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zoom RSS 『大系図評判遮中抄』批評

<<   作成日時 : 2006/02/07 23:33   >>

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 『大系図評判遮中抄』を読むかぎり、沢田源内の華麗な経歴に驚かされる。まず青蓮院門跡尊純法親王に稚児として仕えたという。源内が単なる貧農(文中では「土民」)の子ではないことは明らかだ。さらに二代将軍徳川秀忠の息女で、後水尾院中宮となった東福門院和子の家司天野豊前守長信や、名門公家の師実流藤原氏権大納言飛鳥井雅章に仕えている。どうしたら身分社会である江戸時代に、貧農の子がこのような経歴をもつことができるのだろうか。しかも源内の父は阿部忠秋の重臣になっている。
 実は江戸初期にはまだ身分は流動的であり、階層間移動も多く見られる。とくに豪農のほとんどは地方豪族の子孫であり、彼らが近世初期の開墾事業を指導していた(8)。彼らは郷士と呼ばれる存在であった。実際にそのような郷士から朝廷や公家・門跡に仕える者もあった。その実例として、聖護院門跡に仕えた諸大夫佐々木氏が摂津武庫郡西宮の郷士出身であったことを挙げることができよう(『地下家伝』)。諸大夫とは天皇の住居に昇ることを意味する昇殿は許されないが、四位・五位に至る家柄を意味している。幕臣であれば諸大名と同じ官位である。
 沢田氏も郷士の出身であった。だからこそ源内の父は老中阿部忠秋に重臣として仕えることができ、源内自身も華麗な経歴をもつことができたのである。源内が父の跡を継がなかったのは、手癖が悪かったからではなく、彼が学者を目指していたからである。郷士を「種姓モ知サル凡下ノ土民」としたのは、建部賢明が身分社会がほぼ確立した江戸中期の人物であり、自分の時代の常識を過去に投影してしまったためである。自分の時代の常識を過去に投影することは、歴史学ではよくしてしまう過ちであり、実証歴史学者であればその過ちを犯さないためにも慎重にならなければならない。
 また同書では、源内の母を「同邑ノ百性(姓)和田勘兵衛カ娘」としているが、実は和田氏も六角氏旧臣で郷士であり、その子孫に伝わる和田文書には織田信長書状や明智光秀書状・朝倉義景書状など良質な一次資料が含まれており、とくに光秀書状は信長の比叡山焼打ちの実態を知る貴重な資料として注目されている(9)。和田氏はそれだけの文書を有するほどの名門武家の子孫であり、やはり有力な郷士であった。
 和田文書の影写本は東大史料編纂所にあるが、その多くには偽文書という書き込みがある。とくに朝倉義景書状については、それが本物の義景書状であるにもかかわらず、義景の署名が義秀と読み間違われた上で偽文書と書き込まれている。これは実証歴史学が自信を持っているはずの史料批判の基準が、資料そのものの真贋性ではなく、義秀は実在しないはずだという思い込みによってなされたことを示している。このような基準で選ばれた資料で歴史を再構成しても、それは歪んだものになる。史料批判は、偽文書の排除という美名の下で行われていたものの、結局は自分に都合のいい資料を選択していたことが分かる。
 『大系図評判遮中抄』が義実・義秀・義郷の名のある資料をすべて源内あるいは源内一味の著作と見なしていることは、『江源武鑑』の初版が源内誕生前後の元和七年(一六二一)であることを知らなかったためである。これも重大な事実誤認である。その後も『江源武鑑』は版を重ねて、寛永四年(一六二七)、明暦二年(一六五六)に公刊された。好評だったようである。しかも『大系図評判遮中抄』刊行後の延享五年(一七四八)にも、『江源武鑑』は刊行されている。『大系図評判遮中抄』が相手にされなかったか、『江源武鑑』が復権したかのどちらかであろう。けっして版は破壊されてない。
 また同書で「一年京都ニ於テ官職ヲ矯リ冒ス輩ヲハ、悉ク捕テ死刑ニ処セラレシカハ、源内大ニ驚き、忽ニ太輔ノ号ヲ停テ其身ヲ隠シ」とあるのも事実を誤認している。源内と氏郷は別人であり、前述の『京極氏家臣覚書抜萃』によれば、氏郷が京都所司代の取り調べを受けたことは間違いないが、丸亀藩主京極高豊の証言もあって嫌疑は晴れている。さらに氏郷と藩主高豊の交流が始まり、高豊の子息が氏郷の養子となっている。賢明はこの事実を知らない。賢明の情報源は明らかに偏っている。
 さらに氏郷の娘婿を草医(町医者)としているが、京極氏の中興の祖佐々木導誉の菩提寺である勝楽寺所蔵の佐々木系図(10)によれば、その人物は有馬重雅(主計介)である。彼が氏郷の痛風を治療した人物であろう。天明年間(一七八一−八九)に『古方便覧』『疾医新話』を著した六角重任は、実名(諱)の一字である偏諱「重」の字が共通であり、また通称が「主計」であることから、有馬重雅の子孫と考えられる。『大系図評判遮中抄』で述べられているような草医ではなかったようだ。
 『大系図評判遮中抄』後に幕府によって編集された公認の武家系図集『寛政重修諸家譜』では、沢田源内を糾弾した幕府旗本佐々木高重は佐々木庶流に分類されている。幕府も高重を庶流と見なしたのである。
 一見、江戸幕府に仕えた者がその一族の嫡流に見えてしまう。しかし幕府出仕者が嫡流とは限らない。戦国時代に多くの名門武家が没落し、多くの下剋上があった。幕府も公認系図集『寛永諸家系図伝』と『寛政重修諸家譜』を編集するに当たっては綿密に調査しており、けっして諸家が提出した系図を鵜呑みにしなかった。『寛政重修諸家譜』で、高重が佐々木庶流とされたのはその代表例である。近世系図も、実は実証歴史学を重んじた儒学の伝統のもとで作成されている。系図だからといって、一概に粉飾や錯誤だらけとは思わない方がいい。
 それに対して建部賢明は、高重が提出した系図を鵜呑みにしている。賢明の『大系図評判遮中抄』は、自分が正しいと信じていることを前提に推論を進めたものである。しかし前提が誤っていたのでは、いくら理屈を並べても結果が正しいはずはない。合理主義の限界がここにある。少なくとも実証主義ならば、ある一つの前提から出発したとしても、それを否定する資料が見つかれば前提を疑う必要があろう。しかも『大系図評判遮中抄』は冷静に議論を展開させたものではない。むしろ直情的でもある。

