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zoom RSS 2004年東大前期・日本史第3問「海に開かれた蝦夷地」

<<   作成日時 : 2006/07/14 02:25   >>

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次の(1)〜(3)の文章は、江戸時代における蝦夷地の動向について記したものである。これらを読んで、下記の設問に答えなさい。
(1)アイヌは、豊かな大自然の中、河川流域や海岸沿いにコタン(集落)を作り、漁業や狩猟で得たものを、和人などと交易して生活を支えた。松前藩は蝦夷地を支配するにあたって、有力なアイヌを乙名などに任じ、アイヌ社会を掌握しようとした。また藩やその家臣たちは、アイヌとの交易から得る利益を主な収入とした。
(2)一八世紀に入ると、松前藩は交易を広く商人にゆだねるようになり、一八世紀後半からは、全国から有力な商人たちが漁獲物や毛皮・木材などを求めて蝦夷地に殺到した。商人の中にはアイヌを酷使しながら、自ら漁業や林業の経営に乗り出す者も現れた。また同じころ、松前・江差・箱館から日本海を回り、下関を経て上方にいたる廻船のルートが確立した。
(3)蝦夷地における漁業は、鯡・鮭・鮑・昆布などが主なものであった。鯡は食用にも用いられたが、一九世紀に入ると肥料用の〆粕などに加工された。鮭は塩引として、食用や贈答品に用いられ、また、なまこや鮑も食用に加工された。

設問
一八世紀中ごろまでには、蝦夷地は幕藩体制にとって、なくてはならない地域となっていた。それはどのような意味においてだろうか。生産や流通、および長崎貿易との関係を中心に、六行以内で説明しなさい。

【解き方】
 歴史で重要なのは、これまで注目されなかったところに注目することだ。そのことで、歴史像がガラリと変わることがよくある。アイヌ民族についてもそうだ。アイヌ民族は、東北アジア圏でひろく交易活動を行っていたことが近年の研究でわかってきた。そんなアイヌ民族が、いつどのようにして和人に支配されるようになったのだろうか。それは、アイヌ民族が和人から鉄器を入手するようになり、自給自足の生活を営まなくなってからだ。
 古代では蝦夷(えみし)といえば東日本の人びとを指していたが、鎌倉時代以降には現在の北海道に住む人びとのことを蝦夷(エゾ)と呼ぶようになった。
 蝦夷(エゾ)は日の本・唐子・渡党にわかれ、和人と言葉が通じる渡党が、和人と日の本・唐子とのあいだの仲介貿易をしていた。もともとは渡党が日の本・唐子に交易税を納めていたと考えられる。しかし戦国時代に渡党を統一した蠣崎氏が豊臣・徳川政権から独立大名と認められて松前氏と改称すると、松前藩が蝦夷地交易の独占権を握った。このときからアイヌ民族に対する松前藩の優位が決定した。
 独占貿易では競争相手がいないことから、鉄器は高価になり、しかも品質は落ちた。不満をもった日の本・唐子らアイヌ民族は反乱を起こすが、そのたびに鎮圧された。
 資料(1)にあるように、松前藩は蝦夷地を支配するにあたって、交易場所である商場ごとに有力なアイヌを乙名(おとな)に任じ、アイヌが商場を越えて広域的に結びつくことを防いだ。また家臣たちには、この商場を知行地として与えた。蝦夷地では、年貢となる米が生産できなかったため、商場での利益を俸給としたのだ。
 さらに資料(2)にあるように、一八世紀に国内経済が成熟し、西日本各地と蝦夷地を結ぶ北前船が発展すると、商品作物栽培に不可欠な〆粕、長崎貿易での中国への主要輸出品である俵物の生産地として蝦夷地が注目された。しかも商人のなかには、自ら漁業や林業の経営に乗り出し、アイヌを低賃金労働者として酷使する者も現れた。松前藩は蝦夷地交易を商人に請け負わせ、「商場」は「場所」と呼ばれるようになった。この名称の変更でも、交易から生産に重点が移行したことがわかる。こうしてアイヌは交易相手から低賃金労働者に変質した。
蝦夷地の漁業では、資料(3)にもあるように鯡(ニシン)・鮭(サケ)・鮑(アワビ)・昆布(コンブ)などが主な産物であった。鯡は食用にも用いられたが、一九世紀には肥料用の〆粕などに加工されて、国内の農業は飛躍的に生産量を高めた。鮭は塩引にして食用や贈答品に用いられた。これが今日の新巻鮭だ。また鮑は中華料理の高級食材であり、俵物として中国へ輸出された。
 江戸時代では国内経済が成熟したことで鎖国が可能になったが、幕府は長崎(対中国貿易)・対馬(対朝鮮貿易)・薩摩(対琉球貿易)・松前(対アイヌ貿易)の四口で貿易をおこなっていた。とくに蝦夷地の産物は、長崎貿易で金・銀を獲得するための輸出品である俵物としてとくに重要であった。こうして蝦夷地は、一八世紀中ごろまでには幕藩体制にとって、なくてはならない地域になっていた。いわば、アイヌが長崎貿易を支えていたのだ。

【解答例】
松前氏が幕藩体制のもと大名と認められると、アイヌと独占的に貿易をおこなった。さらに日本の国内経済が成熟し、西日本各地と蝦夷地を結ぶ北前船が発展すると、商品作物栽培に不可欠な〆粕、長崎貿易での主要輸出品俵物の生産地として、蝦夷地がなくてはならない地域になった。しかしアイヌは交易相手から低賃金労働者に変質することになった。

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