|
以下の二つの設問A、Bに答えよ。 A.下記の文は、近世の絹織物業の代表的な生産地である、西陣と桐生の歴史を記したものである。この文の下線部(1)、(2)の史実は何故おこったのか、その原因について、それぞれ二行以内で記せ。 京都には、古くから伝統的技術にもとづいた絹織物業があったが、一六世紀末、中国から導入された織物の技術によって、西陣の地に新たな機業がおこった。これ以後、西陣は一七世紀を通じて、絹織物の生産地としての独占的地位を保持しつづけた。幕府が糸割符制度を定めたのも、西陣の存在と無関係ではなかったようである。 一八世紀を迎えると、国内各地に諸産業がおこり、三都をはじめとする都市も発達した。(1)この時期に、西陣の生産額は飛躍的に高まり、また、西陣からの技術を受け入れて台頭した桐生も、西陣と対抗するまでに急速な発展をとげた。一九世紀前半には、桐生には、問屋制家内工業やマニュファクチュアが生まれた。 しかし、(2)一八六〇年頃から、西陣も桐生も生産額が急激に減少し、一時は存立の危機にさらされたが、一八七〇年代に再興した。 B.長野県諏訪地方では製糸業の発達が日覚ましく、明治後期になると、県外からも多数の工女が集められるようになった。これら工女たちによってうたわれた「工女節」に、「男軍人 女は工女 糸をひくのも国のため」という一節がある。どうして「糸をひく」ことが「国のため」と考えられたのであろうか。明治後期における日本の諸産業のあり方を念頭において、五行以内で説明せよ。 【解き方】 わたしたちは鎖国というと「孤立」というイメージに引きずられるのか、否定的に評価しやすいが、それは間違っている。実は鎖国は、成熟した国の証だ。鎖国が可能になったのは国内経済が成熟していたからであり、それをささえたのが農村工業だった。さらに、明治時代の殖産興業をささえたのも農村工業だった。このことを問うているのが、この問題だ。鎖国を否定的に見る常識を見事に打ち砕いてくれる。 一七世紀の日本は銀を輸出して、生糸や絹織物を輸入していた。この日中間の生糸交易は当時の東アジア最大の貿易量を誇っていた。ところで、もし日本が生糸や絹織物を国内生産できるようになったらどうだろう。銀を流出させてまで中国産の生糸や絹織物を買わないだろう。しかもポルトガル人が仲介貿易でぼろ儲けしていたらどうだろう。ポルトガル人を儲けさせてまで、中国と貿易をしようとは思わないだろう。そこでまず、ポルトガル人に儲けさせないように、江戸幕府は糸割符制を実施した。 のちに西陣の生産額は飛躍的に高まり、さらに西陣から技術を導入して桐生も台頭した。新井白石が長崎新令で長崎貿易も制限したのには、このような背景があった。 しかし高級食材フカヒレ・アワビなど俵物や日高昆布などの諸色が中国で人気が出ると、田沼意次は金・銀獲得のために長崎貿易を拡大させた。このように日本の鎖国政策は日本が輸出国になれば、実はいつでも方針を転換できたのだ。 一九世紀前半には、桐生には問屋制家内工業やマニュファクチュアが生まれた。これで桐生は絹織物産業に重点が移ることになった。ところが横浜開港にともない、生糸が生産地から開港場へ直送されて大量に輸出されたため、国内では生糸不足に陥った。 そのため一八六〇年頃から、西陣も桐生も生産額が急激に減少し、一時は存立の危機にさらされたが、明治政府が殖産興業政策の一環で富岡製糸場を設立したことで一八七〇年代には再興することができた。 また、長野県諏訪地方では製糸業の発達が目覚しく、明治後期には県外からも多数の工女が集められるようになった。そしてこれら工女たちによって日本経済の近代化がすすめられたのである。「工女節」で、「男軍人 女は工女 糸をひくのも国のため」という一節があるが、彼女たちはまさに「糸をひく」ことで、日本の経済を支えていたのである。 【解答例】 A(1)国内経済の成熟で農村部にも貨幣経済が浸透して絹織物の需要が高まり、北関東・東北南部にまで養蚕業が広まったため。 A(2)横浜開港にともない、生糸が生産地から開港場へ直接輸送されて大量に輸出されて、国内で生糸不足に陥ったため。 B 不平等条約で関税自主権のなかった明治期の日本とって、重工業製品では国際競争力がない。そこで安価な労働力で競争できる製糸が重要な産業となった。そこで江戸時代以来製糸業が盛んだった群馬県に官営模範工場の富岡製糸場を設立し、多くの女子労働者を集めて、蒸気力を利用した機械による製糸の生産に当たった。 |
| << 前記事(2006/06/22) | トップへ | 後記事(2006/07/13)>> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
大開発時代によって人口が増えたことも絹織物の需要が高まった一因と考えてよろしいでしょうか。 |
佐々木寿 2006/07/09 21:07 |
17世紀の大開発時代と人口増大が、自給自足の鎖国を可能にし、元禄文化を生みました。 |
佐々木哲 2006/07/10 02:10 |
| << 前記事(2006/06/22) | トップへ | 後記事(2006/07/13)>> |