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zoom RSS 1996年東大前期・世界史第1問「大英帝国の栄光と没落」

<<   作成日時 : 2006/08/28 23:52   >>

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一八世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、世界全体に工業社会の到来をもたらし、現代世界の形成に大きな役割を果たした。そのさい、人々はイギリスの覇権を「パクス・ローマーナ」(ローマの平和)になぞらえて「パクス・ブリタニカ」と呼んだ。しかし、「パクス・ブリタニカ」の展開には、さまざまな地域において、これに対抗する多様な動きが伴った。現代世界はこのような対抗関係を重ねるなかで形作られたとも言えよう。そこで、一九世紀中ごろから二〇世紀五〇年代までの「パクス・ブリタニカ」の展開と衰退の歴史について、下に示した語句を一度は用いて、解答欄(イ)に一五行以内で述べよ。なお、使用した語句に必ず下線を付せ。

自由貿場、南京条約、アラービー・パシャ、3C政策、
マハトマ・ガンディー、宥和政策、マーシャル・プラン、
スエズ運河国有化

【解き方】
 この問題は、大英帝国の栄光と没落について論じる問題だ。あたえられているキーワードは、「自由貿場」「南京条約」「アラービー・パシャ」「3C政策」「マハトマ・ガンディー」「宥和政策」「マーシャル・プラン」「スエズ運河国有化」だ。これで、そのまま時代順に並んでいる。これをもとに、イギリスの栄光と没落の歴史をまとめてみよう。
 まず、「自由貿易」だ。イギリスが、自由貿易を推進したことを見る。
 産業革命によって産業資本家が成長すると、イギリスは、一八四六年に輸入穀物を制限する穀物法を廃止し、さらに一八四九年大特許会社東インド会社の特権を認める航海法を廃止して、「世界の工場」として工業製品を海外に輸出するという自由貿易体制を実現した。このようにイギリスは、穀物法と航海法を廃止して、ひきかえに自由貿易体制を確立した。
 つぎに、「南京条約」だ。実は、貿易相手国に関税自主権を認めない不平等条約は、自由主義貿易の一環であることに気づいてほしい。そうすれば、「自由貿易」から「南京条約」に簡単に話を進めることができる。
 イギリスは、中国に貿易拡大をもとめてアヘン戦争を起こし、一八四二年の「南京条約」で中国市場の開放を実現した。国内的にも、四六年穀物法を廃止して、航海法を廃止して自由貿易体制を確立した。さらに中国の市場開放を拡大するためにアロー戦争を起こし、一八六〇年天津・北京条約で実現して、中国を市場とした。
 つぎに、「アラービー=パシャの乱」だ。
 イギリスは、一八七五年財政難に陥ったエジプトからスエズ運河株式会社の株式の過半数を購入し、さらにエジプト内政・財政に介入した。これに反対して「アラービー=パシャの反乱」がおこるが、イギリスが単独で鎮圧して、エジプトを保護国にした。さらに同時期にスーダンでおきていたマフディーの乱を鎮圧して、南下を進めたところで、フランス軍とスーダンのファショダで衝突した。しかしイギリス・フランスは交渉すすめて英仏協商を結成した。
 つぎに、「3C政策」だ。
 イギリスは、一八九九年からの南ア戦争で、金とダイヤモンドを産出するオランダ系移民の国オレンジ自由国とトランスヴァール共和国を併合して、南アフリカ連邦を成立させた。こうしてアフリカの北部と南部を征服して銃弾政策を推進したイギリスは、これにインドを加えて、「3C政策」を達成し、ドイツの3B政策に対抗した。これが、第一次世界大戦の原因のひとつになる。
 つぎが、「マハトマ=ガンディー」だ。ここからイギリスの没落が始まる。
 第一次世界大戦後では勝利したものの、アメリカが台頭し、英国の覇権は揺らいだ。またロシアでは共産主義革命がおこり、ソ連が成立した。さらに植民地体制もワフド党、シンフェイン党、「マハトマ=ガンディー」の不服従運動で揺いだ。それでもイギリスは三〇年代ウェストミンスター法と連邦経済会議で連邦を保持し、世界恐慌後には、産業合理化で急成長した日本経済をソーシャル・ダンピングと批判するとともに、スターリング・ブロック形成して自国経済を守った。
 つぎに、「宥和世策」だ。イギリスはナチス=ドイツの動きをとめることができず、第二次世界大戦を招いてしまった。
 ナチスの拡大に対しては、一九三八年のミュンヘン会談に象徴される「宥和政策」をとり、ドイツを共産主義勢力の防波堤にしようとした。しかし、このことがナチスの暴走をゆるすことになった。
 つぎに、「マーシャル=プラン」だ。第二次世界大戦後のイギリスには、もはや自力で復興する力はなかった。
 イギリスは第二次大戦に勝利したものの、世界情勢の米・ソ二極化の方向のなかで、大英帝国の没落は決定的となり、むしろ債務国の地位に転落した。戦後復興もアメリカの経済援助「マーシャル・プラン」に頼らざるをえなかった。
 最後に、「スエズ運河国有化」だ。力をうしなったイギリスは、それでも植民地支配を続けようとする。そのことで、世界からヒンシュクを買ってしまった。
 インドなど植民地はつぎつぎと独立を果たし、一九五六年ナセルが「スエズ運河の国有化」を宣言すると、イギリスはフランスとともに軍隊を派遣して介入したが、国際世論の非難を受け、国連総会での反対により撤兵した。しかし現在でも、中東問題は大きな問題であり続けている。

【解答例】
イギリスは産業革命に成功すると、保護貿易的な穀物法と航海法を廃止して、世界の工場として工業製品を輸出する自由貿易を実現した。また市場拡大をもとめたアヘン戦争では、南京条約で中国の市場開放に成功し、さらに植民地戦争でインドの市場化にも成功した。エジプトが財政難に陥るとスエズ運河株式会社の株式の過半数を購入して、内政干渉した。これに抵抗するアラービー=パシャの反乱を鎮圧してエジプトを保護国にすると縦断政策を推進した。さらにインドを加えて3C政策とし、ドイツの3B政策と対決、第一次世界大戦に至った。しかし戦後アメリカ・日本が台頭、インドではマハトマ=ガンディーの不服従運動が展開され窮地に立った。またナチス台頭では防共のために宥和政策をとり、ナチスの暴走をゆるした。第二次大戦後には戦後復興でアメリカのマーシャル・プランに頼り、インドなど植民地は独立した。ナセルがスエズ運河国有化を宣言すると軍事介入したが、国際世論の非難を受けて撤兵し、権威は失墜した。

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