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zoom RSS 六角義堯と佐々木左馬頭

<<   作成日時 : 2006/02/22 00:08   >>

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 元亀三年(一五七二)九月御屋形様が一向一揆を観音寺城に入城させた。この御屋形様は六角義堯と考えられる。義堯は、山中文書所収の(年未詳)十月二日付六角承禎書状(51)に登場する。
 夜前に義堯の許を訪れた者があり、そのことについて義堯が夜中に池田氏を使者として承禎・義治父子に相談したという。その相談内容は書中に書けないとするものの、1.三河方面のこと、2.三好甚五郎ら四国衆に渡海を命じたこと、3.出座のことなどが記されている。このうち三河方面のことは、同書状の日付け十月二日に注目すれば、元亀三年(一五七二)十月三日に出陣した甲斐武田信玄の上洛軍のことを指していよう。そうであるならば、たしかに書中には書けない極秘事項である。しかも義堯は決断に迫られていた。出座は、義堯自身の挙兵と考えられる。
 義堯の意思を承禎・義治父子に伝えた使者は、『信長公記』で織田方として記されている池田景雄(孫二郎)である。彼は六角氏式目の連署人であり、六角氏重臣のひとりであった。信長入洛後は、信長方として行動していた。その景雄が義堯の使者を勤めている。信長方として行動していた江州衆は、義堯の旗下にあったことが確認できる。
 また承禎・義治父子が、義堯から相談を受ける立場にあったことが分かる。実は承禎は、天正年間に足利義昭と行動をともにしていた義堯のことを「大本所」と呼んでいる(52)。義堯は承禎から見て大本家に当たる人物であった。このように元亀三年(一五七二)から、大本所義堯の動きが見られるようになる。
 翌四年(一五七三)二月明智光秀の与力山本・渡辺・磯谷らが、光秀から離反した(『兼見卿記』元亀四年二月十七日条)。将軍足利義昭は、二条城の堀普請を始めた(『兼見卿記』元亀四年二月十七日条)。さらに、仁木義政・上野陸奥守(信秀)・荒川掃部助・山岡光浄院(暹慶)・杉原淡路守が、甲賀衆・伊賀衆らとともに近江石山城や堅田城に籠城して挙兵した(53)。
 三月足利義昭と織田信長の間について雑説があり、信長から義昭に和談を申し入れたが、義昭は信長と絶交した(『兼見卿記』)。朝倉義景は、三月十八日付けで近江武士多胡宗右衛門尉に宛てて書状を送り、(六角)佐々木左馬に合力することを約束している(54)。義景は仁木義政を佐々木左馬と呼んでいる。やはり仁木義政は、佐々木義昌(河端義昌)と同一人物である。
 四月四日信長が二条城の義昭を囲むと、五日正親町天皇が信長に勅使を遣わし、義昭との和約を勧めた。そして信長は庶兄織田信広(三郎五郎)を二条城に遣わして、和平の礼を述べた(『兼見卿記』)。
 しかし七月義昭は二条城を側近三淵藤英に守らせ、自らは真木島城に立て籠って再び挙兵した。真木島への移座は、信長と徹底抗戦するための積極的な行動と考えられる。しかし七月十二日二条城は開城、十八日には義昭が子息(のち大乗院門跡義尋)を人質に出して退城した(『兼見卿記』)。二十八日には兵革を理由に、朝廷が天正と改元した。実は、朝廷は前年三月から改元を希望しており、信長は承諾したものの、義昭は承服しなかった(『お湯殿の上の日記』元亀三年三月二十九日条)。そして義昭が失脚したことで、改元反対者がいなくなった。天正改元は信長が積極的に進めたものではなく、むしろ朝廷が山門滅亡など戦乱を憂い静謐安穏を願って進めていた改元作業を、信長が認めたものである(55)。
 義昭挙兵のとき、朝倉・浅井軍がどのような行動を取ったのかは判然とはしない。『江源武鑑』は、義昭追放では六角・朝倉・浅井陣営と織田陣営が共同歩調をとったと伝えている。そして追放後に雌雄を決するために対立したという。仮説のひとつとして取り上げることはできる。
 八月二十日に朝倉義景が滅亡、同月二十七日には浅井久政・長政父子が滅亡した。そして九月四日信長は六角氏と和睦した。

【注】
(51)神宮文庫所蔵『山中文書』三七四号。
(52)(天正四年)十二月十八日付坂内亀寿宛六角承禎書状(坂内文書)。兵庫県坂内文書(東京大学史料編纂所影写本)。『三重県史』資料編近世1、一章−二三号。
(53)『明智軍記』五巻の「将軍被擬誅信長事、付堅田城攻落事」。
(54)(元亀四年)三月十八日付多胡宗右衛門尉宛朝倉義景書状(尊経閣文庫所蔵文書)。『福井県史』資料編2中世、東京都尊経閣文庫八六号。
(55)神田裕理『織豊期における改元−−「朝廷政治」と公家の役割』戦国史研究会、月例会発表、二〇〇二年八月一〇日。

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