【注】
(8)佐々木哲「一七世紀日本の人口増加と階層間移動」(大塚勝夫編『経済史・経営史研究の現状』三嶺書房、七九−九五頁)。
(9)今谷明「比叡山焼き打ち」(『新修大津市史』三巻・近世前期、一九八〇年)九五頁。
(10)『六角佐々木氏系図略』所収。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
信楽の福島です。

前回の投稿よりかなり期間が開きました。
その後、数点ですが当時のものと推定される史料を発見しました。
それらの中には、かなり衝撃的な物も含まれており、佐々木先生および皆様への参考になればと思い、再び筆を執りました。
編年順に書いていきますのでお付き合いくださいませ。

注記
@『である』調になります。
A長いため、連載とさせていただきます(次回の時期は未定)。
B公平性確保のため、如何なる説に有利・不利になろうとも、残存史料はすべて掲載いたします。
Cインターネットで本文が読める場合は、可能な限りURLを掲載。
福島 誠
2013/11/22 11:15
コメントチェック機能があるらしく、コメントできません。
メールしますので、転載してください。
福島 誠
2013/11/22 11:21
勢田道生『神戸能房編『伊勢記』の著述意図と内容的特徴』(待兼山論叢文学篇44、1-18頁、2010年12月)によれば、寛文六年(1666)神戸能房は『伊勢記』の中で「氏郷云己称其子孫、偽作江源武鑑、剰今世三十巻之大系図、并太田泉州之関原軍記等、加入筆、有義秀・義弼等之作名、皆偽也、彼沢田氏郷者、沢田夫兵衛之子也、元在京而作浄琉璃本送身命、偽習之作己系図、自慶安比、名乗六角兵部云々、大国賊也」と述べています。この記事で気になるのは、六角義弼まで否定していることです。義弼は、義治式目(六角氏式目)で有名な六角義治の本名です。自分の見た範囲の文書で見つけられなければ、実在を否定するという狭量な実証主義とわかります。

