織田信長と近江殿

 信長は、天正二年(一五七四)三月十八日付けで信長が従三位参議に補任されている。それにともない信長は上洛しているが、『尋憲記』同年三月二十四日条に「一、京都者奈良見物ニ罷下、雑談トテ人ノ申候、信長ハ近江殿成候、子チヤせンハ将軍罷成候、悉皆二条殿へ申、如此候て、一段京都ニテ二条殿御ヲボヘノ由候、関白も信長へ被相渡候て可被下由、申トノ沙汰也」と記されている。当時、信長が近江殿になり、信長の子息信雄(茶箋)が将軍になるという噂があったことが知られる。この信長がなると噂された近江殿は、まさしく近江殿であり参議でもあった江州宰相の立場であろう。
 『大日本史料』では近江殿を近衛殿の誤りではないかとしている(28)。たしかに資料にはよく錯誤が見られるが、自分の常識に合わないからといって資料が誤りだと即断することは実証主義とはいえない。まず自分の常識を疑う必要があろう。この場合も、まず資料のままに「近江殿」と読む必要がある。実際に、信長は天正四年(一五七六)近江国蒲生郡の安土城に移っている。このことは信長が近江殿になるという噂が単なる噂ではなかったことを示している。やはり信長がなったのは、近衛殿ではなく近江殿である。

【注】
(28)『大日本史料』第十編之十八、天正二年三月十八日条(一九七頁)。

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この記事へのコメント

あっこ
2011年09月21日 22:24
初めて書き込みさせていただきます。
非常につまらない質問で申し訳ないのですが、「尋憲記」で検索したらこのページに辿りつきました。
「尋憲記」はよく引用されている割には素人にはなかなか入手できない史料のようなのですが、入手する方法を教えていただきたいのです。
何卒宜しくお願いいたします。
佐々木哲
2011年09月22日 01:33
『尋憲記』は、国立公文書館内閣文庫に所蔵されています。でも翻刻を探しているのですよね。

それでしたら『尋憲記』そのものを探すのではなく、わたしが注で記しているように、『大日本史料』該当年月日を調べると、『尋憲記』の該当記事を見ることができます。『大日本史料』はとても便利ですよ。
あっこ
2011年09月22日 21:27
御教示ありがとうございます。助かりました。