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加茂直樹『社会哲学の現代的展開』 【内容要約】 環境問題を取り上げるとき、環境保護は当然のことと考えられている。しかし「環境の保護」という言葉を、みんなが同じ意味でつかっているわけではない。そしてその微妙な差異が、実践の上では重大な差異になりうる。 そのうえ環境保護の対象として「環境」「自然」「生態系」が挙げられるが、これらの間にはニュアンスの違いがあり、場合によってはその違いが大きなものになる。 まず自然は、近代自然科学的な見方によれば、それ自体としては価値や目的を含まず、因果的・機械的に把握される世界である。人間はもちろん自然の一部であるから、人為と自然の対立はない。すべての事象は等しく自然的である。 だから「自然を守れ」というスローガンに実質的意味が与えるには、人為を特別なものとして位置づけ、人為によってどれだけ改変されているかで自然の価値評価をする必要がある。もっとも極端な立場は、人為的改変をまったく受けない自然が最善である。しかし、人間は自然に人為を加えることなしには生存できない。人類が自らの生存を否定するのでもない限り、人間が守るべき自然は、手付かずの自然ではなく、人為が加えられて人間が生存しやすくなった自然である。 このように自然は元来没価値的な概念であり、人間との関連付けによって初めて守るべき価値を付与される。では生態系という概念はどうだろうか。 生態系とは、生物群とその生物群に影響を与える気象、土壌、地形など非生物的環境を包括したものである。そして食物連鎖が平衡状態であれば、生物群集の個体数は変わらず安定している。しかし人為が過度に加わると、そのなかの生物種を絶滅させたり、さらには生物が生存できない環境を作り出してしまう。また、生物種がすくないほど生態系の安定度が低くなるので、生物種の多様生を保つことが重要とされる。 この生態系の概念には、機械論的自然とは異なり、価値が含まれてる。生態系は生物共同体であり、その安定が乱されると多くの生物種の生存が脅かされる。だから共同体の一員である人間は、この安定を維持する義務があるというのである。では、このように共同体の概念から倫理規範を導き出すことは妥当であろうか。 この議論に際して、まず重要なことは、生物共同体と人間共同体の道徳とは異なっているということである。生物共同体を構成する他の生物たちには権利や義務の意識はない。だから、ある種が生態系を乱したとしても、その種に責任を問うことはできない。それに対して人間は、他の種よりも生態系を乱す可能性が高いという点で特異だが、そのことを反省するという点でも特異な存在である。 第二に、生態系の安定で守られるのは種であって、個体ではないということだ。生態系を種のレベルで見れば種の共存といえるが、個体のレベルで見れば弱肉強食の食物連鎖である。個人の生命を尊重するという人間社会の倫理を、動物の個体にも適用するならば、かえってその種全体の破滅を招ねかねない。 生態系の概念は、機械論的な自然の概念よりも豊かな内容を持っているといえる。しかし、生態系を守ることが人間の義務だということはできない。その理由の一つは、生態系の安定した状態は一つではなく、多くありうるということだ。ある状態が乱されても、やがて生態系は別の状態で安定するだろう。この場合、前の状態の方が望ましいという根拠はない。また、比較的少数の生物種から構成される生態系もあり、それが多数の生物種からなる生態系より劣るともいえない。だから、生態系にとっては、ある特定の安定状態に価値があるとはいえない。しかし人間にとっては、自らが快適に生存できる状態こそが貴重であるといえるだけだ。 環境という概念は、自然や生態系とは異なり、ある主体を前提とする。いうまでもなく、環境は人間にとっての環境である。保護されるべき環境は、人間が健康に生存できる環境である。だから環境保護とは、まちがいなく人間のためのものである。 以上の考察が正しいのであれば、「地球を救え」「自然にやさしく」といったスローガンが不適切であることが分かる。このように表現することで、人類が自らのためではなく、地球や自然のために利他的に努力するという意味合いが含まれるからである。人類が滅んでも、地球や自然は何かしらの形で存続しうる。実は、われわれが守っているのは、人類の生存を可能にしている地球環境条件である。だから、われわれの努力を動機付けているのは人類の利己主義であり、まずそのことの自覚が必要である。 【解答例】 (一)自然にとってはどの状態も自然であることに変わりはなく、どの状態が最善の状態であるか問うことはできないということ。 (二)われわれが守ろうとしている自然は、実は人間にとって都合のいい自然であり、けっして自明のものではないということ。 (三)個体の生命を守ることで、食物連鎖で成り立つ生態系の安定が崩れ、その安定よって守られている種も滅ぶことになるから。 (四)生態系の概念には機械論的な自然と異なり、多様な生物種による生物共同体の安定という意味が付与されている。 (五)環境保護運動で保護すべきと言われているものは、実は人間が健康に生存するための環境であり、意識的であれ無意識的であれ、保護運動は人間の利己心から出発している。このことを理解することで、環境保護での意見の相違を乗り越えることができよう。 (六) (a)微妙 (b)局地 (c)脅(かされる) (d)維持 (e)犠牲 【解答のコツ】 (一)傍線部アは段落の最後の文であり、段落の内容をまとめればいい。 (二)傍線部イの直前に「以上見てきたように」とあるため、前段落の内容を受けていることは明らかだ。しかも段落最初の文は、前段落の最後の文と対応していることが多く、この場合もそうである。だから、前段落の最後の文をうまく使うといい。 (三)傍線部ウは段落の最後のまとめの文であるのだから、この段落の内容をまとめればいい。 (四)傍線部エの次の文が、逆接の接続詞「しかし」で始まることに注目するならば、「しかし」以降の文で否定されていることが、傍線部エの内容である。そこで否定されているのが「生態系の安定」と「生物種の多様性」である。この二つをキーワードにしてまとめるといい。 (五) 傍線部オは文章全体の最後の文であり、設問でも「この文章の論旨を踏まえ」とあるので、環境問題のところをまとめただけでは不十分だ。ただし難しく考える必要はない。傍線部オのある段落が、「以上の考察が正しいとすれば…」とあるように文章全体のまとめになっている。だから、この段落の内容をまとめればいい。このとき注意すべきことが、筆者の意図である。筆者はけっして環境保護運動を完全否定しているわけではない。「地球のため」「自然のため」と美名のもとで環境保護運動をすることを否定しているのである。意識的であれ無意識的であれ人類生存という利己的な目的のために運動をしている、ということを自覚するよう求めているのだ。このことで過激な運動を諌めるとともに、環境保護に消極的な人たちの参加を呼びかけることができ、意見の一致も可能になる。筆者の主張が意見の相違を乗り越えることにあることは、第一段落で分かることだ。文章全体を見る必要があるのは、そのためだ。 |
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