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zoom RSS 足利義昭・六角義堯の備後鞆津下向

<<   作成日時 : 2006/02/14 22:15   >>

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 毛利氏は天正四年二・三月に足利義昭と真木島昭光が備後下向の援助を求めても承諾しなかったが(36)、同年四月に六角義堯が要請すると受け入れている。足利義昭の備後鞆津への移座は、義堯が交渉に乗り出したことで実現した。このことは吉川元春が六角義堯を重く見ていたことを示していよう。
 まず吉川元春に毛利輝元への取り成しをもとめた義堯書状(37)がある。

  至当津令渡海刻、早々雖可及案内儀候、御忍付而可致遠慮旨
  上意之条、無其儀候、輝元可得指南所存候間、取成頼入候、
  以直書申入条、別而入魂可為喜悦候、猶期対談之時候、
  恐々謹言、
     卯月廿一日  義堯(花押)
      吉川駿河守殿

 義堯は、鞆津へ渡るのはお忍びであるため案内は遠慮するという義昭の内意を伝えるとともに、吉川元春に毛利輝元への取り成しを求めている。宛所「吉川駿河守」は日付よりも一・二段下げられた位置に記され、しかも宛所に「進之候」「御宿所」などの脇付がない。前述の年頭の祝儀に対する二月八日付義堯礼状よりも薄礼である。以後の義堯書状も同様であり、交渉が進む中で、義堯が元春に対して親しみを込めていたことが分かる。しかも花押の書き止めも跳ねない。時期が同じと考えられる木村文書・黒川文書・本善寺文書・上杉文書のものと一致する。
 また元春が輝元に取り成したことに対する義堯礼状(38)がある。

  今度吉田被付置両使被帰参、御請之趣言上候、 公私大慶
  不是非候、先書如申身上之儀、輝元取成頼入候条、指南
  可為喜悦候、猶彼者共可申候、恐々謹言、
     五月廿四日  義堯(花押)
       吉川駿河守殿

 輝元の居城吉田城に遣わされた使者が帰り、義堯の要請を受け入れるとの輝元の返事が伝えられた。義堯は足利義昭とともに大いに喜び、また元春の取り成しに感謝の気持ちを伝えている。詳細は使者が言うだろうとのことだが、使者を「彼者共」と呼んでいることからも義堯の地位の高さが分かる。
 さらに、毛利氏が義昭・義堯の招きに応じたことに対する義堯礼状(39)がある。

  返書令被見候、諸事不可有疎略之由、尤珍重候、随而従輝元
  捻之儀、送給候、本望之至候、併入魂故候、弥可然様取成
  可為喜悦候、猶彼者共可申候、恐々謹言、
     七月廿日   義堯(花押)
       吉川駿河守殿

 諸事に粗略のないように心掛けるという輝元の返書に喜ぶとともに、やはり元春の取り成しに感謝している。
 このように毛利氏側から連絡があったことに喜んだ義堯は、吉川氏に太刀一腰(金覆輪)と馬一疋を進物として贈っている(40)。

  就今度者着津之儀、一札殊懇意喜悦候、仍太刀一腰金覆輪、
  馬一疋進之候、併祝儀計候、為其以使僧申候、猶期来音候、
  恐々謹言、
     十月五日   義堯(花押)
       吉川駿河守殿

 これら一連の義堯書状から、義堯が足利義昭の備後下向に大きく貢献したことが分かる。足利義昭と真木島昭光による備後下向援助の要請には応じなかった毛利氏が、義堯の要請には応じていることでも、毛利氏側が義堯を厚く信頼していたことが分かる。前述の年頭の祝儀に対する二月三日付義堯礼状の文言に「先度これより祝儀を申す趣」とあるように、義堯は以前から綿密に連絡を取り合っていた。年頭・歳暮の祝儀に対する礼状での義堯の態度は尊大であり、また備後下向に関する一連の義堯書状でも使者を「彼者共」と記しており義堯の地位の高さが分かる。『吉川正統叙目』で一連の六角義堯書状七通がまとめて所収されていることも、義堯の地位の高さや吉川氏との関係の深さを示している。
 毛利氏が義堯を信頼した理由としては、@江州宰相以来の六角氏(江州殿)の地位の高さと、A六角氏と本願寺の同盟関係という、二つの理由が考えられる。
 永禄十一年九月に足利義昭を奉じて織田信長が上洛したことに関連する『お湯殿の上の日記』同年九月二十二日条で、六角義秀(江州殿)が信長(上総)よりも上位に記されている。この六角氏の地位の高さが、毛利氏との交渉に反映したと考えられる。そしてもうひとつの理由が、六角氏と本願寺の同盟関係である。本願寺顕如の正妻は六角氏養女であり、六角氏と本願寺は同盟関係にあった。義堯の挙兵は、前述のように天正三年(一五七五)織田信長による石山本願寺攻撃が契機となっている。毛利氏が義堯を信頼した理由もここにあろう。

【注】
(36)『大日本古文書』吉川家文書四八九号・(天正四年)二月八日付足利義昭御内書、四九〇号・同日付真木島昭光奉書、および四九一号・(同年)三月二十八日付真木島昭光奉書。
(37)同六二七号・畠山義堯書状。
(38)同六二八号・畠山義堯書状。
(39)同六二九号・畠山義堯書状。
(40)同六三〇号・畠山義堯書状。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
すごいっすね〜^^かんどっっ
ゆ〜^^
2006/06/15 11:07
コメントありがとうございます。
今後も宜しくお願い致します。
佐々木哲
2006/06/15 13:50

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