沢田源内と六角氏郷

 谷春散人「沢田源内偽撰書由来」(1)では、沢田源内の偽作と考えられる編纂物(史書)や系図を列挙して、従来の口碑や村記にはこれらの作為を真に受けたものが多いと主張した。また『近江蒲生郡志』も、建部賢明の『大系図評判遮中抄』を信用して、義実-義秀-義郷は沢田源内によって作り上げられた架空の人物とした。
 賢明は兄賢之・弟賢弘(一六六四-一七三九)らとともに関孝和の門人であった和算の学者であり、八代将軍徳川吉宗に仕えた人物である。その賢明が著した『大系図評判遮中抄』によれば、偽系図作者沢田源内が自ら六角氏の直系の子孫氏郷と名乗るために、義実-義秀-義郷を創作したという。そして、賢明はこれら三代の記述のある資料を信頼のおけないものだと断じた。その影響は大きく、六角氏を中心に記述された古記録や伝記の多くも沢田源内によって創作された偽書と見なされ、今日に至っている。
 しかし沢田源内と同時代人である讃岐丸亀藩士のメモ書きである『京極氏家臣某覚書抜萃』(2)によれば、丸亀藩主京極高豊と六角氏郷(一六二一-九三)は親交厚く、高豊は男子を六角氏郷の家督としていた。また京都・天竜寺所蔵『夢窓疎石俗譜』(3)の奥書は相国寺百代住持汝舟妙恕によって書かれたものだが、その奥書には六角氏郷と相国寺僧の交流の中で同系譜が書かれたことが記されている。当時の記録によるかぎり、氏郷は偽系図作者どころか、丸亀藩主京極高豊や相国寺住持愚渓等厚・汝舟妙恕らと交流があった。

【注】
(1)『歴史地理』第八巻、一九〇六年(前編は一号五〇-五四頁、後編は二号一四四-一五一頁)。
(2)丸亀藩主京極家所蔵。東京大学史料編纂所謄写本『六角佐々木氏系図略』所収。
(3)東京大学史料編纂所謄写本。

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