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二〇世紀の民族運動の展開を考えるさい、第一次世界大戦の前後の時期は大きな意味をもっている。この時期にはユーラシアの東西で旧来の帝国が崩壊し、その結果一部の地域では独立国家も生まれたが、未解決の問題も多く残った。それは、現代世界の民族と国家をめぐる紛争の原点ともなった。こうした旧来の帝国の解体の経過とその後の状況について、とくにそれぞれの帝国の解体過程の相違に留意しながら、解答欄(イ)に一五行以内で述べよ。なお、下に示した語句を一度は用い、使用した箇所には必ず下線を付せ。 民族自決、三民主義、少数民族、シオニズム、アラブ、 モンゴル、オーストリア=ハンガリー、 バルト三国 【解き方】 二〇世紀の民族運動を考えるには、ナポレオン戦争から第一次世界大戦までの世界情勢に注目する必要がある。ナポレオン戦争をきっかけにナショナリズムが誕生し、第一次世界大戦では、ユーラシア大陸の東西で、オーストリア、トルコ、ロシア、清という大帝国が崩壊して、多くの独立国家も生まれる一方、未解決の問題も多く残された。それが、現代世界の民族紛争の原点になっている。 まず、キーワード「民族自決」「三民主義」「少数民族」「シオニズム」「アラブ」「モンゴル」「オーストリア=ハンガリー」「バルト三国」をテーマに沿って整理しよう。 キーワードを使用する問題では、キーワードを歴史順に並べるだけで、下書きができあがるものだ。そこで、与えられているキーワードを時代順に並べると、「少数民族」「民族自決」「オーストリア=ハンガリー」「シオニズム」「アラブ」「バルト三国」「三民主義」「モンゴル」となる。さらに民族自立が世界史の大きなキーワードになるのは、ナポレオン戦争後のウィーン体制からだ。ドイツやイタリアでは、民族統一運動が展開されて、民族国家の建設が目指された。そこでウィーン体制から第一次世界大戦までの歴史を、キーワードの「オーストリア=ハンガリー」を中心に記述してみよう。 ドイツ人は十字軍のころから東ヨーロッパ各地で植民活動を展開していた。これがヴァンデ十字軍と呼ばれる運動であり、ドイツ騎士団もそのひとつだ。そのため東欧にはドイツ人が居住する地域が点在していた。それらの地域では、ドイツ人が少数民族であった。ドイツ盟主の地位をプロイセンと争った普墺戦争で敗北したオーストリア(ハプスブルク家)は、ハンガリーの自立を認めて同君連合を結んで「オーストリア=ハンガリー」二重帝国になると、帝国の重心を東に移して、東欧におけるドイツ人の統合を目指してパン=ゲルマン主義を唱えた。このようにオーストリアがバルカン半島に進出すると、スラヴ人の統合を目指してパン=スラヴ主義を唱えたロシアと対決した。これが、第一次世界大戦の原因のひとつである。 第一次世界戦後、ウィルソンの一四カ条の民族自決主義に基づいて、サンジェルマン条約でオーストリア支配下にあったスラヴ系国家が独立し、チェコも独立した。しかし、そのことでそれまで支配者であったドイツ人やイスラム教徒が少数民族として取り残され、あらたに東欧の民族問題が生じた。 これで、キーワード「オーストリア=ハンガリー」の記述ができた。 つぎに、キーワード「バルト三国」についてみてみよう。 バルト三国といえば、第一次世界大戦でソ連から独立を承認された。ソ連は第一次世界大戦中のロシア革命で成立したのだから、ここを中心に仕上げればいい。ロシアは、第一次世界大戦中の物資不足から国民の不満が爆発し、一九一七年にロシア革命が勃発して倒された。革命政府は民族自決の講和を提起して、フィンランド・バルト三国を独立させ、干渉戦争後には多民族連邦であるソヴィエト社会主義共和国連邦に生れ変った。しかし、第二次世界大戦初期の独ソ不可侵条約を結び再びバルト三国を併合した。ソ連崩壊後バルト三国は再び独立を果たしたが、多民族国家であるロシアでは、現在でも資源問題と民族問題がリンクして紛争が続いている。 これで、キーワード「バルト三国」の記述ができた。 つぎに、キーワード「シオニズム」と「アラブ」だ。 どちらもオスマン帝国が関係していることに注目して、関連付けながら記述してみよう。オスマン帝国は、バリカン半島に進出して多くの少数民族を支配していた。そのバルカン半島の民族運動から始まった第一次大戦で敗れたことから、戦後にはセーヴル条約で異民族分離を強制されて解体し、トルコ革命で消滅した。しかもオスマン帝国領は大戦中に英仏露の秘密外交の対象となり、パレスチナでは、アラブ国家の独立を公約したフサイン・マクマホン協定、ユダヤ人の国家建設の悲願(シオニズム)達成を約束したバルフォア宣言が結ばれた。しかし第一次世界大戦後、約束は守られず、アラブ地域は英仏の委任統治下に置かれた。しかもバルフォア宣言をきっかけに、ユダヤ人のパレスチナ移住が活発化して、アラブ人との対立が深刻化した。ここから、現在の中東問題が始まった。 これで、キーワード「シオニズム」と「アラブ」の記述ができた。 つぎにユーラシア大陸の東の中国に関するキーワード「三民主義」と「モンゴル」だ。 多民族国家である中国清王朝は、第一次大戦以前すでにヴェトナム・朝鮮などの属国や諸地域を日欧列強に奪われ宗主国としての地位を失っていた。さらに中国本国でも漢民族が異民族清朝の支配に不満を募らせ、諸外国に留学していた留学生が革命運動中心になり、それを経済的に華僑が支えて革命運動が展開された。孫文は三民主義で満州民族打倒を唱えて革命運動を統合し、一九一一年辛亥革命で清朝が倒れた。これを機にモンゴル人が独立を宣言して、一九二四年外蒙古が独立してモンゴル人民共和国が成立した。しかし多民族国家中華民国の支配地域・民族は清朝とほぼ変わらず、現在でもチベット・ウィグルなど少数民族問題を抱えている。 あとは、これを指定された字数内にまとめればいい。 【解答例】 ナポレオン戦争後、ヨーロッパでは諸民族の間で民族自決が目指され、ドイツ・イタリアの統一運動や少数民族の独立運動が展開された。ドイツ盟主をめぐる普墺戦争で敗れたオーストリアは、ハンガリーの自治を認めて同君連合を結びオーストリア=ハンガリーとなったが、東欧政策でロシアと対決して第一次世界大戦を招いた。大戦後には、スラヴ系国家が多く独立した。ロシアでも大戦中のロシア革命で、フィンランド・バルト三国が独立した。また大戦でオスマン帝国領は英仏露の秘密外交の場となり、アラブ独立を公約したフサイン・マクマホン協定、ユダヤ人の国家建設運動シオニズムを認めたバルフォア宣言が結ばれた。しかしアラブ人の独立は認められず、むしろユダヤ人のパレスチナ移住が活発化し、アラブ人との対立が深刻化した。中国では漢民族が異民族清朝の支配に対して革命運動が展開され、孫文は三民主義を唱えて革命運動を統合して辛亥革命を達成、これを機にモンゴルは独立宣言してモンゴル人民共和国が成立した。 |
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