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坂本多加雄『象徴天皇制度と日本の来歴』 【内容】 ある人物についての物語が、なによりも当の本人を満足させなければならない場合とは、どのような場合であろうか。それは、自分が不確かな未来や危機的状況を前にして、何らかの選択あるいは決断をしなければならない場合である。このような場合、ひとはその選択や決断が自分にいい結果をもたらすかどうか判断するために、過去の事例を探り、自分の能力や資質を確認しようとするだろう。そして、その決断が自分にふさわしいものか確認しようとするのではないだろうか。 高校野球で活躍した生徒がプロ野球入りを進められた場合を考えよう。まず自分の実力について過去の実績を勘案しながら、それと並行してプロ生活が真に自分の願望するものかも確認しようとするだろう。このとき過去の自分にまつわるさまざまな出来事や思い出が、プロ野球に入る決断に向けて、まさしく自分自身で納得しうるような「筋」の中に位置づけられていく。この場合「筋」は、すでに成功している野球選手の物語を借用するわけにはいかない。あくまで本人にとって、その決断が自然と思われるような「筋」でなければならない。すなわち物語が語られることで、それはアおのずから決断の理由を構成する。その際、プロに入るという決断が、そうした物語を要請したということも可能であろう。ということは、逆に、プロに入ることを断念する決断がくだされたとしたら、別の物語が語られたであろうことを意味する。すなわち、「来歴」は固定したものではなく、現在の決断との関連でさまざまに語られうる可能性を持つのである。 このように、ひとは決断の内容にもとづいて自分の資質や過去の出来事を選択し解釈した上で、自らの物語の「筋」をもとめ、決断をくだす。その際、過去の事実に対して当時とは異なった意味づけをする場合もあるだろう。また、当時は意味がないと思われていた事実が重要な意味を持つ場合もあるだろう。このようにして、物語は現在を解して過去と未来を媒介する。すなわち、さまざまな「筋」を秘めた物語の中で、イ過去と現在が未来を規定し、また、未来と現在が過去を規定するのである。 当人が「何者」であるのかをもっともよく明らかにするものは、なによりも当人にとって切実な自己理解の要求に基づいて語られた物語である。もっとも、このような「理解」を通して得られた「何者」も、ウ他の「何者」でもないという意味で真に独自なものであるとは限らない。そもそも、エひとが自らについて語る物語にとって重要なことは、「独自性」というよりも、むしろ「真実性」ではないかと思われるからである。 切実な自己理解の要求から語られた物語は、「真実性」を有する。ここでの真実性とは、まず当人の物語を構成しているここの出来事や思い出が、当人にとってまさに実在したものと考えられており、かつ他人もその実在を何らかの形で承認できるものであることを意味する。このように、ひとびとが自らについて語る物語では真実性が問題になるのであり、フィクション物語とは区別して、「来歴」という言葉で呼ぶ方が適切であろう。 【解答例】 (一)自分の物語とは、確実な未来を前にして適切な決断をするために、過去における自分の事例を引き出し、自分の資質を確認するものであるから。 (二)現在の自分の問題解決のために過去の出来事を選択し、その解釈にもとづいて自らの未来のための決断をくだすということ。 (三)適切な決断をくだすために自分を理解しようとするのであり、そこでは個性的であることよりも確かなものであることが求められるから。 (四)適切な決断のためには、その根拠となる出来事が当人にとって実在したものであり、他人からも実在を承認できるもでなければならないから。 (五) a=勘案 b=属性 c=探索 d=忘却 e=念頭 【解答のコツ】 問題文は、歴史叙述をフィクション物語と同じだとみなす現在流行の物語論に対する批判にもなっている文章であり、とてもいい内容になっている。歴史学を学ぼうとするものは、この文章の内容をしっかりと自分のものにして、理不尽な(笑)現代思想からの批判に備えるといいだろう。 しかし設問の立て方が必ずしもうまくいっているとはいえない。この設問の立て方では、設問(一)から(四)まで同じ内容になってしまう。問題作成者もそのことは自覚していたのだろう、設問(四)で「筆者のいう『真実性』の意味に留意して説明せよ」とあるのは、設問(三)の解答と重複した内容にならないようにするために、問題作成者がヒントとして書き加えたものと考えられる。 (一)傍線部アは、「来歴」としての物語を問題提起した第一段落を受けて、具体例を挙げながら詳細に説明した第二段落中の一文にあるので、第一段落の内容をまとめればいい。 (二)傍線部イは、段落最後の文中にあるので、段落最初の文の内容を自分の言葉で記せばいい。また傍線部イを含む一文は「すなわち」という言い換えの接続詞で始まるため、前文「物語は、現在を通して過去と未来を媒介する」の言い換えである。しかもその一文が「このようして」で始まるのだから、段落の内容のまとめであることは明らかだ。さらに直前の二文は、「その際」で始まる但書きなのだから、やはり段落最初の文に注目すればいい。あとは自分の言葉で記すだけだ。 (三)傍線部ウは、「もっとも」で始まるため、段落最初の文に対する但書きである。そのため傍線部ウの理由は後続の文で述べられれている。実は、段落最後の文である傍線部エがその理由である。傍線部エが「…と思われるからである」で終わっていることでも、そのことが理解できる。ということは、傍線部エを自分の言葉でまとめればいいということだ。 (四)傍線部エは、段落最後の文であるため、段落のまとめの文であると同時に次の段落に続く内容でもある。実際に、次の段落で「真実性」の内容について詳しく説明されている。設問(四)で「筆者の言う『真実性』の意味に留意して説明せよ」とあるのだから、次の段落の最初の二文をまとめればいい。そのとき「ここでの真実性とは…」で始まる二文めの内容に留意すれば、設問の条件を満たす。 |
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