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zoom RSS 1999年東大前期・国語第五問「短型詩」

<<   作成日時 : 2005/11/24 13:23   >>

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柳沢桂子『生と死が創るもの』より出典。
【内容】
 俳句や短歌は不思議な詩型である。短い言葉のなかに、長い言葉よりも広い世界を表現することができる。長い詩型が言葉によってすべてを限定するのに対して、短い詩型は読者のイマジネーションに頼るために、表出される世界が広がるからだ。
 そういえば、短歌では小さいものを詠うのはやさしいが、大きなものを詠うのが難しいとされる。たとえば、海に浮かぶ小舟を詠うことはできるが、ただ広い海だけを詠うのは難しい。
 これは人間の神経系の構造と関係があろうと私は考えている。鮮明なイメージを持つ言葉で、特定の神経細胞が興奮する。その結果、その言葉に関連するイメージを記憶している神経細胞が興奮して、そこに広々とした世界が開けてくる。

  散る花は数かぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも

 上田三四二のこの歌は、桜の花びらという小さいものの視覚イメージを印象づけることで、谷の深さまで表現している。
 人間の心はまた、自然に敏感に反応する。これはおそらく、生命の歴史と深くかかわっているのだろう。そのため自然を詠った歌の方が、ひとびとの心に訴える可能性は高い。
 時代が進むと、そのような歌に飽き足りないひとびとも出てくる。そのような歌人のひとり土屋文明は生活を詠った。生活を詠うといっても、単に日常の雑事を歌にすればいいというのではない。人間の生理、心理とはかけ離れたところから出発することで、かえって感動をあたえようというのである。

  地下道を上がり来たりて雨のふる薄明の街に時の感じなし

 この歌は、地下道や街というイメージ喚起力の弱い言葉に「時の感じなし」と突き放す。しかし一見ぶっきらぼうなこの歌のそこには、言い知れぬ寂しさがただよう。
 昼間のように明るい地下道から地上に出ると、そこには夕闇が迫り、細い雨が降っていた。アスファルトの湿る匂い。一瞬の時間間隔の落差に、自己の存在感が揺らぐ。時が消えた。人生のエア・ポケットに落ち込んだような底知れぬ寂寥感。しかも「時の感じなし」という突き放した言葉で、無骨な「男の寂しさ」を感じさせる。
 文明は人間の神経系の働きに反する方法で、かえって人の心に訴えることに成功した数少ない歌人だろう。彼は、それまでの自然観照を主とする短歌の世界から離れて、人間の生活を通して人間そのものを詠おうとした。そこには生と死、人間であることの寂しさ、孤独が通奏低音として流れている。

【解答例】
(一)短詩は読者のイメージに頼る部分が大きい分、小さいが鮮明なイメージをもつものを詠うことで、それに関連したイメージが次々と想像されるから。
(二)まず桜の花びら一枚一枚を思い出させ、それが数かぎりなく光を浴びながら落ちていく様子を想像させることで、谷の深さを表現したということ。
(三)人間が生理的に快いと感じる言葉ではなく、むしろ逆なでする表現を使うことで、従来の短歌では表現できなかった現代人の寂しさを表現したと考えている。

【解答のコツ】
(一)傍線部ア「表出される世界が広がる」は最初の段落の最後の文であるため、この段落のまとめの文であることは明らかである。しかも傍線部アの直前に「読む人のイマジネーションに頼る部分が大きくなるため」とあるのだから、そこが理由である。さらに段落の最後の文であるということは、次の段落ともつながっている。この文章の場合は、次の第二段落が「短歌は」で始まり、さらに第三段落が「これは」で始まることから、第三段落で短歌で「表出される世界が広がる」理由が書かれていることが分かる。しかも第三段落の最後の文が「そこに広々とした世界が開けてくる」と終わるのだから、そこも「表出される世界が広がる」理由になっている。これらをまとめるといい。
(二)傍線部イは上田三四二の歌を、筆者の主張に即して解釈するという設問である。文才も多少必要だが、前段落である第三段落の具体例として引用している歌なのだから、設問(一)で応えた内容に、歌の言葉を当てはめていけば、きちんとした解釈になるはずだ。こわがる必要はない。
(三)傍線部ウ「時の感じなし」は、引用歌である土屋文明の歌の結句である。この歌は、「人間の生理、心理とはかけ離れたところから出発して、なおかつ感動をあたえようという」歌の一例として引用されている。そのため、人間の自然な感覚で心地よいとされるものとは逆の事物を詠うことで、むしろ感動を与える試みの歌である。あとは、それがどういう感情を詠ったものなか分かればいい。この歌に関する筆者の解釈は後段で述べられているが、そこで傍線部ウ「時の感じなし」は、都市の雑踏のなかでの寂しさを感じさせると言っている。土屋文明は、人間が生理的には快くないと感じる無機質的なものを題材にすることで、逆に現代人の寂しさを表現するのに成功したとまとめればいい。

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