|
これまでの歴史研究では、戦国期の近江守護六角義実(参議兼近江守)抜きで合理的で自己完結的な歴史叙述をしてきた。たしかに良質な資料を隈なく見ても、義実という名の人物は見当たらない。実在しないと思いながら良質な資料を読めば、義実は存在しない。しかも、それで辻褄が合っていた。義実に対してよほど思い入れがなければ、彼の実在を信じられなかった。しかし義実は実在したと信じて資料を読み込んでいくと、義実と同じ事跡を持つ人物義久(江州宰相)を発見することができた。しかも偽系図作者と考えられていた沢田源内も、実は偽系図作者ではなかった。このように六角義実の実在を信じるという主観性から始めたことで、六角義久の実在という客観性にたどり着いた。 このように主観から出発することで客観性に至ることができるが、多くの場合は客観性に至らない。それは、わたしたちが固定観念を持っているからである。わたしも義実という実名にこだわっていたら、義久の存在にたどり着くことはできなかった。固定観念にこだわり続ければ、感覚の中に現われている真実に気づかないままである。対象と固定観念が対立したときに対象を選ぶことができれば、そのときが資料が語り出す瞬間である。 一般に客観的と考えられている第三者は、実は自分が無関心なことについては無難な意見しか言わない。関心がなければ、あえて常識を覆すという冒険はしないからだ。ところが思い入れがあれば、常識を否定するものが現われたとき、それを真実と受けとめられる。このように本当に客観性を獲得できるのは主観である。 |
| << 前記事(2006/01/13) | トップへ | 後記事(2006/02/07)>> |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
|---|---|
「大系図評判遮中抄」は主観的、感情的です。一体なんの根拠があってそこまで言うかという感じです。佐々木先生のおっしゃる通り、一介の土民貧民が公家に仕えたりすることは有り得ないとみるのが”常識”です。沢田源内は公家に仕えることができる出自家系であったということでしょう。今、大河ドラマ”巧妙が辻”をやっていますが、薄っぺらな”史観”にはうんざりです。敗者の視点が歴史から排除されるというのは、よく聞く話ですが、たかが400年前の出来事が一方的な史観で描かれ続けることには呆れます。佐々木先生に欲を言わせて頂けば、分かりやすい”物語”の分野にも手を広げて頂けないでしょうか。江源武監は物語としては、中途半端です。刊行に関係した人物は、六角復興の意図を持っていたのでしょうが、それ故に敢えて完結した物語として記述せず、日記の転載という形にとどめたのではないでしょうか。江源武監と信長公記などを付き合せ、厚みのある歴史物語が登場するのを期待します。 |
さわだ 2006/04/16 09:59 |
コメントありがとうございます。 |
佐々木哲 2006/04/17 02:37 |
今日ビーケーワンから「系譜」が届きました。歴史物語「反信長」の刊行期待します。 |
さわだ 2006/04/22 16:25 |
現在、アマゾンは書店からの返本で在庫が出来るのを待っている状態ですから、ビーケーワンで購入されるのが、もっとも確実でしょう。しかも24時間以内に出荷しますから、東京なら朝に注文すれば当日に到着します。 |
佐々木哲 2006/04/22 16:33 |
無謀なリクエストかと思いましたが、注釈『江源武鑑』(平成佐々木版)は是非読んでみたいです。何年先でも、やれる時にお願いします。 |
さわだ 2006/04/22 23:23 |
本音を申しまして、『江源武鑑』注釈というのはかなり無謀なリクエストです(笑)。 |
佐々木哲 2006/04/25 14:10 |
了解しました。 |
さわだ 2006/04/28 18:47 |
| << 前記事(2006/01/13) | トップへ | 後記事(2006/02/07)>> |