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zoom RSS 2006年東大前期・日本史第3問「琉球王国の繁栄」

<<   作成日時 : 2006/07/13 10:36   >>

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次の文章(1)・(2)は、一八四六年にフランス海軍提督が琉球王府に通商条約締結を求めたときの往復文書の要約である。これらを読み、下記の設問A・Bに答えなさい。
(1)[海軍提督の申し入れ] 北山と南山の王国を中山に併合した尚巴志と、貿易の発展に寄与した尚真との、両王の栄光の時代を思い出されたい。貴国の船はコーチシナ(現在のベトナム)や朝鮮、マラッカでもその姿が見かけられた。あのすばらしい時代はどうなったのか。
(2)[琉球王府の返事] 当国は小さく、穀物や産物も少ないのです。先の明王朝から現在まで、中国の冊封国となり、代々王位を与えられ属国としての義務を果たしています。福建に朝貢に行くときに、必需品のほかに絹などを買い求めます。朝貢品や中国で売るための輸出品は、当国に隣接している日本のトカラ島で買う以外に入手することはできません。その他に米、薪、鉄鍋、綿、茶などがトカラ島の商人によって日本から運ばれ、当国の黒砂糖、酒、それから福建からの商品と交換されています。もし、貴国と友好通商関係を結べば、トカラ島の商人たちは、日本の法律によって来ることが禁じられます。すると朝貢品を納められず、当国は存続できないのです。

                      フォルガード『幕末日仏交流記』

設問
A 一五世紀に琉球が、海外貿易に積極的に乗り出したのはなぜか。中国との関係をふまえて、二行以内で説明しなさい。
B トカラ島は実在の「吐喝喇列島」とは別の、架空の島である。こうした架空の話により、琉球王府が隠そうとした国際関係はどのようなものであったか。歴史的経緯を含めて、四行以内で説明しなさい。

【解き方】
 この資料を読むと、琉球王国が想像以上に貿易で栄えていたことがよくわかる。琉球船がヴェトナムやマラッカなど東南アジアでも見られたというのだ。しかし通商を求めるフランス海軍提督に対して、琉球王国の態度はつれない。
A 一五世紀というと中国で明が建国された時期だ。明朝は歴代中国王朝のなかで、もっとも積極的に日本との政治的関係を築こうとした王朝だ。その理由は倭寇だ。さらに一五世紀というと、日本では南北朝合一を果たした室町幕府の全盛時代だ。日明関係が安定すれば、明は日本に倭寇対策を強くもとめることができる。
 事実、南北朝合一を果たした室町幕府三代将軍足利義満は、公武寺社すべての権門に君臨する専制君主であった義満は、面子を捨て実利を優先させて、朝貢貿易である日明貿易を開始した。ところが穏健な伝統主義者である四代将軍足利義持は、面子を優先して朝貢貿易を中止した。このように日明関係は必ずしも安定していなかった。
 日明関係が安定しなければ、明は日本に倭寇対策を強くもとめることができない。そこで明は、新興国家であった琉球王国に大型海船に授けて多くの中国の品物を運ばせ、琉球で交易させた。そうすることで、中国の品物を求める倭寇を中国沿岸から遠ざけることができる。
 このことでも分かるように、倭寇は実は貿易商人だった。ただ商談がうまくいかなかったときには戦闘になるということだ。明としては、そんな彼らを中国から遠ざけ、琉球で自由に交易させようと考えたのだ。琉球王国は明が打ち出した朝貢体制を積極的に利用し、中国の品物を海外諸国に供給し、海外の商品を中国に売り込む中継貿易体制を築いた。
B 中国への朝貢品・輸出品は日本のトカラ島で購入しており、いまフランスと国交を開けば、海禁策をとっている日本の商人と交易できなくなり死活問題になるというのだ。もちろん、ここで話題になっているトカラ島は実在しない。実在しない島を持ち出すということは、何かを隠しているからだ。そう、実は琉球王国は、江戸時代にはかつての栄光は失われ、薩摩藩に従属していたのだ。すでに自分の判断で開国できる立場にはいなかった。そこで、ありもしない虚構の島の話を持ち出して、開国を断ったのだ。
 琉球は、薩摩藩に従属していることを、実は中国にも隠していた。隠した上で、中国皇帝から琉球中山王に任命されていた。隠さずに正直に申告したら、独立国として琉球中山王に任命されることはなかったかもしれない。琉球王国は王国としての体面を維持するために、幕府・薩摩の策略に共謀したのだ。だからフランスに対しても正直なことを言わなかった。ここに当時の琉球王国の悲しさがある。

【解答例】
A 倭寇に苦しむ明は海禁策で中国商人の海外渡航を禁じ、琉球に日本貿易・東南アジア貿易の中継地になることを期待したため。
B 江戸時代の琉球は薩摩藩の実効支配を受け、幕府には慶賀使と謝恩使を派遣したが、独立国の体裁を残して中国への朝貢を継続し、島津氏の管理のもと中国と交易した。そのため、架空の話をつくり薩摩藩の支配下にあることを隠し続けた。

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