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zoom RSS 佐々木四郎公能

<<   作成日時 : 2006/02/24 21:39   >>

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 四郎殿様と義賢が別人であったことをダメ押しする決定的な資料がある。それが『証如上人日記』(11)天文十年(一五四一)十月五日条である。本願寺証如が将軍足利義晴(室町殿)に馬を進上したが、その返礼として将軍の私信である御内書と太刀(祐光)が給付された。その太刀は佐々木四郎公能に進上させたものである。このとき佐々木四郎を名乗る人物の実名は公能であった。

  自室町殿就馬進上之儀、被御内書并御太刀(秋光、佐々木四郎
  公能を申て令進上たるよし候)拝領候(彼太刀秋光と雖被載面候、
  祐光也、身代五貫金壱両三分)、使三淵殿原之

 この記事によって定頼・義賢父子とは別に、実名が公能という六角氏嫡子がいたことが分かる。天文十年(一五四一)十月といえば、義賢が従五位下左京大夫に叙任された天文八年(一五三九)十月のちょうど二年後である。すでに官途名左京大夫を名乗っていた義賢は、佐々木四郎とは名乗らない。もちろん義賢が公能と名乗ったこともない。時期を考えれば、公能は天文三年(一五三四)の『御台様むかへニ御祝目六』に登場した四郎殿父子のうちの子息である。定頼・義賢父子とは別に、佐々木四郎という六角氏嫡子の仮名を名乗る父子がいたことが確認できる。

【注】
(11)『石山本願寺日記』所収。

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