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zoom RSS 1999年東大前期・国語第二問「青春論」

<<   作成日時 : 2005/11/24 02:27   >>

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安部公房『砂漠の思想』より出典。
【内容】
これまで日本では青春は不当に買いかぶられるか、不当に抑圧を強いられてきたと思う。しかし、よく考えてみれば、どちらも青春は清純なものだという固定観念のうえに成り立っていたのだ。どちらも、青年をひとつの青春概念の中に閉じ込めているのである。
 だが、本当の青春は、自分が青春であることに決して甘んじたりしない自己否定の精神のことである。現状を認めないことが未完成な魂の特質であり、だからこそ完成に向かうたくましさもある。青虫も、現状否定によって初めてチョウになれる。青春だといって喜んでいるような青春は本当の青春ではない。
 だから青春には、現状を否定してたえず未来に進もうとするエネルギーと同時に、すべて過渡的なものにつきまとっている未完成で矛盾に満ちた青虫的いやらしさが充満している。
 もし大人たちが、本当に青春の味方になってやろうとするなら、「成人の日」のお祝いもいいが、半面いたずらに清純や素直さを押し付けたりせず、そのいやらしさを愛してやるべきだろう。なにも青春に限らず、一見いやらしく見えるものこそ、実は真に美しいものである。

【解答例】
(ア)筆者は、向上心を持つことの大切さを言っているのだろう。思春期に自我に目覚める時期であり、与えられた状況に従順であることに満足できない時期でもある。だから本当の自分を求めて、「自分探し」をする。しかし、本当の自分がどこか別のところにあると考えるのは間違っていないだろうか。本当の自分は今の自分から離れたところあるのではなく、向上心をもって自分の現状を反省することで見えてくるものだと思う。
(イ)青春は、自分の現状を否定して目標を目指すと時期であると同時に、社会の現状にも批判的な時期である。わたしたちは固定観念に縛られていないからこそ、社会の矛盾点に気づくことができる。しかし、これは大人にとっても大切なことだろう。社会の矛盾に気づいたら、正面から立ち向かうべきだろう。逆に常識を疑うことができる柔軟さを持っている限り、年齢に関係なく青春といえるのではないだろうか。
(ウ)大人が若者の味方になろうと思うのであれば、青春の素晴らしさを言うだけではだめだ。むしろ、そんな大人の表向きの言葉に反発するのが青春である。自らの価値観を押し付けるのではなく、若者の批判に耳を傾ける大人こそ、若者の味方といえる。もちろん、それは若者の傍若無人な行動を認めろということではない。若者が社会の矛盾点を指摘したときに、押さえつけるのではなく、真正面から受け止めてほしいということである。

【解答のコツ】
(注意)で、「文章全体の趣旨の理解とそれに基づく意見を求めているのであって、単なる個人的な体験や感想の記述を求めているのではない」と記されているように、筆者の意見を正確に理解することが強く求められている。この課題文のテーマが「青春」であるため、また大人のお説教が始まったと、多くの受験生が思っただろう。わたしもこの文章を読み始めたときには、正直そう思った。しかし東大国語の現代文で、そんなにヤワな文章を出すことはない。これは東大現代文に限らず、受験現代文全体にいえることだ。それにもかかわらず、最初の反発の目をもったまま文章を読むと、そのように反発の目をもつことが大切だと言っている筆者の主張を理解しないまま、解答することになる。味方であるはずの筆者を批判することになる。
 東大で求めているのは、大学の教科書・副教材を正確に読む力である。しかし、正確に読む力があるということと従順であるということは違う。実は正確に読むことができなければ、正しい批判もできないのである。トンチンカンな批判をしてもだれも耳を傾けてはくれない。東大は正しく批判できる人物がほしいのである。
 また、このような問題では傍線部アでも傍線部イでも傍線部ウでも同じ内容になりやすい。それぞれの傍線部の強調点がどこにあるのか正確に読むことが大切だ。以下で、それぞれの傍線部の強調点を見ていくことにしよう。
(ア)傍線部アで言われている「自己批判の精神」が向上心であることに気づくことができれば、あとは向上心の大切さを書くだけだ。
(イ)傍線部イで言われている「過渡的なものにつきまとっているあの未完成で矛盾に満ちた青虫的いやらしさ」が、思春期によくみられる社会批判のことだと気づくことだ。筆者は、自分の常識を疑うと同時に社会の常識を疑うことも大切だと主張している。「同時に」という言葉は、対立するものどちらも大切であることを言うときに使う接続詞である。ただし後者に重点があることが多い。ここでも前者が自分の常識を疑うことの大切さであり、傍線部アの内容と同じであり、後者が傍線部イ独自の内容である。だから社会批判を中心に解答するといい。
(ウ)傍線部ウは大人に対する意見である。社会批判をする若者の意見を無視したり抑圧したりするのではなく、真正面から受け止めるのが大人の役割であると、筆者は述べている。若者の立場から、自分たちが社会批判をしたときに、大人にどう対応してほしいのかを書けばいい。そうすれば、傍線部アとも傍線部イとも異なる内容を書くことができる。

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