の株を英に売却し政治介入を招いた。第二次大戦後ナセルはスエズ運河国有化を宣言、英仏・イスラエルの軍事介入を招くが、国際世論の支持で自立に成功した。

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