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天文元年(一五三二)十二月に六角氏と朝倉氏の間で密約。天文元年十二月二十五日付斎藤五郎左衛門尉宛朝倉教景(宗滴)書状(内閣文庫『古今消息案』)にくわしく記されていないが、「末代迄」という文言から重要な内容とわかる。翌年に義景が誕生したことになっているが、『朝倉家録』所収の「朝倉家之系図」には義景が六角氏綱の子という異説が記されている。関係があるだろう。 就今度御帰国之儀、従六角殿孝景へ被遣候御状之写、并拙者へ 之御書、末代迄之儀候条、進之間、於度々御高名御面目之至候 委細一乗寺へ申候間、定而可有御伝達候、恐々謹言、 十二月廿五日 教景(花押) 斎藤五郎左衛門尉殿 御宿所 (ウハ書) (表) 斎藤五郎左衛門尉殿 御宿所 教景 (裏) 天文元年 太郎左衛門尉 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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六角家から養子をもらうことが朝倉家にとって同盟以外にどんなメリットが考えられますでしょうか。 |
佐々木寿 2006/05/09 19:00 |
応仁・文明の乱以来、六角・土岐・朝倉で大名一揆を結んでおり、これが反信長同盟にもつながります。同盟としては大きく強いものでしたから、やはり同盟をより強固にするというのが最大のメリットだったと考えられます。 |
佐々木哲 2006/05/16 02:40 |
朝倉義景が六角氏の養子なれば、朝倉氏滅亡時、朝倉一門に裏切られたのも、うなずける。 |
道下熊助 2007/08/21 12:32 |
コメントありがとうございます。 |
佐々木哲 2007/08/21 23:51 |
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