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zoom RSS 2005年東大前期・国語第四問「背・背なか・背後」

<<   作成日時 : 2005/09/06 16:52   >>

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小池昌代「背・背なか・背後」(岩波書店『図書』二〇〇四年七月号)より出典。
【内容要約】
待ち合わせ場所で待っている相手に近づくとき、そのひとが後ろ向きだったら、どんなふうに声をかけようか迷う。ひとの無防備な背中を前にすると、なぜか言葉を失ってしまう。これまで付き合ってきたのは、いつも相手の正面ばかりだからだ。そもそも背中は、ひとの無意識があふれている場所だ。だから、ひとの後ろ姿を見るとき、見てはならないものを見たようで、後ろめたく感じる。
 背中の周りに広がっているものは、そのひとの「背後」と呼ばれる空間だ。そこは視線がまったく届かないところだ。ひとは自分の背後の世界で、何が起きているのか知ることができない。背後は広がっているのに、自分だけは排除されている。
 もちろん背後という空間から、自分が排除されているとはいっても、自分と背後が無関係なわけではない。振り向けば、いつでも自分の背後がそこにある。しかし意識はつねに現前の世界に向けられている。だから、目を開けたまま背後を考えるということは、開いている目をただの「穴」にするということであり、頭をがらんどうの頭蓋骨にするということだ。
 ところで、人と大切な話している途中で、相手の背後にふと視線が向くことがある。そのとき、不思議な感じがする。こちらの世界とは触れ合わない、もうひとつの世界が同時進行で存在しているからだ。背後はまるで、彼岸のようだ。
 わたしたちは自分の背後を見ることができないのと同じように、自分の死を見ることができない。それどころか自分の背後も、そして自分の死も、考えることなく暮らしている。もちろん鏡で自分の後姿を確認することはできる。しかし背なかを見るには、鏡を二つ使用しなければならない。このことでも、背後を見ることの恐ろしさと難しさが分かる。
 だから背後はどうしても死角になる。意識がおよんでいないところだ。だから、突然後ろから声をかけられたら、誰でも驚く。後ろからどう声をかけようか迷うのは、相手を驚かせないためでもある。
 そもそも身体に触れないで、声だけでそのひとを振り向かせることはできるのだろうか。もっとも簡単なのは、名前を呼ぶことだ。名前を呼ぶことなく、相手が確実に振り向くかどうか分からない。だから、そういうとき、やはり相手の肩をポンと叩く。あるいは、相手の正面にまわる。背後の世界を入ろうとするとき、一瞬にしろ、言葉の無力さを感じる。

【解答例】
(一)本人が意識していない背中には、自分の知らない相手の無意識がさらけだされているため、なかなか近づけないということ。
(二)意識は目によってつねに眼前に向けられているため、目を開けたまま背後に集中すると、意識が消えて視覚以外の感覚が研ぎ澄まされるということ。
(三)だれもが背後をもつということは、だれもが自分では認識できないが確かにつながっている別世界をもつということ。
(四)無意識の世界への入ろうとするならば、意識の世界のものである言葉は頼りなく、身体的な行為が必要になるということ。

【解答のコツ】
評論文ではなく、散文であるため、ひとつの表現に多くの意味がこめられており、文意を正確に解釈するのは難しい。そのような場合、傍線部だけを見るのではなく、段落全体の要約を書くように心がけると、要点をつかんだ解答を作成できる。
 とくに文意が通じにくいときにしてしまいがちなのが、傍線箇所の一字一句を訳そうとすることである。しかし一字一句の意味にこだわっていると、全体の文脈を無視して解釈してしまうことが多い。一字一句を解釈すれば正確な解釈ができるというわけでない。同じ言葉でも文脈が異なれば、当然意味も異なってくる。これは国語でも英語長文でも同じことである。もっとも重要なのは全体の意味であり、部分はそれを構成するものだ。全体と部分は決して対立するものでなく、全体の中に部分があり、また部分を通して全体が見える。まずは全体の中での段落の位置を把握し、段落全体の要約をまとめる。そのあとに一字一句に注意していく。時間がなければ、段落の内容をまとめればいい。
(一)接続詞もなく、つながっている場合は、言い換えの文章が続いていると思えばいい。この場合は、傍線部アの直後の文章を参照にするとまとめやすい。
(二)傍線部イは段落の最後の文章であり、段落の内容をまとめればいい。通常、段落の最後の文は次の段落につながっているが、この場合は、次の段落から内容が変わっているため、次の段落を参照する必要はない。
(三)傍線部ウのある段落は短い。このような場合は、前後どちらの内容も参照するといい。とくに傍線部ウは段落の最後の文章であり、次の段落の最初の文章が「そして」で始まるので、やはりつながっている。前後の段落の内容を要約しよう。
(四)傍線部エは本文最後のまとめの文章であるため、直前の文章に注目するだけでは足りない。文章全体の内容を要約するといい。とくに「言葉というものを、放棄しなければならない」と述べているのであるから、「自分が、がらんどうの頭蓋骨になった気がする」(傍線部イ)と述べている個所の前後に注目だ。
 最後に、解答を読めば全体の内容が分かるようになっているかどうか確認すること。全体の内容が分かるようになっていれば、それでいい。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
(ニ)の解答で視覚以外の感覚が研ぎ澄まされるとは読めない。
(三)では死の内容も入れるべき。
(四)は受験だったらよいと思うが、青本の解答を参照されたし。
赤本青本の批判はいいですがまだまだあなたの読みはアマイと思います。
きむ
2007/10/31 00:37
コメントありがとうございます。

受験生の心理としては、心配で一字一句を解釈しようとします。そのため受験用の模範解答の多くも、一字一句を細かく解釈しています。きっと模範解答作成者も心配なのでしょう。そして心配性な受験生の多くは、そのような解答を頼もしく思うでしょう。しかし、細かいところに気を配りすぎて、かえって内容からズレていくことが多くあります。私が主張していることは、そんなところです。

もちろん、すでにブログの記事の中で書いているように、私の解答例が絶対だとは思いません。私の解答例を超えていく受験生が多く現われることを期待しています。

そのためにも青本・赤本を信仰するのではなく、自分なりに考える練習をしてください。青本・赤本が正しいというところから出発していては、自分なりの考えをもてませんよ。

ちなみに青本よりも赤本のほうがいい解答のときがありますし、河合や駿台よりも代々木の方がいい解答のときがあります。わたしも、自分なりの意見を言うために、きちんとそれらを読んでいますよ。
佐々木哲
2007/10/31 01:00
私も”きむ”さんの指摘のように、(2)の解答には腑が落ちませんでした。
「視覚や意識が機能を失い、ただの物質のようになってしまう」といった解釈ではズレていますか?
主観的な要素の強い文章がどうも苦手です・・・

最新年の解答楽しみに待っています。
イチロー
2012/02/01 09:46
ズレています。

ここで重要なのは視覚が感覚のすべてではないということです。「死」ではなく「目を閉じる」が意味としては通ります。後ろには目がないですよね。

背後を感じるには目は邪魔です。かえって目を閉じることで背後を感じることができます。

一字一句にこだわると、文脈ではなく、辞書的な意味に束縛されること任あります。注意してください。
佐々木哲
2012/02/01 11:57

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