神戸能房『伊勢記』の特徴として、さまざまな史書を「偽書」として批判する一方で、史料で確認できない記事が『伊勢記』にはあるのです。そのため神戸氏の批判は、自らの作為を隠すために他者を批判する「偽装のための批判」の可能性があります。

『園太暦』の記主洞院公賢が南朝に仕えていたという記事がありますが、そのような事実は確認できません。『園太暦』は公卿洞院公賢の日記で、南北朝期の一級史料ですが、散逸部分も多く、その散逸部分に相当する時期に、洞院公賢が南朝に仕えたというのです。このような検証不可能な記事を挙げては信用できません。

もちろん近江の戦国大名佐々木六角氏の日記という体裁をとる『江源武鑑』は、当時の公家の日記の体裁をとらず、また内容にも誤りが多いのですが、すべてを虚偽とはいえません。むしろ他の書物の誤りを強調することで、自らの正当性を主張する手法は、よく見られます。それが、『江源武鑑』を批判する書が多い理由です。
佐々木哲
2014/01/21 01:23
信楽の福島です。
前回投稿から、またまた時間が経ってしまいました。ここまでで、一応調査の一区切りとなったので、一旦投稿します。 
調査・投稿方針は2013/11/22 11:15コメントの通りです。

              目録

寛永4年 
『殊更に天下のことは京都将軍家、毛利家、江州佐々木家、御当家なり』とする見解が登場する(総見公武鑑)

寛永8年
『光秀弑信長發向江州観音城責佐々木義郷観音城之旗頭引率』とし、初めて『義郷』が登場する(明智家譜)。

承応3年7月
清水執行実性院僧都宗親より『六角兵部殿』に清六正長に関する書物が渡される。又、『六角兵部と申は兵部大輔殿と相認候書記も相見え候へ共加何なる御人に候し哉難相分候』とあり。(新庄古老覚書 334頁・347頁・350頁)

慶安3年1月15日
阿部忠秋の家臣に『沢田武兵衛』登場。(新編埼玉県史 資料編17 690頁)
福島 誠
2014/01/22 10:20
慶安5年〜明暦2年
『十四冊 諸家大系図』出版される(国史大系書目外題 下巻 943頁)。なお、皆川完一氏によれば、『刊年・版元共に不明。『寛文書籍目録』(寛文九年?)神書併有職に、「十四冊 諸家大系図」と出ている。第四冊和気氏系図の最後、瑞堅の注記に、「慶安四以将軍家釣命、聴着素絹、干時二十九歳、同五年元日登城、先諸医奉拝謁」とあり、また次項の『新版大系図』以前の刊行であることから、刊行年は慶安五年(一六五二)から明暦二年(一六五六)の間』となる。

明暦二年
西道智著『新版大系図 三十冊』出版される。(国史大系書目外題 下巻 945頁)。なお、皆川完一氏によれば、『編者については、跋文に「西氏某」とみえるだけであるが、元禄五年の『広益書籍目録大全』に「三十大系図 西道智作」とあり、堤朝風の『近代名家著述目録』一(文化八年)の西道智の項に「大系図三十」』とみえる。


明暦2年正月中旬
『六角兵部丞氏郷』が『城雄徳山石清水へ社参、旧事ヲ思出テ玉フ哉、招堤村へ尋テ、寺内ノ四代目河端半兵衛正綱ノ居宅』を尋ねる。『四五ヶ日逗留』し『積鬱ヲ散シテ時法ヲ語』り、『志賀』に帰る。(枚方市史 第6巻 336頁所収 招堤寺内興起後聞記并年寄分由緒実録)

