|
お待ちどうさまでした m( _ " _ )m ついに佐々木哲著『佐々木六角氏の系譜−系譜学の試み』が納品されます。流通にのるにはもうしばらく時間がかかるかと存じますが、最寄りの書店、発行者の思文閣出版にてご注文できます。また、ご近所あるいは大学の図書館に希望図書として依頼していただければ幸いです。よろしくお願いいたします。 すでに研究者・書店・近江佐々木氏の会の方でご注文いただけた方々には、厚く御礼申し上げます。 ■判型:四六判 200頁 ■定価:2,310円(税5%込) ■初版年月:2006年03月刊行予定 ■ISBN:4-7842-1290-6 【内容】 入門書では必ずといっていいほど沢田源内による偽系図として紹介されている佐々木六角氏系図について、当時の資料をきちんと見れば見るほど、沢田源内によって創作されたといわれている六角義実・義秀・義郷の実在が見えてくる─ これまで、作為や錯誤が多いことから歴史資料として用いられなかった系図について、作為や錯誤を隠喩ととらえ、そのもとになった史実を明らかにする試み。 平安から戦国まで、佐々木六角氏の系譜をたどり、35人について、その事績を明らかにする。佐々木六角氏の人物事典としても有用。 【目次】 はじめに 系譜学の方法 宇多源氏の系譜 一品式部卿敦実親王 左大臣源雅信 源宰相扶義 四位中将成頼 左馬頭良経 蔵人経方 常恵冠者為俊 源行真申詞記 佐々木源三秀義 蔵人尉定綱 山城守広綱 近江守信綱 壱岐大夫判官泰綱 備中守頼綱 備中判官時信 大夫判官氏頼 右兵衛佐義信 左京大夫満高 大膳大夫満綱 兵部大輔持綱 近江守久頼 御屋形様政勝 大膳大夫高頼 近江守氏綱 江州宰相義久 徳川公義秀 左兵衛佐義郷 大本所義堯 左衛門督侍従義康 左馬頭義政 朝倉義景 弾正少弼定頼 左京大夫義賢 右衛門督義治 中務大輔高盛 おわりに あとがき 参考文献 |
| << 前記事(2006/03/03) | トップへ | 後記事(2006/03/14)>> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
『佐々木六角氏の系譜』御刊行おめでとうございます。先ほど「名古屋市立図書館」に希望図書として電話で依頼いたしました。入庫は1ヶ月ほどかかるそうです。(^^) |
∞ヘロン 2006/03/11 13:44 |
ありがとうございます。 |
佐々木哲 2006/03/12 00:06 |
『佐々木六角氏の系譜』を、三月十一日に「名古屋市立図書館」にリクエストしていましたが、中央図書館に六月二十九日に入庫し、近在の図書館に取り寄せられ、本日七月十二日にようやく閲覧が叶いました。(^^) |
∞ヘロン 2006/07/12 16:17 |
拙著が平安王朝の理解に役立ったとのこと、うれしく思います。 |
佐々木哲 2006/07/12 21:29 |
初めまして、と、ゆうより、江州侍の。掲示版にて、コメントしています。うきはの佐々木です。早速で申し訳ございませんが、安土町の金勝山浄厳院の、墓地の区画整理が、平成十九年十月三十日、以後行うそうです。佐々木哲様御存知でしょうか、私、今月八日、九日浄厳院に行ってまいりました。墓地の入り口、掲示板がそなえて、いましたので。びっくりしました。掲示の内容は、無縁仏のお墓は、整理しなくして、しまうそうです。どうしても。佐々木様に見てもらいたい。お墓があります。佐々木様今年中にお時間の取れる事がないでしょうか、もし、その墓が佐々木四郎信綱の墓であるかも知れません。詳しい話は、この掲示版にて後日、説明させて。いただきます。尚、うきはの佐々木は、初代、佐々木善兵衛、柳川藩の立花家の家臣だったそうです。うきはの佐々木の、本家にて、調べて、来ました所、本家の話によると、今の滋賀県、近江より逃げてきたそうです。家紋も、元々は丸に隅立四つ目結だったそうです。六代目で、武士をすて、うきはの庄屋を始めたそうです。その後庄屋も、隈の上の庄屋、松本の庄屋、好江の庄屋ができたのです。又あす、コメント、します。 |
うきはの佐々木 2006/07/16 22:33 |
コメントありがとうございます。 |
佐々木哲 2006/07/17 10:24 |
佐々木哲様、遅れて申し訳ありません。私、脳梗塞になり四ヶ月入院してました。何とか片手で打っています。さて |
うきはの佐々木 2006/11/04 08:22 |
調べてみましょう。 |
佐々木哲 2006/11/05 01:54 |
佐々木さんのおっしゃっている金勝山浄厳院の墓は、鎌倉時代のものではありません。写真ではありますが、近江守護佐々木信綱のものとは確認できませんでした。もし信綱の墓だとしても、子孫の方が建てたものでしょう。 |
佐々木哲 2006/11/07 14:26 |
佐々木哲様、お墓を調べていただき誠にありがとうございます。自分にも納得ができました。本当にありがとうございます。さて、話が変わりますが、私の妻の実家のお寺は、勧正寺とゆう、お寺があります。名字佐々木姓です。家紋は、丸に隅立四つ目結でした。話を聞くと佐々木四郎高綱、の長子重綱の末裔だそうです。つい最近、過去帳を見させていただきましたが、字がなんと書いているかわかりません、太郎重綱公に子孫は、いたのでしょうか、ここで、うきはの佐々木の土地の近くに、井上城とゆう城があったそうです。その所領が佐々木繁綱とゆう名前です。この方が、勧正寺のご先祖様だそうです。佐々木太郎重綱公のご落胤でしょうか |
うきはの佐々木 2006/11/09 10:58 |
高綱の子孫についてのコメントは、今後は高綱流佐々木氏の記事にお願いいたします。 |
佐々木哲 2006/11/09 13:17 |
佐々木様おめでとうございます。今年も宜しくお願いします。さて、うきはの佐々木に付いて、書き込みます。初代佐々木善兵衛、新左衛門、勘右衛門、又兵衛、又兵衛、清兵衛、金兵衛、得平次 |
うきはの佐々木 2007/01/24 10:38 |
返事が遅れ、申し訳ございません。 |
佐々木哲 2007/02/03 21:25 |
返事、ありがとうございます。早速柳川の古文書館にて、調べてきましたが、柳川立花藩分家帳(家臣名の本)を読んできましたが、佐々木善兵衛の名前はありませんでした。しかし、他の佐々木の名前が出てきました。立花家御花目付、佐々木茂右衛門、長男、牧太、(給人格)同じく佐々木七十郎(給人格)と書かれています。尚、佐々木茂右衛門の末裔方、又は柳川市内に18件ほどありますので、調べています。うきはの佐々木では、男紋は、丸に隅立四目結ですが、女紋は、丸に蝶を使っています又詳しい事分かりましたら、連絡します。佐々木哲様早速 |
うきはの佐々木 2007/02/08 14:25 |
女紋は全国的なものではなく、西日本で多く見られる習慣です。女紋はもともと形の美しさから、蝶紋・桐紋・蔦紋・柏紋が使用されることが多いです。ですから、女紋が蝶紋だからといって、平家と関係があるというわけではないようです。 |
佐々木哲 2007/02/10 22:54 |
| << 前記事(2006/03/03) | トップへ | 後記事(2006/03/14)>> |