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zoom RSS 2004年東大前期・日本史第4問「地租改正と農地改革」

<<   作成日時 : 2006/07/18 01:05   >>

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地租改正と農地改革は、近代日本における土地制度の二大改革であった。これらによって、土地制度はそれぞれどのように改革されたのか、あわせて六行以内で説明しなさい。
【解き方】
 「地租改正」や「農地改革」を知らない受験生はいない。では説明できるかというと、これがなかなか難しい。
 地租改正というと、近代化を目指した明治政府が、国家財政の基礎を固めて安定させるために実施したものというのは知られているが、地租改正そのものが土地制度の改革というのは、どういう意味だろう。
 地租改正は、一八八〇年ごろまでに数年かけて全国で実施された。その内容は、@地価を課税の基準にしたこと、A税率を地価の三%と固定することで豊凶によって増減しないようにすること、B貨幣によって納入すること、C地租負担者は地券を交付された土地所有者とすることであった。
 しかし地租改正に反対する大規模な農民一揆があったため、農民一揆と士族反乱の結びつきをおそれた大久保利通ら明治政府は、地租率を三%から二・五%に引き下げた。
 地租率ははじめ従来の歳入を減じないように定められたが、この引き下げで江戸時代の年貢額の二〇%減となった。さらに一八七〇年代末〜八〇年代初めには米価が大幅に上昇したので、農民の地租負担は大きく軽減され、生活にもゆとりができた。このことを知っていただろうか。このことを知っていると地租改正のイメージがずいぶんと変わる。
 ところが一八八二年の世界恐慌と松方正義のデフレ財政が重なり、豪農でも没落する者がいたほど農村に深刻な不況がもたらされた。生糸や米など農産物が著しく下落したことで、地租が相対的に重くなったのだ。農民のなかには、生活が苦しくなって土地を手放して没落し、小作人になった者や、都会に流れ込んで工場労働者になった者があらわれ、農民層の分解がすすんだのだ。
 実は、ここで地租改正が重要な意味を持ってくる。地租改正に先立って、@田畑勝手作許可で田畑に自由に作物を作ることができるようになり、A田畑永代売買解禁では地価を定めるために売買を解禁した。つまり、商品作物を自由に作れるようになり、また田畑を自由に売買できるようになったのだ。
 自作農が農地を手放せば、そこが工業用地になる。また農地を手放した農民が労働者になる。農村は土地と労働力の供給源になったのである。経済活動に必要な生産要素は労働・土地・資本金であり、田畑永代売買の解禁で土地が売買できるようになったことは、日本経済の資本主義化にとってとても重要な出来事だった。
 次に、戦後の農地改革について見てみよう。実は、この農地改革について考えるためには、一九二九年当時まで話をさかのぼる必要がある。このころは、世界恐慌の影響で、米価も繭価も暴落して農村は疲弊していた。このようなときにもかかわらず、財閥の意向を受けた政府は産業合理化をすすめていた。その結果、中小企業は倒産し、国際競争力のある財閥だけが残った。農村の惨状を背景に、農村部出身者を多く部下にもつ青年将校は、民間の農本主義者や国家主義者と結びついて、この惨状を生み出した政党政治や協調外交・財閥の打倒をめざす国家改造運動を展開させた当時、現役軍人に参政権がなかったため、理想に燃える彼らの行動は、このように極端な行動に出ることもあったのだ。
 ちょうどソ連の第二次五カ年計画が順調であったため、自由主義経済に対する批判が激しく起こった。若手官僚は疲弊する農村問題を解決するには国家の全体的な取り組みが必要であり、国家体制を変革する必要であると考えた。関東軍の野望の象徴のように見える満州は、そんな軍人と若い官僚による計画経済の実験場だった。
 経済の計画化のなかで、米はすべて生産者から直接政府に納入され、小作地の場合も小作農から直接政府に納入されるようになった。そして直接生産者にのみ増産奨励金を交付するかたちにしたのである。
 第二次大戦後に実施された農地改革は、実はこのような戦時中の農村改造の延長にある。軍部と農村の関係が密接だったことから、占領軍は農村改造の必要性を感じ、農地改革を実施した。これで自作農が大量に創出された。地主は小作地を売却しなければならず、地価がもともと低めに設定されていたことに加え、インフレーションの進行によりさらに安いものになり、多くの地主が没落した。
 さらに、水稲の収穫量が大幅に増加して農村の生活水準が上がったため、国民全体の購買力が上昇して国内市場が拡大した。それだけではない。農地改革が成功したことで、農村部が保守政党の地盤にもなったのだ。

【解答例】
明治政府は安定した財源を確保するために地租改正を実施したが、その結果、農民の土地所有が認められ、土地の売買も可能になった。これが近代資本主義経済の発展の基礎になった。また戦後の農地改革で地主が没落して自作農が大量に創出された結果、米の収穫量はすぐに回復し、また農民の生活水準が上がり購買力も上昇して国内市場が拡大した。

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