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zoom RSS 1983年東大前期・日本史第二問「鎌倉新仏教の誕生」

<<   作成日時 : 2006/06/03 07:04   >>

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 歴史学を一生の仕事とする決意を固めるのと、ほとんど同じころ、私は高等学校の教壇に立った。私にとって、これが初めての教師経験であり、生徒諸君の質問に窮して教壇上で絶句、立往生することもしばしばであったが、その中でつぎの二つの質問だけは、鮮明に記憶している。
「あなたは、天皇の力が弱くなり、滅びそうになったと説明するが、なぜ、それでも天皇は滅びなかったのか。形だけの存在なら、とり除かれてもよかったはずなのに、なぜ、だれもそれができなかったのか」。これは、ほとんど毎年のごとく、私が平安末・鎌倉初期の内乱、南北朝の動乱、戦国・織豊期の動乱の授業をしているときに現われた。伝統の利用、権力者の弱さ等々、あれこれの説明はこの質問者を一応、だまらせることはできたが、どうにも納得し難いもの、私自身の心の中に深く根を下していったのである。
 もう一つの質問に対しては、私は一言の説明もなしえず、完全に頭を下げざるをえなかった。
「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。他の時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象がおこったのか、説明せよ」。
 この二つの質問には、いまも私は完全な解答を出すことができない。
                (網野善彦著『無縁・公界・楽』の序文より)

 上記の文章中の二つの疑問は、高等学校で日本史を学んだ誰もがいだく疑問であろうし、日本の歴史学がいまだ完全な解答をみいだしていないものであると思われる。
 この二つの質問のうち、下線部分の質問にたいして、歴史の流れを総合的に考え、自由な立場から各自の見解を八行以上一三行以内でのべよ。

【解き方】
わたしたちが歴史だと思っているのは、大きく変化するところである。しかし大きく変わる変革の期間は短く、安定した期間は長い。鎌倉新仏教は変革に関係があり、天皇制は安定性に関係がありそうだ。
安定期には常識どおりに行動していれば間違いがない。しかし変革期には常識どおりに行動していたら必ず失敗する。情勢が変わり続けるからだ。常識が通用しない時代であれば、危機感が生まれ、危機感が共有される。変革期に新しい思想が認められやすいのは、危機感が共有されているからだ。鎌倉新仏教が生まれた時代は、まさに新しい「武者の世」の始まりとなる鎌倉時代だ。危機感の共有があった時代だ。
科学史でも同時発見者が現われることがよくある。同じタイミングで同じ発見があるのは、危機感の共有があるからだ。新発見は必ず常識を否定するところから始まる。すでに常識をぐらついているところから始まっている。だから新しい発見があるには、常識がぐらついていないといけない。しかも常識がぐらついている時期であれば、危機感は共有されている。複数の発見者が同時に現われるのは当然だ。鎌倉時代もそういう時代だった。
そういえば鎌倉時代というと、絵画でも彫刻でも写実的な作品が制作されている。運慶・快慶の東大寺南大門の金剛力士像もそうだ。写実的な作品が制作されるのは、それまでの形式を否定する新時代の始まりの時期だ。西欧のルネサンスを思い浮かべてもらえばいい。やはり鎌倉時代はそれまでの常識を否定する時期だった。
ところで鎌倉仏教を始めた人たちの多くは比叡山で修行をしていた。ここにも注目するといい。その比叡山が大きな力を持ったのが、実は平安時代後期だ。鎌倉時代にいっきに新仏教が登場したことと関係がありそうだ。
一般に、平安後期は旧仏教が退廃・堕落して、僧侶が本来の学問を忘れて強訴を繰り返した時期だと考えられている。だけど院政期の研究がすすんだ結果、実際には後三条・白河ら歴代天皇による造寺・造仏、新しい法会の創出、荘園寄進による仏法興隆政策によって、比叡山を中心に学問水準が著しく高まったことがわかっている。そこから鎌倉新仏教が生まれた。
ここで、もうひとつ重要なことがある。それは改革にあたっては、まったく新しいものが誕生するというよりも、それまで注目されていなかったものが注目されるようになるということが多い。浄土教も法華経も禅宗もそうだ。比叡山は、顕教・密教・浄土教・禅宗の総合大学だった。
法然・親鸞や日蓮のような簡単・専念という特色をもった新仏教は、文字を読むことのできない武士や民衆には受け入れられやすい。また栄西や道元ら仏教の基本に戻ろうとする禅宗は、質実剛健を尊重する武士たちの支持を得た。他方で、この世で救われることを目指した真言律宗からは、叡尊や忍性のように社会福祉の充実を目指した人々が出た。忍性は慈悲にすぎるといわれたほどだ。新旧仏教にかぎらず、かれらに共通する特色は、仏教理論のなかで最もすぐれた部分と信じられる教義や作法への純化を追求しようとする活動だ。
新発見は、必ず常識をぐらつくところから始まる。院政・鎌倉幕府成立という中世の始まりという時代の大きな転換期であったために、あたらしい主張も認められやすい環境にあったといえる。危機感の共有が鎌倉新仏教を生んだのである。

【解答例】
平安末期はけっして仏教が堕落した時代ではなかった。後三条・白
河ら歴代天皇による造寺・造仏、新しい法会の創出、荘園寄進によ
る仏法興隆政策によって、比叡山を中心に学問水準が著しく高まっ
た。そのような顕教・密教・浄土教・禅宗の総合大学比叡山から鎌
倉新仏教が生まれた。新仏教は準備されていたのだ。しかも法然・
親鸞や日蓮のような易行という特色をもった新仏教は、文字を読む
ことのできない武士や民衆の期待にかなった。また栄西が鎌倉幕府
の保護を受け、道元が越前の地頭に招かれたように、仏教の基本に
戻ろうとする禅宗は質実剛健を尊重する武士たちの支持を得た。他
方で真言律宗からも叡尊や忍性のように非人救済など社会事業を通
して民衆のなかに入り、旧仏教の改革運動を進める者が輩出した。
新しい意見は、危機感がなければ受け入れられない。鎌倉時代はま
さに危機感と期待の満ちた時代だったといえる。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
歴史の授業で生徒が教師に質問する、という文章を読んでびっくりしています。私にはそんな経験がないからです。

歴史の授業が教師と生徒の意見のぶっつけあいで進行したら、それは実に生き生きとした、素晴らしい授業ですね。歴史の先生方、或いは、全ての教科の先生方の奮起を期待します。
藍愛和
2006/06/03 08:08
歴史という学問は、暗記科目ではありません。今まで正しいと思われてきたことが、実は誤りだったということがよくあります。歴史という学問も、常識(既存の学説)を疑う学問の一つです。

常識を疑うときのコツは見方を変えることですが、このとき学生の質問がきっかけになることが多くあります。専門知識がない分、素人の視線で質問してくるので、こちらが忘れかけていたものを思い出させてくれるからです。ですから質問を受け付けない権威主義は、権威を振りかざしている方自身にとっても、実はもったいないことをしているのです。
佐々木哲
2006/06/03 08:20

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