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<<   作成日時 : 2005/09/07 20:23   >>

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これは、2005年東大入試前期の問題で引用された小池昌代「背・背なか・背後」を、わたしの経験・研究と照らし合わせて解釈+拡張したものだ。
 だれも自分の背中を見ることはできない。だから自分の後ろで他人が笑っていると気になる。もしかしたら、汚れているのかもしれない。あるいは、だれかイタズラで張り紙を貼ったかもしれない。しかも自分だけが見ることができない。見ようとすれば、鏡のあるところまでいかなくてはならない。背中には、そんな怖さ・もどかしさ・難しさがある。
 このように視線は届かないが、わたしたちの背後にも空間がある。自分の背後で、何が起きているのか知ることはできないが、たしかに背後にも世界が広がっている。そして、自分だけがそこから排除されている。ひとの数だけ眼前があり、ひとの数だけ背後がある。
 もちろん背後という空間から、自分が排除されているとはいっても、自分と背後の空間が無関係なわけではない。振り向けば、いつでも自分の背後がそこにある。しかし振り向いた瞬間、今度はいままで見ていたものが背後になる。全方角を同時に見ることはできない。意識はつねに現前の世界に向けられており、まっすぐ前を見たまま背後の世界を見ることはできない。だから、よけいにもどかしい。
 もし背後の世界を知らないまま、目の前の現象だけを見て、自分は世界の全てを知っていると主張したならば、わたしたちは必ず誤りを犯すことになる。背後の世界が、自分の前面の世界から類推できるものとは限らないからである。いくら合理的に考えても、わたしたちは未知のものを類推することはできない。合理性はあくまで後付けだ。視点の数だけ、盲点がある。自分の視点にこだわる限り、背後を見ることはできず、自分勝手な類推を背後に押し付けることになる。そして、わたしたちは判断を誤り、大きなしっぺ返しを食らうことになる。
 もし前を見たまま背後を知ろうとするならば、目を閉じて、全感覚を研ぎ澄ますといい。他の感覚を活用するのである。あるいは視点を多く集めるといい。そのことで盲点を補うのである。

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コメント(4件)

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勉強になります。中卒程度の学力しかない自分でもわかりやすくて為になります。この歳になってやっとこさ理解できるようになったというか、学生さんだけでなく社会人としても教訓ですね。引き続きよろしくお願いします。
佐々木寿
2005/09/09 00:16
そうおっしゃっていただけると、とてもうれしいです。このブログを見ている方のほとんどは歴史に興味がある方なので、人気はいまひとつなのですが、哲学も私の専門領域のひとつなので、興味を持っていただきうれしいです。
佐々木哲
2005/09/09 10:16
でもこのお話は歴史観にはなくてはならないおのでもありますよね。
佐々木寿
2005/09/09 18:22
そうです。歴史学にも当てはまります。同じ資料を読んでも解釈はさまざまです。
 中世史ではほとんど新資料の発見はないのですが、それでも歴史像はどんどん変わっているのは、同じ資料の読み直しで十分に新発見ができるからです。
 見ているようで実は見ていない、目の前にあるのに気づいていないということは、よくあることです。
佐々木哲
2005/09/10 00:56

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