佐々木哲学校

アクセスカウンタ

zoom RSS 2000年東大前期・国語第四問「言葉」

<<   作成日時 : 2005/11/22 14:28   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

三木卓『海辺の博物館』より出典。
【内容要約】
 窓の向こうには丘がある。この数年、この丘をながめながら仕事をしていたから、この丘の変化は分かったつもりでいた。それでも見落としているものを発見したり、知っているものでもあらためて感銘したりする。
 去年、わたしは自分にしては長い時間を書けた小説を発表した。今わたしは次の、時間のかかる小説に着手しようとしている。それは、わたし自身も変化していると、感じるからだ。
 小説は、自分をからめとる世界をひとつ自分なりに書くということだ。そのときは、これが自分のみえた最高の世界だと思ったから発表したわけだが、いざ発表してしまうと、つぎの試みができなくなってしまう。自分によって書かれた言葉は、その行手行手で心得顔に待っていて、〈おまちどうさま〉と皮肉をいうばかりだ。いちどつくられた自分の網から出ることは難しい。
 だから、わたしは待っているよりほかはなかった。わたしは、掘立小屋をひとつ建てたにすぎない。いちどそれを壊してしまい、しばらく知らぬ振りをする。それにしても、わたしたちは言葉を信じすぎる。わたしたちは言葉と現実をとりちがえる。あるいは現実を完全に把握していると思い込んでいる。しかし現実のわたしは、言葉以上の知覚体である。そしてまた言葉は限界を持っているがゆえに、表現や認識の媒体たりうる。
 言葉と言葉のあいだには大きな隙間がある。言葉はポイントしか示さないデジタル表示のようなものである。しかしアナログの秒針が、デジタルで表示されるポイントとポイントのあいだを均質に動く保障はまったくない。
 世界が自分がつくった掘立小屋におさまっているように見えるのは、世界がデジタル表示のように見えてしまっているということである。言葉の呪縛にひっかかってしまったというだ。しかし、今わたしはそこから脱しつつある。言葉と言葉のあいだに広がっている闇がしだいに深さを増しつつある。まだあるべきものまでにはかなり遠いが、それでも言葉の背後の領土をもういちどつかみなおしたいという気持ちがおこってきている。
 振りかえってみると、いつもわたしは自分の変化を願っていたと思う。それは、わたしなりの現実への尊敬の仕方なのだと思う。私が変れば、現実はもっともっと深いものを見せてくれると思っている。
 この五月でわたしはまたひとつ年齢を重ねた。これから、さらに意外性ある未知の視角を体験する可能性もあるだろう。これからどう変化していくのか。活力ある初夏の丘の変化をながめながら、そんなことを思ったりする。

【解答例】
(一)いちど言葉で表してしまうと、世界が固定されてしまい、新しい試みをしようとしてもなかなか抜け出せないということ。
(二)言葉をデジタル時計で世界をアナログ時計で喩えたが、世界は針の動きのように均質的に連続するものではないということ。
(三)わたしたちは言葉を超えた現実を知覚できるので、言葉の限界を認識することで現実を把握できるようになるということ。
(四)年齢をひとつ重ねたが、まだまだ新しい視点を獲得して未知の世界を見ることができるだろうという期待に胸を膨らませている気持ち。

【解答のコツ】
(一)傍線部アのある段落の内容だけでまとめようとすると、東大の過去問集の模範解答にあるような間違いをしやすい。この段落は表現が難しいので、それに惑わされて一字一句にこだわった解答になってしまう。
 あらためて傍線部アのある段落の位置を見ると、前半部の内容をまとめる段落にある。そのため、まず前半部の内容をまとめるといい。前半部の内容は、自分は分かっているつもりでも、まだまだ見落としているものがあり、自分自身も少しずつ変化していると感じるということだ。
 さらに傍線部アの次の文が段落最後の文であり、しかも傍線部アと接続詞なしでつながっているため、前半部のまとめであり、傍線部アの言い換えであると分かる。いちど言葉で表してしまうと、そのイメージから抜け出ることが難しいという内容だ。だから、前半部の内容と次の文の内容を合わせまとめるといい。
(二)傍線部イは、アナログ時計のたとえに対する但し書きであることに気づこう。言葉はデジタル時計のようなもので世界を分節するのに対して、世界はアナログ時計のようだと述べた後に、筆者は「もっとも」と述べて但し書きを書き加えた。アナログ時計の針は均質に動くが、現実の世界は均質ではない。そのことを述べたかったのである。だから、均質ではないということに重点を置いて書けばいい。
(三)傍線部ウは、言葉の限界について述べた前段落の内容を受けて、そのような思いに達した自分の感慨を述べた段落にある文だ。わたしたちは「知覚体」として、言葉を超えたものを感じることができる。だから、言葉ではなく現実を尊重しようという文脈である。答えを作成するときには、前段落の後半、逆接の接続詞「しかし」の後の内容を理解し、さらに傍線部ウの直後の文が「だから」で終わり、傍線部ウの理由を述べていることが明らかなので、その文を参考にするといい。
 このように東大現代文における傍線部は、同じ内容について述べられている複数の段落のまとめの文であることが多い。だから傍線部の内容を要約するには、前後の段落の内容も踏まえて解答するといい。
(四)傍線部エは、文章全体のまとめであり、いま筆者が言葉の呪縛から逃れて新しい世界を見たいという気持ちに溢れていることが述べられている段落の最後の文である。文全体の内容を踏まえて、この段落の内容を自分の言葉でまとめるといい。この問題の設問のなかでは、もっともまとめやすいものだ。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文

恋愛哲学

2000年東大前期・国語第四問「言葉」 佐々木哲学校/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる