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zoom RSS 『大系図評判遮中抄』

<<   作成日時 : 2006/02/07 23:35   >>

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凡大系図(卅巻)ハ佐々木本家ノ姦賊六角中務氏郷カ古伝ニ偽補スル所也。蓋此者ハ、本近江国ニテ種姓モ知サル凡下ノ土民也。父ハ沢田喜右衛門トテ坂本雄琴村ニ手ツカラ鋤鍬ヲ執テ纔ノ地ニ耕作シテ世ヲ渡シ農夫ナリ。武州忍ノ城主阿部豊後守忠秋ニ正保四年ノ比カトヨ加恩ノ地ヲ江州ニ賜リシ時、喜右衛門其家ノ吏官某カ下司ト成テ名ヲ武兵衛ト改メ租税ノ事ヲ司リシニ、万才覚アレハ後ニ忠秋ヨリ忍ノ県令ト成サル。是ヨリ先本国ニ在シ時、同邑ノ百性和田勘兵衛カ娘ニ成トイヘル女ヲ娶テ子ヲ生ス、其名ヲ喜太郎ト云。下種ノ子タリト云トモ、容貌自然ニ優ナリシカハ、雅ヨリ是ヲ青蓮院尊純法親王ニ奉テ禿童トナル。門主之ヲ愛シテ常ニ御傍ヲ離サス召仕レシニ、天姓強記ニシテ書籍ヲ誦シ又筆法ニ敏フシテ詩文ヲモ学ヒ得タリ。然レトモ其生質奸侫ニシテ又貪欲ナリ。親王ノ家ニアル銀ノ建盞ヲ盗テ竊ニ市廛ノ贅トス。是ニ因テ忽ニ追却セラレ旧里ニ帰テ深ク此事ヲ秘シ、山伏ノ姿ト成テ偽テ諱ノ字ヲ賜レリト云テ、名ヲ尊覚ト号ス。父甚是ヲ責テ速ニ其名ヲ改シム。是ニ於テ還俗シテ沢田源内ト号シ、天野豊前守長信(東福門院御家司)ニ仕ヘ、又飛鳥井一位雅章卿ニモ仕ヘシカ、皆其命ニ背テ家ヲ黜ラレ牢浪ノ身ト成テ拠ナキマゝニ己カ才智ヲ以テ卑賎ヲ蔽ヒ隠シ、貴族ト号シテ身ヲ立ント欲シ、竊ニ六角佐々木ノ正統ト称シ、名ヲ近江右衛門義綱ト改メ、偽テ定頼朝臣ノ長子ニ大膳大夫義実ト云フ名ヲ作リ、其子修理大夫義秀、其子右兵衛督義郷三世ヲ、新ニ佐々木ノ系中ニ建テゝ己カ父祖トシ、義賢朝臣(承禎)ヲシテ義秀カ後見ナリトス。父武兵衛此事ヲ聞テ大ニ驚キ後難ヲ恐レテ固ク源内ヲ禁メ是ヲ叔父和田カ家ニ執ヘ置、其身ハ忍ノ地ニ下リヌ。是ニ依テ潜ニ爰ヲ逃出テ彼カ従弟ニ畑源左衛門ト云ヘル遊民ノ許ニ隠レ居テ彼義実等カ事迹ヲ造リ、或ハ旧記ニ是ヲ増補シ、或ハ新ニ偽書ヲ編作シテ其虚伝ヲ世ニ広メシム。父是ヲ悪ミ恐ルト云ヘトモ国郡ヲ隔テゝ如何トモスル事ヲ得ス遂ニ父子ノ恩儀ヲ絶テ其後忍ニ病死ス。二男沢田権之丞父カ跡ヲ継テ阿部氏ニ仕ヘリ。承応二年ノ比、源内江府ニ来リ佐々木正統近江右衛門義綱ト名乗、中山市正正信ニ属シテ水戸侯頼房卿ニ奉仕セン事ヲ請ヒ、彼偽譜ヲ献ス。卿即東叡山宿坊吉祥院ノ沙門某ヲ以テ其系図ヲ真ノ六角正嫡佐々木源兵衛尉義忠ニ賜テ虚実ヲ御尋有ケルニ、悉偽作姦操タル由被申シニ依テ其奸曲忽ニ顕ルゝノミナラス、義忠又正統ヲ乱ス事ヲ怒テ其酋本多美作守忠相ヲ以、具ニ此事ヲ上啓シ、彼カ身ヲ賜テ禁遏ヲ加フヘキ由、久世大和守広之ニ訴ヘ申レケレハ、此由ヲ聞テ大ニ驚キ狼狽シテ夜中ニ江州ヘ逃上リ、名ヲ六角兵部氏郷ト改、暫クハ世ノ変ヲ窺ヒ居ケルカ、遠国ニシテサノミ咎ル人モ無リケレハ、猶奸謀未タ止マス、彼偽名三世ヲ実トセンカ為ニ阿党数輩ヲ集メ、寺僧神人等ヲ語ラヒテ、天文六年ヨリ元和七年マテ八十余年カ間佐々木家ノ日記ヲ偽作シテ廿巻トナシ、江源武鑑ト名ケテ刊行ス。其記ス所半ハ詭譎、半ハ他家ノ事ニシテ実ニ用ナシ(是モ義忠ノ咎ニ遭テ印板ヲ打砕トイヘリ)。此書ニハ右ノ義実ヲ引替テ近綱朝臣ノ子ト称シ定頼朝臣ヲ以義実カ後見トナス。其後源内 帝都ニ至リテ又名ヲ中務ト改メ(按ルニ右衛門・中務ハ皆近世義治・義定ノ官名タルニ依テ如此)、件ノ虚系ヲ以テ諸人ヲ誑カシテ家嫡也ト自称シ、剰ヘ吾生レナカラ五品ノ官(兵部丞)タリ、昔年 後鳥羽帝代々永補任ノ勅許アルニ依テ也。今度朝廷ヨリ四品中務大輔ニ任叙セリト荒唐ノ妄言ヲ吐テ朦昧ノ輩ヲ惑ハセリ。