江戸時代における『江源武鑑』の評判

 一般に偽書とされている『江源武鑑』には元和七年(一六二一)版があり、同書がその頃に生れた源内の著作でないことは明らかである。そのことだけでも、『江源武鑑』を源内の著作とする『大系図評判遮中抄』の記述が信用できないことが分かる。完全に事実を誤認している。六角義賢(承禎)の次男高定が没したのは初版刊行の前年/元和六年(一六二〇)年であり、同書初版が刊行された当時六角氏関係者で生存していた者も当然いた。とうてい荒唐無稽なことを書くことのできるような時期ではない。
 義実・義秀・義郷の実在を主張する異説は、六角氏関係の寺社・旧家のほか、讃岐丸亀藩主京極家をはじめ、山崎・黒田・上杉家などの近世大名家に伝わる家記・系譜類にも記載されており、さらに「柳営婦女伝系」巻之一の伝通院殿之伝系并華陽院殿之伝の青木氏系図にも義実の事績が記されている。また『寛政重修諸家譜』巻四百二の佐々木氏系図では、『近江蒲生郡志』が義治のあとに六角氏の家督を継いだと主張した弟高定とその子孫のことを、あっさりと「庶流」と記している。この『寛政重修諸家譜』に収められている山岡氏を始め六角氏旧臣の系図には、やはり義実・義秀などが登場する。寛政年間には、義実などの記述が復権していたのである。
 しかし『近江蒲生郡志』以後、義実・義秀・義郷の実在は無批判に否定され続けた。そのような中で近年、近江八幡市の郷土史家・故田中政三氏によって義実らの実在が声高に提唱されたが(7)、田中氏の論拠が軍記物・家記・系譜類であったことは惜しまれる。実は、義実・義秀・義郷という名に固執しなければ、彼らの実名が異なることを知ることができ、彼らの実在を一次資料によって実証的に裏付けることができるからである。
『大系図評判遮中抄』を、『京極家家臣某覚書抜萃』と比較しながら読むと、同書に多くの事実誤認があることが確認できる。つぎに『大系図評判遮中抄』を引用してみよう。

【注】
(7)田中政三『近江源氏』一-三巻、一九七九-八二年。

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この記事へのコメント

2020年05月15日 20:55
皆さんこんちは!
江源武鑑の研究サイト『注釈・江源武鑑』がオープンしました。
江源武鑑の底本は何なのか? 一次史料は反映しているのか? 
あらゆる資料を対象に、江源武鑑を可能な限り逐条的に調査しています。
ウィキペディアの『江源武鑑』の外部サイトリンクから行くことが出来ます。もしくは検索エンジンにて『注釈・江源武鑑』にて検索してみてください。

現状、『江源武鑑』の底本は、小瀬甫庵『信長記』が非常に多いと言えるでしょう。
この他『甲陽軍鑑』『太平記』『日本書紀』『古事記』『北条五代記』『百錬抄』『続後撰和歌集』等も参照していた模様。
中には『近江八景和歌』の様に『佐々木氏郷』では知ることが非常に難しいと思われる物まであります。

一度ご覧になってみてくださいね。