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zoom RSS 二人の経方

<<   作成日時 : 2005/07/14 04:01   >>

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実はここしばらく、私の頭は平経方のことでいっぱいだった。平経方は本当に宇多源氏経方なのだろうかという不安を持ち続けていた。それが昨日(7月13日)解決した。『水左記』康平8年正月23日条の「今夜被補頭蔵人、頭ハ権中弁経信、蔵人者藤原有信・実□等、雑色経方(範国子)」という記事の解釈が決したのである。
 『康平記』康平3年(1060)7月17日条に蔵人所雑色平経方、同月19日条に諸大夫平経方が登場するが、蔵人所雑色は蔵人所の下級職員であり、事務系の公家である名家の者が任じ、そこで蔵人見習いをしたのである。そこから六位蔵人に昇進した。そのため『帥記』康平8年(1065)7月7日条に後冷泉天皇(後一条皇子・後朱雀兄)の蔵人として登場する経方は、『康平記』の蔵人雑色経方と同一人物と考えられる。
 そのうえで『水左記』康平8年(1065)正月23日条の記事を読んだ場合、蔵人に藤原有信と藤原実定が補任されたまではいいが、雑色経方が宙に浮いている。記事は「藤原有信・実□等」と記して、いちど実定で区切っているのである。しかし私は当初強引に、雑色経方もこのとき蔵人に補任されたと読んだ。そうすることで、それまで蔵人雑色だった経方が蔵人に補任された記事として読めるからである。そう解釈することで、高棟流経方と宇多源氏経方を同一人物とみなした。
 しかし昨日7月13日に異なる読みがあることに気づいた。やはり「等」といちど区切っていることを無視するのは強引ではないかと気にしていたので、他の読みがないか考えていたのである。そして、蔵人所雑色に経方(範国子)を補任したと読めることに気づいたのである。つまり同時期に2人の平経方がいたのである。すでに蔵人経方がいたが、さらに新たに蔵人所雑色に経方(範国子)が補任されたのである。
 新しい解釈を思いつくまでは、もとの解釈で蔵人所雑色経方・蔵人経方と続くため、解釈自体に多少の無理があっても、これで自然な無理のない解釈ができたと信じていた。しかし記事そのものは「蔵人者藤原有信・実□等」でいちど区切れており、続けて「雑色ハ経方(範国子)」と読んだ方が自然である。もとの解釈ではもとの解釈が自然と思っていたが、新しい解釈を思いつくと、新しい解釈の方が自然に思えてくる。ひとつの資料をめぐって異なる見解が並存するのは、このためだ。資料に基づいているからと言っても、安穏としていると、気づかないうちに史実から離れていくことになる。常に自分の見解が仮説だということを肝に銘じなければならない。
 また怪我の功名ではあるが、『尊卑分脈』『西洞院家譜』では桓武平氏高棟流(堂上平氏)伊予守平範国の長男に民部大輔平経方が記され、次男に春宮亮平経章が記されているが、兄弟順が間違っていることも確認できた。『春記』永承3年(1043)3月20日条に「伊予守範国、又其子蔵人左衛門尉経章」とあり、経章が平範国の子息であることは資料で確認できる。しかし、兄とされる経方は康平8年(1065)正月23日条に蔵人所雑色に補任されたのである。弟であるはずの経章は、兄であるはずの経方が蔵人所雑色に補任される22年前にすでに蔵人である。長幼の順は経章・経方の順であった。兄経章はこののち承保4年(1077)8月29日に没した(『水左記』承保4年8月29日条に「今日春宮亮経章卒去」とある)。

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