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zoom RSS 豊臣秀次と左衛門督殿

<<   作成日時 : 2006/02/08 23:07   >>

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 金吾殿は名護屋から帰京すると、秀次の与力大名になったと考えられ、『駒井日記』文禄三年(一五九四)二月二十日条に左衛門督殿が見える。このとき左衛門督殿は、豊臣秀吉・秀次の吉野花見で御供衆が帯びる金太刀・金脇差のうち城預り分を、秀次から渡されている。
 ところで沙々貴神社本によれば、義郷は文禄元年(一五九二)に秀次の命令によって近江永原山城主に取り立てられ、高麗征伐の陣から帰京したという。左衛門督殿(金吾殿)が実際どこの城主であったかは確認できないが、彼の動向と沙々貴神社本の記事はやはり一致する。秀次の城預り分の金太刀・金脇差を受け取っていることから、秀次が去った後の近江八幡山城主となっていた可能性が高い。
 文禄の役(一五九二−九六)では金吾殿が秀吉の出陣で第一陣を勤めているが、名護屋御留守在陣衆には金吾殿ではなく、江州八幡侍従・左京大夫父子がいる(『太閤記』秀吉公就御母堂御異例御上之事)。同じ時期、同じく佐々木一族で豊臣閨閥に属していた京極高次が、八幡山京極侍従と称されている(『太閤記』朝鮮国御進発之人数帳)。しかし高次は文禄二年(一五九三)には「大津殿」と呼ばれており(14)、ほどなく大津城主になったことが分かる。
 また江州八幡侍従の子息左京大夫に注目しても、同時期に左京大夫と呼ばれた浅野幸長は朝鮮国都表出勢之衆として渡海しており、名護屋御留守在陣衆の左京大夫とは明らかに別人である。実は京都府宇治市の一休寺所蔵佐々木六角氏位牌の中に、左京大夫の位牌がある。慶長六年十一月二十九日に没した泰雲院殿前左京兆順翁宗曲居士の位牌である。一休寺は、「一休さん」と親しまれている一休宗純ゆかりの禅寺である。ここには戦国期の六角定頼・義賢(承禎)・義治(玄雄)三代を始め、江戸中期までの六角一族の位牌が伝えられている。そのなかに前左京大夫(唐名左京兆)であった泰雲院殿の位牌がある。江州八幡侍従の子息左京大夫と同一人物と考えられる。
 名護屋に在陣した江州八幡侍従・左京大夫父子は、秀次の城預り分の金太刀・金脇差を受け取った左衛門督殿と同一人物と考えられる。天正十九年(一五九一)豊臣秀次が関白に就任して聚楽第に入った後に、近江八幡山城主になったのだろう。そのことで左衛門侍従ではなく、江州八幡侍従と呼ばれるようになったと考えられる。
 秀次が八幡山城主になった当初は十二万石であった。沙々貴神社本で義郷を十二万石の大名と伝えるのは、実際に十二万石であったかどうかは別にして、彼が秀次後の近江八幡山城主であったことを隠喩していると考えられる。このように秀次の近江八幡山城主就任と同年に大名に取り立てられ、秀次後に近江八幡山城主になったのであれば、義郷が秀次と同様十二万石であったと誤り伝えることは十分にあり得る。
 ところで沙々貴神社本によれば、六角義郷の弟に八幡山秀綱がいる。八幡山と伝えられていることから江州八幡侍従と関係があると考えられる。同系図では秀綱は豊臣秀次や織田秀信の養子であったという。秀次の養子であったという系譜伝承は、秀綱が八幡山城主の後継者であったことを隠喩していると考えられる。そうであれば秀綱は江州八幡侍従の子息左京大夫と同一人物であろう。しかし、そうであれば秀次の養子ではなく、義郷(義康)の養子ということになる。当時実子のいなかった兄義郷の養子になったと考えられる。
 また沙沙貴神社本では、秀綱が三郎と称されていたという系譜伝承を伝えている。これと関連して、『駒井日記』文禄二年閏九月二十八日条の「一 山田又右衛門知行半分被召上候、是ハ名護やにて大和中納言様銀子宰相殿被預置候を、私ニ而取与、三郎殿江進之候事、御折檻之由」という記事に注目できる。名護屋の陣で宰相殿に預けられていた豊臣秀保(大和中納言)の銀を、山田吉成(又右衛門)が勝手に三郎殿に進上してしまったという。この記事の宰相殿が誰かも興味があるが、三郎殿も殿と敬称されており格式の高い大名である。聚楽第行幸のときに三郎侍従と呼ばれていた織田秀信(信長嫡孫)は、すでに文禄二年当時「岐阜中納言」と呼ばれている(15)。秀綱が秀信の養子と伝わることは、実際に養子であったかどうかは別にして、秀信後に同じく三郎殿と呼ばれたことを隠喩していると考えられる。この三郎殿は、江州八幡侍従(義郷)とともに名護屋に在陣した左京大夫(秀綱)だろう。

【注】
(14)『駒井日記』文禄二年閏九月二十八日条。
(15)『駒井日記』文禄二年十月五日条ほか。

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