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zoom RSS 2005年東大前期・日本史第4問「先進的だった明治憲法」

<<   作成日時 : 2006/07/20 00:23   >>

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次の文章は、吉野作造が一九一六年に発表した「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」の一部である。これを読んで、下記の設問に答えなさい。
憲法はその内容の主なるものとして、(a)人民権利の保障、(b)三権分立主義、(c)民選議院制度の三種の規定を含むものでなければならぬ。たとい憲法の名の下に、普通の法律よりも強い効力を付与せらるる国家統治の根本規則を集めても、以上の三事項の規定を欠くときは、今日これを憲法といわぬようになって居る。(中略)つまり、これらの手段によって我々の権利・自由が保護せらるる政治を立憲政治というのである。

設問
大日本帝国憲法と日本国憲法の間には共通点と相違点とがある。たとえば、いずれも国民の人権を保障したが、大日本帝国憲法では法律の定める範囲内という制限を設けたのに対し、日本国憲法にはそのような規定はない。では、三権分立に関しては、どのような共通点と相違点とを指摘できるだろうか。六行以内で説明しなさい。

【解き方】
明治憲法というと、常識的には、絶対主義的色彩の濃いドイツの憲法(プロイセン憲法)をモデルにつくられ、憲法の理想からかけ離れた見せかけだけの憲法だと思われている。この設問を見たときの率直な感想は、また明治憲法と日本国憲法を比較して明治憲法の悪いところを指摘するなんて、もうウンザリだというものだった。ただし教科書レベルでも、大津事件をめぐる裁判で三権分立が守られたと記されているように、明治憲法でも三権分立は守られていた。そう、ここが常識を疑うところだった。明治憲法は実は三権が分立しすぎていて、横のつながりがなかった。だから、軍部の独走をだれもとめられなかったのだ。
 大津事件は、一八九一年五月来日中のロシア皇太子アレクサンドル(のちのロシア皇帝ニコライ二世)が滋賀県大津で、警備中の巡査津田三蔵に切りつけられたという事件だ。この事件で、イギリスとのあいだで不平等条約撤廃交渉を順調にすすめていた外務大臣青木周蔵は辞任した。
 日ロ関係の悪化をおそれた政府は、日本の皇族に対する謀殺未遂罪を外国の皇族にも適用させて、津田三蔵を死刑にすることをもとめたが、実は外国の皇族に対する謀殺未遂罪の規定はなかった。ここで、法律家としての能力が問われる。みなさんなら、どう考えるだろう。外国の皇族についても、日本の皇族と同じだと判断するか。外国の皇族についての規定がない以上、一般人と同じと判断するか。いまでも大論争が起こりそうだ。
 しかし法律としては、規定がない以上、日本皇族以外の者に、日本の皇族についての規定を当てはめるわけにはいかない。大審院長児島惟謙は担当裁判官に一般の謀殺未遂罪として無期徒刑の判決を下させるよう指導した。これが、司法権の独立を守ったといわれる名判決だ。このように、明治憲法のもとでも、きちんと三権分立はなされていたのである。
 しかし明治憲法の分立割拠性ゆえに、いちど軍部が暴走するとだれも止めることができず、国家総動員法によって、明治憲法は有名無実化されてしまった。
 日本国憲法では女性参政権も認められ、全国民の代表者として国会が機能するようになった。国会が最高議決機関とされるのは、全国民の代表として公共性を実現することを期待されたからである。もちろん議会が暴走しないように二院制が採用されるとともに、立法・司法・行政が相互監視できるように、議院内閣制・内閣の衆議院解散権・司法の違憲立法審査権がきちんと憲法で規定された。

【解答例】
両憲法ともに三権分立を採用したが、明治憲法では諸機関の連関がなく、公共性を体現する天皇が総覧する形になっていた。しかし天皇が大権を行使することはなく、明治憲法の分立割拠性が軍部の独走をゆるした。そのため日本国憲法では国会を最高議決機関と定めた上で、議院内閣制、内閣の衆議院解散権、司法の違憲立法審査権など相互監視の規定がもうけられた。

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