明暦2年4月
河端半兵衛正綱が『氏郷ノ隠亭ニワケ入リケル』。氏郷『祖神之尊号』を書く『佐々貴大明神 唐紙ナリ 朱印二ツアリ 佐々貴管領氏郷書之』(枚方市史 第6巻 336頁所収 招堤寺内興起後聞記并年寄分由緒実録)
福島 誠
2014/01/23 10:09
明暦2年5月9日 
金春安喜が金春安住に、金春家相伝の書物を渡す。その中に『金春家の代々の伝りの書物は江州佐々木殿くつれにうせ申候由安照云仰候也』とあり。(佐藤和道著 桧廼舎文庫旧蔵『金春系譜』所収史料考 129頁。なお、133頁の『天文年中宗瑞江州訴訟の次第』では、『公方様』『江州之御屋形様』『六角殿』の3者が登場する。)

寛文年間(同6年11月11日まで)
神戸能房(当時紀州在住)が『伊勢記』執筆。『氏郷云己称其子孫、偽作江源武鑑、剰今世三十巻之大系図、
并太田泉州之関原軍記等、加入筆、有義秀・義弼等之作名、皆偽也、彼沢田氏郷者、沢田夫兵衛之子也、元在
京而作浄琉璃本送身命、偽習之作己系図、自慶安比、名乗六角兵部云々、大国賊也』とし、初めて佐々木氏郷=沢田氏とする文献が登場。(勢田道生著『神戸能房編『伊勢記』の著述意図と内容的特徴』により孫引き)
福島 誠
2014/01/24 09:55
延宝4年春
仙台藩主伊達綱村の家来落合時成が京都へ来る。伊達家の系譜を探しているところで、『六角中務家人木村某』より一巻を手に入れる。これを底本に伊達綱村、伊達正統世次考を書く(伊達正統世次考, 第 2 巻 B頁)

貞享4年頃
『人鏡論』という本が出版される。その奥書には『長亨元年11月如意球日 武林源義政  右之一冊者以佐々貴管領氏郷朝臣自筆之本転写之畢 寛文十庚戌年季春下旬終功藤原(花押) 校本云 寛永十二年山本良三父■伝山本頼母於■見之写』。(長友千代治著『江戸時代の書物と読書』128頁より孫引き。続群書類従本。なお、この書物は金銭の功徳と誠の道について書かれた書物である。執筆時期は室町時代ではなく、寛永〜元禄頃であろうとされる。別名「金銀万能丸」「金持重宝記」)

貞享4年頃
『日本永代蔵』出版。6巻組。その巻5、巻6は『人鏡論(金持重宝記)』と大変内容が似ているという。

正徳5年
『四海太平記全部四十冊』VS『江源武鑑・後太平記・重編応仁記』の訴訟起こる。一部分出版停止。原告・被告の区別は分からず(京都書林仲間記録 25頁)

元禄6年4月
佐々貴氏郷『鳴弦之大事蟇目之深秘』を記す。奥書に『以誠信為常常誠信則神明必感格/口訣重々/元禄六酉年初夏吉日/佐々貴二十七世管領/源朝臣氏郷在判/授興 吉田氏某彦士』とあり(東京帝国大学神道研究室旧蔵書 目録および解説 362頁)。

以上で史料のすべてです。
福島 誠
2014/01/26 15:00
伊達正統世次考記載の頁について
誤りがありましたので訂正いたします。

上記頁は、グーグルブックスにて
『伊達正統世次考 六角中務』
と検索したときに出てくる頁です。

近代デジタルライブラリーでは、
『伊達正統世次考』にて検索、
検索結果の『伊達正統世次考2』を選択、
コマ番号『4』をご選択ください。

以上、訂正でした。
福島 誠
2014/01/26 23:58

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