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小松和彦「ノロイ・タタリ・イワイ」(山折哲雄・川村邦光編『民俗宗教を学ぶ人たちのために』)より出典。 【内容要約】 民俗宗教において、祟りの信仰は大きな比重を占めている。それは広い意味での「世間の目」「霊の目」に対する恐怖・配慮の象徴的表現であるかもしれない。しかし日本人は、死者が家族や親族、それに共同体のために犠牲になった者であっても、彼らに対して「負い目」「後ろめたさ」を感じ、その霊を慰め、祠を建て、神に祀り上げてきた。言い換えれば、日本人は生きているというだけで、霊に対して「負い目」を感じる立場に置かれているといえる。このように日本人は「霊の目」を無意識のうちに気にし続けており、その「霊の目」が安らかになるよう祀ることが、日本人の「祝い祭り」の本質である。 たとえばミクロネシアなど戦地での遺骨収集団や慰霊団の現地での慰霊行為について、日本人である私は十分理解できるが、アメリカ人や現地人には異様なものに見えるらしい。この光景の受け取り方の違いに、日本文化の特徴、とくに日本人の「霊」への信仰の特徴が示されている。 物言わぬ「戦友の霊の目」を背負って生きてきた者の「思い」、つまり死んだ者が可哀想だ、生き残って申し訳ないという「思い」が、元兵士たちの慰霊行為を導き出している。それらの「思い」によって、元兵士たちの時間は止まり続けているのである。私たちは、そこに日本人の民俗的な信仰伝統を見出すことができる。 しかし近代以前には、異郷の地で命を落とした者の遺骨を拾って、故郷に返すという習俗はなかった。それが民衆の間で定着したのは、山折哲雄によれば日中戦争開始以後だという。当時の国家が、戦死者の遺骨を戦地に赴いて収集し、故郷に持ち帰って霊を慰め、「英霊」として靖国神社や地方の忠魂社で祀り上げたのである。これは民俗的信仰を変形させて作ったものである。 ところが、このような国家的行事を生み出して運営していた国家が敗戦によって倒れたのだから、この擬似的宗教的行事も廃止されて当然であった。しかし、この遺骨収集の儀礼的行為は、わずか二十年足らずの間に日本人の心性に深く入り込み、むしろ逆にこの国家主義的儀礼行為を自分たちの信仰に組み込んでしまったのである。 遺骨をより代にして帰国する霊を迎えたいという「思い」は、国家だけではなく、民衆のなかにもあったと見るべきであろう。その心性は、近代国家成立以前から成立していた、「霊の目」を意識した「後ろめたさ」に由来するものであった。現在でも、日光ジャンボ機の墜落現場である御巣鷹山、阪神・淡路大震災の被災地にも見出すことができる。 【解答例】 (一)日本人は怨念を恐れただけではなく、自分と親しい者に対しても「負い目」「後ろめたさ」を感じ続けているということ。 (二)「霊の目」を無意識のうちに気にし、「霊の目」がやすらかになるように祈るのが、日本人にとっての「祝い祀り」の本質であるから。 (三)元兵士たちは年取った今も、戦友が可哀想だという感情や、自分だけが生き残ったことの負い目を持ち続けているから。 (四)異郷の地で死んだ者の遺骨を収集する習俗は、実は近代の軍国主義国家が民俗的信仰を変形して作り出したものであるから。 (五)遺骨をより代にして霊を迎えたいという思いは、実は近代国家成立以前からあった「霊の目」を意識した「後ろめたさ」に由来したものであり、現在でも日光ジャンボ機の墜落現場である御巣鷹山、阪神・淡路大震災の被災地にも見出すことができる。 (六) (a)未練(b)停泊(c)託宣(d)墜落(e)被災 【解答のコツ】 (一)傍線部アが「言い換えれば」で始まるということは、その前で主張されていた内容を言い換えているということ。 (二)第一段落で日本人の「祝い祀り」の本質が述べられた後に、第二段落で筆者のミクロネシアでの体験談が記され、第三段落の最初の文である傍線部イに続く。だから、慰霊行為が日本人の「祝い祀り」の本質だからと述べればいい。 (三)傍線部ウは、この段落で述べられている年老いた元兵士の心情を、抽象的な表現でまとめた文であるため、元兵士の心情を具体的な表現でまとめればいい。 (四)傍線部エは、前段落の最後の文から「ところが」「したがって」と続いている文章であるため、前段落の内容をまとめればいい。 (五)傍線部オはこの文章全体のまとめであるため、民衆の宗教心を中心に述べればいい。本文のテーマは民俗宗教であって、靖国論ではないので、けっして国家主義的儀礼の説明を中心に記したりしないこと。靖国論にしてしまうと、内容が浅くなり、せっかくの深い内容が台無しになってしまう。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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現代文の解答、参考にさせていただいてます。 |
anctus 2007/02/20 19:44 |
青本は強調点のない平凡な模範解答に思えます。 |
佐々木哲 2007/02/20 22:26 |
なるほど。 |
anctus 2007/02/21 21:43 |
どういたしまして。 |
佐々木哲 2007/02/21 22:58 |
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