是ヨリ猶其矯ヲ蔽ヒ隠ンカ為、昔将軍義満公ノ世、応永年中ニ特進亜三台藤原公定卿ノ撰セラレシ尊卑分脈系図ノ中、要ヲ摘テ諸家大系図(十四巻)ト号シテ世ニ行ハルゝヲ本トシ、佐々木ノ譜中ニ新ニ多クノ名諱ヲ偽作シ、己カ本姓沢田氏、外祖和田氏、従弟ノ畑氏、及ヒ此奸謀ニ与スル者ハ、皆私ニ其一流トナシ、又織田、朝倉、武田、豊臣ノ系中ニモ、彼虚名ニ妄説ヲ書添、其余諸氏ノ家伝ヲ拾ヒ集テ、真偽ヲモ正サス、悉ク書載セテ全部卅巻ト作シ、更ニ大系図ト名ケテ梓ニ鏤ム。此外和論語、足利治乱記、浅井日記、異本関原軍記、異本勢州軍記等、皆彼カ一世ニ奸シク虚説ヲ註スル所也。如此偽書世ニ流布シテ後、智アル人ハ更ニ是ヲ信セストイヘトモ言ヲ巧ニシテ詐ルカ故、読ム者半ハ惑ハサレテ、実ニ其人(義実、義秀、義郷)アリト思ヘリ。是ニ依リテ定頼朝臣ノ子孫ハ皆庶流也ト思ヒ、或ハ其家二ツニ分レタリト云。其外種々ノ誤説出来レリ。是ヨリ後、其悪徒等相続テ彼事迹ヲ真シク旧記ニ補入、又其偽ヲ知サル浅智ノ輩ハ、編纂ノ書毎ニ往々ニ採テ篇中ニ引ク。是故ニ近年ハ彼偽名漸ク諸書ニ広マレリ。所謂中古国家治乱記、異本難波戦記、三河後風土記、武家高名記、倭州諸将軍伝、浅井始末記、同三代記、東国太平記、日本将軍伝、諸家興亡記、武家盛衰記、東海道駅路鈴、此外猶多シ。一年京都ニ於テ官職ヲ矯リ冒ス輩ヲハ、悉ク捕テ死刑ニ処セラレシカハ、源内大ニ驚き、忽ニ太輔ノ号ヲ停テ其身ヲ隠シ、密ニ人ノ家譜ヲ造テ渡世ノ営トナス。蓋世系ノ詳ナラサル人ハ、彼ニ賄シテ家伝ヲ求ルニ、己カ小智ヲ以テ妄ニ名諱ヲ偽作シ、虚説ヲ註シテ是ニ与ル。多ハ正史実録ニ背ク、若其事ヲ二次議スルニ及テハ、前後相矛盾スル事多シ。乃余カ従弟同氏昌孝(十郎左衛門)在京ノ序ニ家伝ヲ記サシメ、是ヲ火災ニ失シテ再ヒ書セシムルニ、其事蹟悉ク相違セリ。又幕下ノ士井戸甚助ト云人モ始家系ヲ註セシメ、後ニ東海寺和尚某ニ拠テ、又同ク譜ヲ書セテ是ヲ試ルニ、其記ス所皆以テ前ト符合セス、如何トナレハ己カ記憶ノ壮ナルニ任テ、写本ヲ設ケス、徒ニ虚記スルニ依テ年月ヲ隔刻ハ、先ニ書スル所ヲ悉遺忘スルユヘ也。如此恐懼ノ中ニモ諸人ヲ誑カシテ、其口ヲ餬ヒ、遂ニ元禄戊辰年ニ至テ七十歳ニテ病死ス。男子モナク、娘一人草医ノ妻ト成テ、今洛陽ニアリナン。抑源内漫リニ官名ヲ佯冐シテ朝憲ヲ蔑ニシ、恣ニ六角ノ姓ヲ誣テ正統ノ真系ヲ乱シ、当時衆ヲ欺クノミニ非ス、後世ノ人ヲ惑ハシムル事、天ニ滔タル罪刑戮逃ルヘカラスイヘトモ、白刃ノ侵ス所ヲ免レテ徒ニ其命ヲ終ルハ豈大成幸ナラズヤ。愚(賢明)其頃(承安二年)世ニ在ハ速ニ彼ヲ謀誅シテ義忠ノ怒ヲ休ムヘキニ、卅許年遅ク生シテ席上ニ死ヲ遂シムル事悔ムニ余アリ。余数歳幕府ニ奉仕シテ官吏暇ナシトイヘトモ其憤ヲ忍フニ勝ヘス、彼カ一世ノ行迹ヲ記シテ、其狡奸ヲ顕シ、又佐々木系中ノ虚妄ヲ挙テ逐段ニ訂評ヲ加ヘ悉ク真偽ヲ決ス。是併邪説ヲ斥ケテ正統ヲ存センカ為ナリ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
佐々木先生、できればご解説を願いたい。解読に努めますが。
岩永正人
2008/02/10 23:18
簡単な解説であれば、拙著でなされています。もし詳しい解説が必要な場合は、個人指導を申し込まれては如何でしょうか? 

大学に常勤職を持つものであれば、知識を無償で公表することは義務と考えますが、わたしは常勤職を持たない自由業の身ですので、資料も自前で購入しており、その結果得た知識はわたしの大切な知的財産となります。高学歴のワーキングプアの現実をお知り下さい。
佐々木哲
2008/02/11 00:17

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