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zoom RSS 佐々貴山公の系譜・序

<<   作成日時 : 2005/07/12 02:17   >>

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鎌倉以前の佐々木氏について、古代豪族佐々貴山公と宇多源氏流佐々木氏が同流か別流かという問題がある。ワカタケル大王(雄略)の名が記されているため歴史教科書にも記載されている埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣銘の系譜で、その雄略に杖刀人首(親衛隊長)として仕えた東国豪族ヲワケの上祖とされるオオヒコ(大彦命)は、佐々貴山公の上祖でもある。系譜上ヲワケと佐々貴山公は同祖の関係にある。もちろん実際に血縁的な同族関係にあったとまでは言えないが、鉄剣銘の系譜に登場する人物のうち五代ササキワケ(タサキワケ)が佐々貴山公氏の直接的な祖と推定でき、同一人物の子孫という系譜伝承を共有した擬制的同族集団であった。実際に記紀には、ササキ山君カラフクロが雄略の即位を支援した人物として描かれており、佐々貴山公も杖刀人首に任じる有力豪族であったことが確認できる。滋賀県蒲生郡安土町と同神崎郡五箇荘町にまたがる繖山(ササキ山)の麓の前方後円墳・安土瓢箪山古墳は、上祖オオヒコの古墳と見られている。
 明治期歴史学界の重鎮久米邦武は、宇多源氏佐々木氏は佐々貴山公の子孫であり、荘園領主である公卿源氏に仮託して源氏を称したと主張した。近江守護佐々木氏が、もともと近江中郡である蒲生・神崎・愛智の三郡に勢力を有していた佐々貴山公の子孫であれば、他の鎌倉武士が強固な守護権力を築けなかった中で、佐々木氏が強力に守護権力を確立できたことが理解できる。
 しかし、本当に武家佐々木氏は佐々貴山公の子孫だろうか。鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』では、佐々木庄住人佐々木三郎成綱を本佐々木氏として、鎌倉御家人佐々木氏とは別流と記している。つまり『吾妻鏡』編集時には、佐々木氏が数流あることが認識されていた。
 大正11年(1922)刊行の『近江蒲生郡志』巻二の第一編「佐々貴山氏志」で、編者が親しく聞いた話として、修史館での久米邦武と鈴木真年の議論を記している。 久米邦武は、近代系図学の第一人者鈴木真年に佐々木氏の先祖を尋ねた。鈴木は、宇多天皇の孫左大臣源雅信(敦実親王子)の次男参議源扶義より出たと答えた。久米は、左大臣の子孫が沙々貴神社の神主になったというのは疑わしいと主張したのに対して、鈴木は『尊卑分脈』を示した。さらに久米が、佐々木氏は沙々貴山公の子孫であろうと主張したのに対して、鈴木は疑ったら切りがないと反論した。年月を経て京都より東寺文書が送られてきた。鈴木が東寺文書を閲覧していたところ、承平2年(932)正月付け田巻を見て驚き、それを久米に見せた。そこには蒲生郡老佐々貴山公房雄をはじめ、佐々貴岑雄、佐々貴豊庭、佐々貴三奴らの佐々貴氏が、昌泰3年(900)10月23日に嵯峨源氏流大納言源昇(左大臣源融の子)に田地を売却したことが記されていた。これによって修史館における佐々木氏の先祖に対する疑問は解けて、佐々貴山公の一族が武士となって源左大臣家に仕え、系譜を源氏に仮託することを許されたとの結論を得たという。
 しかし『近江蒲生郡志』は、「佐々貴山氏志」で久米邦武と鈴木真年の議論を紹介した上で、つづけて近江神崎郡の山路天満宮所蔵の嘉応2年(1170)4月18日付け大般若波羅密多経写しの奥書にある署名「佐々木重貞」を紹介して、重貞の名が現行の佐々木系図に見えないことに注目した。さらに、『吾妻鏡』で本佐々木氏と武家佐々木氏が別流と記されていることにも注目した。
 そして第二編「佐々木氏世代志」の総論で、佐々貴山公流本佐々木氏と宇多源氏流佐々木氏に関して佐々木系図に2説あることを紹介している。まず一方は、@武家佐々木氏は系図のとおり佐々貴山公とは別流だというものである。つまり、宇多源氏の子孫が佐々木荘の下司職に補任されて少しずつ勢力を蓄えて佐々木氏を仮冒するようになり、のちに本佐々木氏に代わって沙々貴神社の祭祀を司ったというものである。他方は、A両佐々木氏はもともと佐々貴山公の子孫であったと主張するものである。つまり、先祖を天皇にもとめる系図が流行したときに、その時代思潮に乗って宇多源氏を仮冒した系図を作成した家と、旧来の系図を保存した家に分かれたというものである。 『近江蒲生郡志』は両説の可否はいまだ決していないとしながらも、@別流説を採用した。
 また『近江蒲生郡志』より早い大正2年(1913)刊行の『坂田郡志』も、第五編「鎌倉時代」の第一編「近江の守護佐々木氏」で、久米邦武と鈴木真年の議論を紹介しているが、やはり『吾妻鏡』で本佐々木氏と武家佐々木氏が別流だとする記事に注目して、田券にある佐々貴氏の子孫は本佐々木氏であり、宇多源氏佐々木氏とは別流だと主張した。
太田亮『姓氏家系大辞典』は久米邦武の立場を踏襲し、宇多源氏流佐々木氏も古代豪族佐々貴山公の子孫として阿倍氏族に含めているが、近年刊行された『新修大津市史』は別流説を採用しており、今日では別流説に落ち着いた観がある。
 私も別流説に立ち、『尊卑分脈』『続群書類従』や沙々貴神社所蔵本などの系図や『源行真申詞記』(『平安遺文』)などの資料を詳細に調べた。まず佐々貴山公の子孫の中に、@従来の本佐々木氏とA源氏を名乗った本佐々木氏がある。さらにB『源行真申詞記』に登場するのは宇多源氏扶義流佐々木氏であり、彼らが後世に残る佐々木系図を作成した。この宇多源氏流佐々木氏が近江佐々木庄を開発して天皇家に寄進し、白河院養子である左大臣源有仁や関白藤原忠実らに仕えた。またC院近臣として近江佐々木庄領家職を獲得した宇多源氏時中流佐々木氏がいる。この公家佐々木野家出身の源資長は清和源氏源為義の娘婿になることで、佐々木庄領家職だけではなく、為義が所持していた預所職も獲得して、佐々木庄の領主権と警察権を獲得した。これが源平合戦で活躍する佐々木秀義の前身である。これら諸流が相互に結びつきながら今日の宇多源氏流佐々木氏の系図を構成したのであり、その歴史をたどることは佐々木系図を読み解くのに必要な手続きである。

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