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zoom RSS 1999年東大前期・世界史第1問「地域を通して世界を見る・スペインの歴史」

<<   作成日時 : 2006/08/31 23:42   >>

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ある地域の歴史をたどると、そこに世界史の大きな流れが影を落としていることがある。イベリア半島の場合もその例外ではない。この地域には古来さまざまな民族が訪れ、多様な文化の足跡を残した。とりわけヨーロッパやアフリカの諸勢力はこの地域にきわめて大きな影響を及ぼしている。このような広い視野のもとでながめるとき、紀元前三世紀から紀元一五世紀末にいたるイベリア半島の歴史はどのように展開したのだろうか。その経過について解答欄(イ)に一五行以内で述べよ。なお、下に示した語句を一度は用い、使用した語句に必ず下線を付せ。

 カスティリア王国   カ一ル大帝   カルタゴ   グラナダ
 コルドバ        属州       西ゴート   ムラービト朝

【解き方】
地域史をたどることで、かえって世界史の大きな流れが見えてくることがある。イベリア半島もそうだ。深めるということと広げるということは同じことだと、改めて知ることができる。
 あたえられているキーワードは、「カスティリア王国」「カ一ル大帝」「カルタゴ」「グラナダ」「コルドバ」「属州」「西ゴート」「ムラービト朝」だ。
 これを歴史順に並べ替えてみると、「カルタゴ」「属州」「西ゴート」「コルドバ」「カール大帝」「ムラービト朝」「カスティリャ王国」「グラナダ」になる。どうだろう。イベリア半島の歴史が見えてきただろうか。
 これで、フェニキア人国家の「カルタゴ」、ポエニ戦争でイベリア半島(ヒスパニア)を「属州」にしたローマ、イベリア半島に建国したゲルマン国家「西ゴート」、イベリア半島に建国されたイスラム国家の後ウマイヤ朝の都「コルドバ」、イベリア半島のイスラム勢力と戦ったフランク王国の「カール大帝」、イベリア半島に進出したイスラム勢力「ムラービト朝」、レコンキスタ(国土回復運動)を推進した「カスティリャ王国」、イベリア半島最後のイスラム勢力ナスル朝の都「グラナダ」だ。もう、記述できたも同然だろう。
 イベリア半島は、地中海交易を支配したフェニキア人の国家カルタゴの属州ヒスパニアだったが、前三世紀のポエニ戦争でローマがカルタゴから奪い、属州とした。このことから半島にはラテン文化が流入した。五世紀にゲルマン民族の西ゴートがイベリア半島の大半を支配して、トレドを都にした。西ゴートはグレゴリウス一世のゲルマン布教で、アタナシウス派に改宗してたいへん栄えた。青本の模範解答では、いずれも西ゴートをアリウス派としていたが、完全に間違いだ。
 しかし八世紀にはアラブ人のウマイヤ朝がイベリア半島に進出して、西ゴートを滅ぼした。これでイベリア半島はイスラム文化圏に組みこまれた。アタナシウス派の西ゴートが滅んだことは、ローマ教皇を中心とする西ヨーロッパ世界の危機でもあった。しかし、フランク王国の宮宰カール=マルテルが、トゥール・ポワティエ間の戦いでイスラム軍を撃退して、フランク王国は守られた。カール=マルテルの子ピピンはフランク王国を再統一してカロリング朝を建て、ピピンの子カールは西ヨーロッパを統一して、ローマ教皇から戴冠されて西ローマ皇帝になった。
イベリア半島には後ウマイヤ朝がコルドバを都にして建国され、カール大帝の遠征軍とも抗争した。カール大帝は、イスラム軍を破りスペイン辺境伯領を設置している。
 一一世紀に後ウマイヤ朝が滅亡すると、イベリア半島北部のキリスト教徒によるレコンキスタが本格化し、その過程でアラゴン王国、カスティリア王国、ポルトガル王国などのキリスト教国が建国されたが、北アフリカの先住民ベルベル人は熱心にイスラム神秘主義を信仰し、一一世紀に修道士(ムラービト)によってムラービト朝が建国して、イベリア半島にも進出した。一二世紀にはムラービト朝にかわったムワッヒド朝が、やはりイベリア半島に進出してキリスト教徒と戦った。しかしムワッヒド朝はキリスト教徒に敗北し、一三世紀にはグラナダを都とする地方政権ナスル朝のみが残された。ナスル朝は、末期イスラム文明の精華であるアラベスク模様のアルハンブラ宮殿を建てたことでも有名だ。
 イベリア半島の大半を制圧したキリスト教徒はユダヤ人を追放する一方、トレドを中心にアラビア語文献の翻訳活動を進め、イスラム文化の摂取に努めた。その後、カスティリアとアラゴンの合体でスペイン王国が成立すると、一四九二年イスラム最後の拠点ナスル朝のグラナダを陥落させて、レコンキスタを完了させた。

【解答例】
フェニキア人国家カルタゴが、イベリア半島に属州ヒスパニアを建設したが、ポエニ戦争でローマの属州になった。このことでイベリア半島にはラテン文化が流入した。さらにゲルマン民族の大移動で西ゴートが建国されると、教皇グレゴリウス一世のゲルマン布教で、アタナシウス派に改宗して栄えた。しかしウマイヤ朝が進出して西ゴートを滅ぼすと、イベリア半島はイスラム文化圏に組みこまれた。後ウマイヤ朝はコルドバを都に建国され、カール大帝の遠征軍とも抗争した。後ウマイヤ朝が滅亡すると、イベリア半島北部のキリスト教徒によるレコンキスタが本格化し、その過程でアラゴン王国、カスティリア王国、ポルトガル王国が建国されたが、北アフリカのベルベル人によって建国されたムラービト朝・ムワッヒド朝があいついで進出してキリスト教徒と戦った。しかしムワッヒド朝がキリスト教徒に敗北し、グラナダを都とする地方政権ナスル朝も、カスティリアとアラゴンの合体で成立したスペイン王国に滅ぼされて、一四九二年レコンキスタは完了した。

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