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zoom RSS 1997年東大前期・国語第五問「時の流れ」

<<   作成日時 : 2005/12/06 20:09   >>

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長田弘『自分の時間へ』より出典。
【問題文】
 川の流れを見るのが好きだ。たとえどんな小さな流れであろうと、川のうえにあるのは、いつだって空だ。川の流れをじっと見つめていると、わたしは川の流れがつくる川面を見つめているのだが、わたしが見つめているのは、同時に川面がうつしている空であるということに気づく。ふしぎだ。川は川であって、じつは川面にうつる空でもあるということ。すなわち川は、みずからのうちに、自らの空をもっているということ。
 川の流れをずっと見ていて、いつも覚えるのはそのふしぎな感覚だ。川の流れの絶えることのない動きがうつしているのは、いつだってじっとして動かない空だ。川の流れについてそういう感じ方をもちつづけてきて、なじめないのは、流れという比喩の言葉だ。時の流れ、歴史の流れといったふうに、流れという言葉が比喩として語られると、ちがうと思う
 川の流れは、流れさってゆくと同時に、みずからうつすものをそこにのこしていくからだ。流れさるものは流れさる。のこるのは、流されるものがそこにうつす影像だ。時や歴史についていえば、流れとしての時や歴史ではなく、流される時や歴史がそこにのこす影像こそ、いつだって流される時や歴史についてよりいっそう多く語りかけてくるように、わたしには思える。
 桃の花の咲きはじめる季節に、生まれそだった東北の街の郊外にひろがる桃畑をたずねる機会があり、引っ越してから四十五年経って、かつて短いあいだ暮らしたことのあるサクランボ畑や桃畑のある風景のあいだをあるいたが、たたずまいをいまはすっかり変えた街並みには、記憶の入り口となるべきものがまったくない。にもかかわらず、幼い日の記憶が変わらずにそこにのこっていたのは、川だ。
 そこに暮らしていた一学期のあいだだけ通ったそこの小学校のことは、一枚の記念写真もなく、何も覚えていない。ただ通学した小道は覚えていた。小道にそって小川が流れていた。その小川がいまも流れていた。春の日差しをうつす小川は、細かく光りの粒を散らし、小さな流れがこっちにぶつかり、そっちにぶつかって、小道にならんでつづく。その川面のかがやきに、幼い日の記憶がそのままのこっていた。
 あとにのこるのは、或る時の、或る状景の、或る一場面だけだ。こころのそこだけあざやかにのこっている或る一場面があって、その一場面をとおして、そのときの日々の記憶が確かなものとしてのこっている。そこだけこころに明るくのこっているものだけが手がかりというしかたでしか、過ぎさったものはのこらない。日々に流されるもののかなたではなく、日々にとどまるもののうえに、自分の時間としての人生というものの秘密はさりげなく顕われると思う。
 木下杢太郎の、とどまる色としての青についての詩を思いだす。

  ただ自分の本当の楽しみの為めに本を読め、
  生きろ、恨むな、悲しむな。
  空の上に空を建てるな。
  思い煩ふな。
  かの昔の青い陶の器の
  地の底に埋もれながら青い色で居る−−
  楽しめ、その陶の器の
  青い「無名」、青い「沈黙」。 (「それが一体になる」)

 人生とよばれるものは、わたしには、過ぎていった時間が無数の欠落のうえにうつしている、或る状景の集積だ。親しいのは、そうした状景のなかにいる人たちの記憶だ。自分の時間としての人生というのは、人生という川の川面に影像としてのこる、他の人びとによって明るくされているのだと思う。人生の中じきりとして、『自分の時間へ』という本を書いた。本という器にわたしがとどめたかったのは、他の人びとが自分の時間のうえにのこしてくれた、青い「無名」、青い「沈黙」だ

【設問】
(一)「なじめないのは、流れという比喩の言葉だ。時の流れ、歴史の流れといったふうに、流れという言葉が比喩として語られると、ちがうと思う」(傍線部ア)とあるが、「ちがうと思う」のはなぜか。その理由を述べよ。
(二)「日々に流されるもののかなたではなく、日々にとどまるもののうえに、自分の時間としての人生というものの秘密はさりげなく顕われる」(傍線部イ)とあるが、どういうことか。説明せよ。
(三)「他の人びとが自分の時間のうえにのこしてくれた、青い『無名』、青い『沈黙』だ」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか。説明せよ。

【解答例】
(一)川の流れはただ流れ去っていくものではなく、川面にうつす影像を残していくものであり、時も歴史も多くの影像を残していくから。
(二)人生は流れ去っていく時間ではなく、心の中に鮮やかに残っている一場面をとおして、たしかに記憶に残っているものであるということ。
(三)歴史上の無名の人々が遺跡・遺物として現在に痕跡を残したように、記憶の中に痕跡を残した多くの親しい人たちということ。

【解答のコツ】
(一)傍線部アは段落の最後にある。ということは当段落のまとめであると同時に、次の段落の最初の文につながる。実際に、次の段落の最初の文は、「…からだ」で終わる。つまり、次の段落は傍線部アの理由を述べている。だから、次の段落の内容を自分の言葉でまとめればいい。
(二)傍線部イも段落の最後にある。当然問う段落のまとめであると同時に、次の段落にもつながっている。ここでは、傍線部イのある段落の内容をまとめればいいだろう。
(三)傍線部ウは、木下杢太郎の詩をうけた段落のまとめである。だから傍線部ウのある当段落の内容をまとめればいい。注意点は、「青い『無名』」と「青い『沈黙』」だ。木下杢太郎の詩に登場する「青」は遺跡発掘の現場で発見される青磁器・青銅器などの鮮やかな青色のイメージだろう。筆者は、それを川面にうつる空の青色と重ね合わせたのである。「青い」と形容された「無名」と「沈黙」は、遺跡から発掘された遺物をつくり使用していた無名の人々のことである。このイメージを、筆者は、自分の記憶に登場する親しい人々に重ね合わせた。このことを理解したうえで、最後の段落をまとめればいい。

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